第48話タイム・ディスタンス─6





 日々は無為に過ぎてゆく。朝起きて学校へ行き、終われば何時間も時間を潰してから夜中に帰る。

 まるで進歩のない虚ろな毎日の中で、ただひとつの変化といえば、父親の小言が減り、代わりに寝込むことが多くなったということだ。いつも顔色を悪くし、俺が家に帰ったときには早々に布団に入っていることもあった。

 その様が気にならなかったといえば嘘になるけれども、父親のことを気にしている/心配しているという事実を認めると無性に腹が立ってきて、俺は自分の意識から父親を無視しようと努めることで、自己満足的な報復感情を満たしていた。


 その日は朝からどんよりとした曇り空だった。今の気分にふさわしい憂鬱な空は、昼過ぎから遠雷の音を轟かせ、帰りのホームルームが終わるころには激しく打ち付ける雨が降り始めていた。教室の一部からは「やべ。俺傘持ってこなかったよ~。どうしよ」とか「電話してお母さんに迎えに来てもらおうかな」といった声がちらほらと聞こえてくる。そうした教室の喧騒に混じって、先生の大きな声が念を押して繰り返される。

「いいかみんな。さっきも言ったとおり、進路希望調査の紙は三週間後だぞ。これが最終だから、よく考えて書くように」

 先生の気づかいなど無用なのか、それとも目先の遊ぶことにしか興味がないのか、みんなさしたる関心も示さず、ガヤガヤと教室を出てゆく。

 俺もまた逃れるようにさっさと下足場へ向かうと、傘を開いて表へ出た。朝の天気予報によると、昼からの雨量は小雨程度だと言っていたけれど、ものの見事に外れたようだ。

〈傘を持ってきて正解だったな〉

 もしも傘を持っていなければ、全身ずぶ濡れで帰らなくてはならないところだった──言うまでもなく電話して親に迎えに来てもらうなど、意地でもしたくない──。しかもその状態で外で時間を潰すことは難しかっただろう。となれば、嫌でも長時間を家で過ごすことになる。そんなことはごめんだった。

 傘にぶつかり跳ねる雨音に意識を傾けると、雨粒にも大きいものや小さなものがあることに気付く。不規則に変わるその音が少し面白くて、俺は久しぶりにわずかに口を綻ばせた。

 しかしそんなささやかな楽しみは長くは続かず、校門近くに停めてある見馴れた母親の車を目にした俺は、一気に沈んだ気分になった。

「浩樹」

 裏門から出ようと振り返りかけたとき、車から出てきた母親が俺を引き留めた。一瞬、このまま聞こえなかったふりをしてさっさと行ってしまおうかと考えたけれど、すでに歩みを止めてしまっている以上、ごまかすことも出来ない。

 俺はことさらに大きくため息をついて振り返った。傘に隠れた母親の表情は見えなかったけれど、どうせ毎日帰りが遅い俺を連れて帰ろうとして来たのだろう。そして車の中でも帰ったあとでも説教や小言をうんざりするくらい聞かされるのだ。

「浩樹……、すぐに車に乗って」

 そんな俺の予測は、傘を上げて不安げな眼差しを向けながら、心細そうに小さな声で俺の名前を呼ぶ母親の顔を見て、すぐに違うと分かった。

 何か悪い知らせがあるのだと瞬間的に察すると、母親はすがるように俺の学生服を掴んで、震える声で言った。

「……お父さんが倒れたの」



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