第23話タイム・ディファレンス─4
今日の私たちが会ったのは、いつもの病室ではなく、少し離れたところにある談話室だった。高い天窓が直射日光を和らげて、机や椅子の影を優しくぼやけさせていた。
「あれ? 今日はここで会ったね」
浩樹君は私がいる席の向かいに腰掛けながら、いつもの少し寂しそうな笑顔を向ける。
「うん。ちょっとジュースが欲しくなって」
メロンソーダの入った紙コップを持ち上げて私は答えた。まさかトイレの帰りに休憩で立ち寄ったなどとは恥ずかしくて言えない。
「メロンソーダか。これ結構うまいよな。うちの学校の自販機にも置いてくれればいいのに」
疲労困憊であることを浩樹君に悟らせないように、私は深くゆっくりと呼吸をする。
私の体力はまったく戻ってきていなかった。リハビリ室での一件があってから私は一度もそこを訪れておらず、未だに少し歩いただけで息が上がってしまう。朝起きてから浩樹君が来るまでの時間に、リハビリの運動をするよう何度も惣市さんが説得してきたが、私は絶対に首を縦に振らなかった。
「学食のデザートには置いてあるけど、でもやたら値段が高いんだよな。まあ私立ってそんなものかもしれないけど」
リハビリ室にはきっとあの女の子と男の子がいて、あの日と同じようにぎこちなく、仲良くリハビリに励んでいるのだろう。私にはそんな彼女たちの関係がどうしても我慢ならなかった。
何故かは分からないけれど、その光景を思い出すと胸が焦がれるような気持ちになってきて、どうしたらいいのか、いてもたってもいられなくなってくる。
私はここ数日、どうしてそんな風に感じてしまうのか、浩樹君が来る前と帰ったあとの僅かな時間にそのことばかり考えていた。
「なあ藤咲、たまには外へ出てみない? さっき来る途中で見たんだけど、中庭とか色んな花が咲いてきれいだったよ」
はじめのうちは嫉妬だと思っていた。もちろんそれもあったのだろうけれど、浩樹君──私にとって最も大切な人──が毎日会いに来てくれているにもかかわらず、彼女たちの関係に不快感を覚えるのは、嫉妬以外の、何か他の感情を抱いているせいかもしれない。でもいったいどんな感情を?
「藤咲、聞いてる?」
「──えっ? ああ、ゴメン。ちょっとぼんやりしてた」
「大丈夫? もしかして具合が?」
浩樹君が心配そうな顔で声をひそめるので、私は慌てて答えた。
「ううん、まだ起きたばかりだから。本当に大丈夫!」
「そう……。ならいいけど……」
浩樹君はなおも心配した面持ちで、私たちは何となく沈んだ雰囲気になりかけていた。
私が何とかして話題を変えようとせわしなく首を動かしていたとき、意味もなく点けていたテレビから意外なニュースが入り込んできた。
『超遠距離電波通信アンテナ“おりひめ”の完成披露宴が、先日美月町、国立天文観測所にて行われました』
「あっ、これ……」
テレビに映し出された巨大なパラボラアンテナは、秘密の場所で浩樹君とよく一緒に眺めていたあのアンテナだった。まだ建造途中の華奢そうな骨組みを露出させていたあの頃と違って、完成したその姿は私が想像していたよりもはるかに大きく、堂々たる威容を備えていた。
──完成したんだ……。
あの夏の日、浩樹君が完成までにあと二年はかかるだろうと言った言葉が、私の心に冷たく沈んでいった感触をよく覚えている。そのときの私は、きっと二年後の自分と浩樹君は離れ離れになっていて、二度と彼と逢うこともないんだろうなと漠然と思っていた。でもそうはならなかった。私が事故に遭い、三年という時間を凍らせることで、結果的に私たちは未だ繋がりを保っている。
三年。言葉にすればたった二文字にしかならないけれど、いくつもの季節を越え、多くの人と出会い、別れ、その中で思ったこと、感じたこと、様々な苦悩や葛藤、希望、不安、切実な願いなど、数え切れないくらいたくさんの想いを経験しながら、浩樹君はここまで来たのだろう。
そして私は三年もの間、何もせず、ただ眠り続けていた。
──私は本当に、浩樹君と同じ時間を生きているのだろうか──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます