第57話




「こんなことしてる場合じゃない──」

 夜の空。雑踏の声。白い街灯。車の排気音。LEDの電光掲示板。繁華街のにおい。

 学校を出てから電車に乗り、ぼんやりした頭で何も考えられないまま、気付けば俺は、降りる駅を通り過ぎて終点の岡山まで来ていた。

 県内で最大の街は夜になっても人通りが絶えることなく、駅前には俺と同年代の学生グループや、二十代の男女、仕事帰りらしいスーツの集団からあらゆる年代の個人まで、そこには人恋しいという感情を忘れてしまうほどの人の群れが、賑やかに色付いてゆく夜の始まりを楽しんでいた。

 そうした大勢の人の流れに混ざれば、たとえ偽りであっても、空っぽになった心と頭へある種の居心地のよさを感じられると期待を込めて、俺は意味もなく、目的もなく、ただ人波にまかせて幽霊のように彷徨い歩き続けた。

 ──こんなことしてる場合じゃない──

 けれどもどんなに多くの人と一緒にいても、どれほどの騒がしいイベントや音楽に触れても、頭の中には常に後ろめたさが付きまとっていて、その罪悪感が逃げようとする俺の心を捕まえて離さない。ただいつもの口癖だけがほとんど俺の意思とは関係なく呟き出ていて、その言葉のみが、唯一俺に寄り添ってくれるのだった。

「──さあ! 電波の発信まで、あと二時間半ほどとなりました。こちらでは最終確認のための調整が入念に行われています」

 心の孔を埋めることも出来ず、ただ虚ろに歩いていた俺は、街頭モニターから聞こえてくるレポーターの声に不意に意識を向けさせられた。

 ビルの壁面に据えられたその大きなモニターには、地元のローカル報道番組でときどき見かける若い女性レポーターが映っていて、彼女が手を広げたその先に、驚くほど大きなアンテナがたくさんの照明器具に囲まれてライトアップされていた。

 ──そうか……。今日だったのか──

 三年前の夏、藤咲とふたりでアンテナを眺めた日々が鮮やかに甦り、俺は移り行く人波の間に立ち止まって、モニターから流れる映像を見つめた。

「──それではここで、超遠距離電波通信アンテナ『おりひめ』が建造されるに至った経緯を振り返ってみましょう。


 最初のきっかけは一九七七年八月、アメリカのオハイオ州にあったビッグイヤー電波望遠鏡が、かつてないほど非常に強力な電波を受信したことが始まりでした。

 この信号の周波数は、恒星間通信に使用される可能性が指摘されている『水素線』と呼ばれる電波と極めて近しい値を示していて、それは深宇宙からの交信を偶然とらえたという可能性を示唆するものでもありました。

 観測していたジェリー・R・エーマンが、あまりの興奮にプリントアウトした記録用紙に『Wow!』と書き込むと、これ以降この信号は『ワオシグナル』と呼ばれるようになり、こうして地球外の知的生命の存在への期待が一気に高まったのです。

 しかしその後、世界中のあらゆる研究者が様々な方法で再観測を試みたものの、最初の七二秒間の観測以来、再びワオシグナルを捉えることは出来ませんでした。

 およそ二十年の間、アメリカを初め、日本やヨーロッパなどの専門機関がこの信号を再発見しようと努力しましたが、満足する結果を得られず、しだいに『ワオシグナルは地上からの電波を宇宙塵デブリが反射したものに過ぎない』という説が唱えられるようにまでなりました。

 ところが、二〇〇七年、今から六年前であり最初の発見からちょうど三十年後の九月。プエルトリコにあるアレシボ天文台が、ワオシグナルの発信源と見られる、いて座の領域内から再び極めて強い人工的な信号をキャッチしたのです。

 今度の信号は数時間に及び、分析の結果、驚くべきことに素数を表す連続シグナルが断続的に送られていることが判明したのです。

 その信号は九七までゆくといったん止まり、しばらくしてまた二、三、五……と順に数え上げられ、再び九七で止まるということを繰り返していました。

 このことにどんな意味があるのか。各国首脳は天文学者、数学者、哲学者、心理学者、芸術家、軍人など、様々な専門家を呼び、協議した結果、『九七以降の素数を返信せよ』とのメッセージであるとの結論に至りました。

 その後、世界中のあらゆる宇宙探査機関がこぞってこのメッセージに返信する計画を立てると、アメリカやヨーロッパなど、各国の政府が競うように後押しをして、まさに地球規模の一大プロジェクトとなったのです。

 そしてそれは日本も例外ではありませんでした。

 政府は官民を挙げて日本国内でアンテナを建造するのに最適な土地を検討し、いくつかの候補地の中から、一・電磁的/電波的ノイズが少ないこと、二・都市部から離れた場所に開けた広い平地があること、三・年間を通して日照時間が長く比較的安定した気候であること、などの理由からここ、岡山県美月町が最終的に選ばれたのでした。

 ところが順調に建造が進んでいた中で、思わぬ災害に見舞われてしまうのです。そう。二〇一一年の三月、あの東日本大震災です──」

 そこから女性レポーターは、日本全土を襲った未曾有の大災害によるこの混乱がアンテナの建造にも及んだこと、特にアンテナの心臓部である電子部品を製造しているメーカーが再起不能なほどの損害を受け、さらにインフラが破壊されたことによって専門的な資材や必須材料の供給がとどこおり、ついには計画そのものの存続さえ問われることとなったこと、しかし当時の町長や商工会が粘り強く政府やJAXAに働きかけ、どうにか計画の続行とアンテナの建造を再開させることが出来たことなどを、レポーターらしい簡潔さと、わざとらしく情感の込められた声音で、ドラマチックかつ限られた時間内に終えるよう見事に喋り終えた。

「──この信号を送ってきた者が誰にせよ、きっと地球からの返信を心待ちにしていることでしょう。そして人類史上、初めて接触コンタクトを持った地球外知的生命体に向けてへのメッセージ──我々はここにいる、というシンプルにして印象深い言葉──を送る歴史的瞬間が、刻一刻と近付いています!」

 レポーターが締めの言葉を告げて、モニターはテレビ局のスタジオに移った。司会のアナウンサーとコメンテーターや専門家があれこれと退屈な話を始めると、俺は再び夜の雑踏の中を歩き出した。

 昼間の暑さが染み込んだアスファルトの気だるい熱気と、行くあてのない心もとなさを交互に感じながら、俺はひとり呟いた。

「我々はここにいる、か……」

 果てのない暗黒の宇宙を、たったひとつ『ここにいる』という思いだけを伝えたくて、ただひたすらに直進してゆく電波のひたむきさに、俺は羨望に近い感情を抱いた。

〈俺もそんな風に真っ直ぐに生きられたら──〉

 藤咲が事故に遭ってから、俺は軸を失ってしまったかのように人生に迷い続けてばかりいる。いや、強い目標も希望も見つけられずにふらふらしているのは、もっとずっと前、小学校の文集の「将来の夢」という欄を埋められなくて長い時間頭を傾げていたそのころから、俺は何ひとつ成長していない。

 瑞希先輩と出逢って、藤咲の目が醒めて、少しは何かが変わるかもしれないと淡い期待を抱いていたけれど、やるべきこと、やらなくてはならないことが明確な輪郭を持ってせまってくる中で、自身の不甲斐なさを嫌というほど改めて認識するばかりだった。「こんなことしてる場合じゃない」と分かっていながら、まさに今も俺は現実逃避を続けているのだから。

 あたかも用事があるかのようなふりをしながら、周囲の雑踏にまぎれて赤信号を待っていると、ポケットに入れていた携帯電話が不意に鳴り出した。

 取り出してみると電話をかけてきたのは母親からで、俺は父親の容態が悪いのかと一瞬ドキッとしたけれど、先日見舞いに行ったときに担当医の先生から、父親の容態は安定しており、今日か明日にも死ぬほどの状態という訳ではないと聞かされていたことを思い出した。

「つまり早く帰って来いってことね……」

 時計に目をやると、時刻はすでに二十三時になろうとしていて、そろそろ終電が出る時間だった。

 俺はしつこく鳴り続ける携帯電話の電源を切ると、ため息をひとつついて来た道を引き返していった。



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