黒いふるふる
小早敷 彰良
黒いふるふる
それを見たのは私が小学生の時、夕日が差し込む自室の中だった。
遠くの方で祭囃子が聞こえていた。年に一度の近所にある神社での夏祭りが行われていたのだ。
私はその数時間後に習い事へ行くこととなっていたため、行くことが出来ず、家で黙々と宿題を片付けていた。
きっかけは覚えていないけれど、なんとはなしにふと隣を見た。
机とベッドの間の部分、普段なら日差しが眩しい、植木鉢がある場所で目を休めようとしたのだったか。
その部分が削られたように、真っ黒になっていた。真っ暗だったと言った方が良いかもしれない。その一部分が大きく、背丈ほどの楕円に、光を吸い込むような墨色になっていた。
昨日こっそりと夜更かしして本を読んでいたせいで目が悪くなったのかと思い、瞬きしてもその色は消えない。何分間眺めても黒いままなもので、私は傾げたのを覚えている。
危険なものには見えなかった。そもそもその部分がなぜ突然黒くなったのか、そのことだけが不思議だった。
何かの影が差しているのかとその黒からほど近い窓を開けて、身を乗り出し、外の様子を見る。
「さきちゃん、こんにちは。お祭り行かないの?」
窓に面した通りを歩いていた近所のおばさんが声をかけてくる。
「ううん。宿題やってるし、これから習い事なの。」
「まぁ偉いわね。」
普段通りにお互い返す。ちらりと横を見てみると部屋の壁は黒いままだった。
「そうだ、さきちゃん、お祭りでもらった飴、食べる?」
「うん!」
直ぐに意識がおばさんたちへと吸い寄せられる。母親が厳しく節制していたため、甘いものには飢えていたのだ。
「はい、あーん。コーラ味好きかな?」
「大好き、ありがとうございます。」
「お礼言えて偉いね。」
じゃあね、と、おばさんは私の頭をひとなでして去って行った。
飴をあげるとき、頭に触れるとき、彼女は身を乗り出していた。
私の部屋の中を見たはずだ。もちろん直ぐそばの黒いものも。しかし、彼女はそれに言及しなかった。
窓の外の景色は変わらず、目がおかしくなっていることも影が差していることもなかった。そして、窓を閉めて振り返っても、その部分は全く変わらず黒いままだった。
かけていた眼鏡を何回も拭いてしまった。
のっぺりと壁が黒く、そこにあるはずの棚も全く認識できないくらい暗い。部屋全体は夏の暑い日が射して、眩しいくらいだってのに。
ようやく宿題から意識を外して、その黒と向き直る。
じっとその黒を見つめていると段々目が慣れてきてそれの全貌がわかってきた。
あまりに黒くて遠近がわからなかったけれど、それは厚みがあることに気がついたのだ。
当時のベッドの半分ほどだったから、だいたい30cmくらいだろうか。そう厚み、陰でなく、物体としてその黒は存在していた。しかもその表面はゆるゆると波打っている。
重いものを動かす時のずりずりとした細かな振動、それがその表面に起こっていた。
そう、平面でも波でもない、それは円形で回転していた。
ただの厚みのある黒一面なら回転しているとわからなかっただろう。それがふるふると震える度に、白い目玉が現れてきたから気づいたのだ。
それは私を凝視していた。決して回転は早くない、むしろゆったりとしたペースでその黒は私に向き直っていた。
側のベッドとの比較で厚みがあるとわかっていても、平面に見える面に、私を凝視する目が現れてくる。気づいた時には片目が完全に出ていたし、もう片方もじりじりと見えてきていた。
よほど身体が重いのかな、振り返るのにこんなに時間がかかるなんて。
そう、思った。
思った途端、まともな神経が戻ってきたのだろう。その黒を身体と、私は認識した。
ここに何かがいることをようやく理解したのだ。
途端、全身に鳥肌が立つ。声も出ず、逃げるなんて考えつきもしなかった。
微かに聞こえる祭囃子で、これが外と地続きでの出来事なのだと痛いほど理解してしまった。
もう直ぐこの目は私の正面に来る。そうなったら私はどうなってしまうのか。
最後に見たのは黒目が異様に小さな、丸い白濁した両目だった、と思う。
気づくと朝だった。
ベッドできちんとタオルケットをかけて寝ていて、目覚ましは鳴る数十分前を指していた。
昨日の夕方からの記憶は全くなかった。
居間に行くと母親が朝食を用意してくれていた。確か、お味噌汁にスクランブルエッグ、御飯だったと思う。
普段から厳しく、よく言えば教育熱心な母親が何も言わないことから、習い事にきちんと行ったのだろうと推測出来た。
気絶していた訳でもない、でも記憶がない。そのことを考えながら食べたご飯は全く味がしなかった。
あの日から不思議な出来事は絶えず起こっている。
黒いふるふるは私にいったい何をしたのだろう。
黒いふるふる 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa
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