第20話
夏休みも後半を過ぎた。補習授業は終わり、差し迫る新学期が始まる前に、今度は宿題を片付けなくてはならない。
藤咲との時間を大切にするあまり失念しかけていたけれど、俺は俺でやらなくてはならないことが山積みだった。矢を的に中てるという目標、夏休みの宿題、休み明けのテスト、そして進路希望の選択……。
考えるだけで憂鬱な気分になってくる。
けれども藤咲のことだけを考えていればいいという訳にもいかず、俺はいつものように部活を終えて彼女の見舞いへ行った帰り道、億劫な気持ちを抱えながら、とりあえず目の前の、解答を写せない読書感想文や自由研究をどうしようかと、そんなことばかり考えていた。
そんな気だるい思考をふと遮って、見慣れた軽トラが俺の前で停まった。
「浩樹」
運転席の窓から父親の顔が覗いて、俺はこれ見よがしに大きくため息をついてみせた。
「毎日毎日、学校帰りにどこへ行っているんだ」
「別に。どこだっていいだろ」
藤咲のことは父親には絶対に知られたくなかった。俺にとっての負の象徴である父親と藤咲をほんのわずかでも結び付けたくなかったし、藤咲への勝手な印象や偏見を父親に持たれるなど、考えるだけで胸糞悪い。
父親は押し黙り、俺の心を見透かすような鋭い視線を送り付けてくる。
心の奥底をまさぐられるようなこの視線に、俺は子供のころからいつも負けてしまう。現に今もそのことを自覚し、屈しないように気張っていたはずなのに、視線を無意識にそらしてしまった。
「……まあいい。車に乗れ」
深く追及されなかったことに安堵する自分が悔しい。どうせこの後も仕事の手伝いをさせられることは、荷台に乗せられた積み荷を見るより以前に、父親の態度で丸分かりだ。
それでもここで断るのは何だか父親から逃げているような気がして、俺は腹に力を込めながら、助手席に乗り込んだ。
二人きりの車内で楽しい会話が弾む訳もなく、無造作につけたラジオから響くパーソナリティーの明るい声だけが、時おりノイズを混じらせつつも、かろうじて沈黙を防いでいる。
俺は助手席の窓に流れる退屈な景色を無心で眺めていた。見えるものといえば住宅や半端に開いた空地、二、三階建ての小さなオフィスビルに、古びたアパートと、まさに寂れた田舎の典型のような光景ばかりで、軽トラのチェンジシフトが変わるたびに小さく咳き込むエンジンの音が、余計にさびしい思いをさせた。
「……お前、この先どうするつもりだ」
「は? 何だよ、この先って」
唐突に話かけられて、俺は少し驚いた。父親は時々こうして何の前降りもなく、突然話を始めるからたちが悪い。しかも何を言っているのかまるで分からない。
「……進路の話だ」
わずかに苛立った声で、父親は前を向いたまま続ける。
「高校を受験するときに言ったはずだ。特にやりたいことがないのなら商業か工業の高校へ行けと。
だがお前は進学校へ進んだ。当然、将来を考えてのことなんだろう?」
将来のことなんて考えていない。進学校を選んだのも、父親の思い通りになんて絶対になりたくないという意地だけで入ったようなものだ。
俺にとっては合格した時点でゴールであり、勉強なんてする気も起こらなかった。当然、成績なんて下から数えた方が早いし、大学へ入ろうなどと考えたこともない。第一、父親が許すはずもない。
とはいえ、何か答えておかないと面倒なことになるのは分かりきっている。
「……大学へ行きたいと思ってる」
「大学? どこの」
「まだ決めかねてて、迷ってるんだ」
「迷うくらいの決意ならやめておけ。中途半端に学んだところで、何ひとつ身になるものはない」
……ほらな。この人は何でもすぐに結論を欲したがる。一足す一が二になるような、分かりやすく直線的な答えのある物事など、一体どれだけあるというのだろう。人生がそんなにシンプルなものなら、俺だってこんなにも迷ったりしない──。
それからお互いに言葉を発することはなく、再び黙り込んだまま、車は枯れた道を進んでいった。
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