第5話 女官直前の麗丹

「女官にならないか」

 父は麗丹れいたんに言った。


 なおこれは従兄いとこを失って嘆く麗丹をおもんぱかっての発言ではない。

 彼は自らの姉であるじょとくのことを案じたのだ。


 従兄の死後、明るく振る舞えるほどには立ちなおったが、徐徳妃は体調を崩すことが多くなった。

 なにより後ろ盾となる皇子を失った彼女は、後宮において大きく力を失った。

 本人がそのことを気にしているかどうかは別として、これは彼女の身に危険をもたらしかねない事実である。


 また彼女の生家である徐家においても、出したひんが後宮で力を失うのは大きな問題である。

 今この家を背負っているのは、麗丹の父だ。家族への情が深い人ではあるが、家を背負っている立場である以上、家を守ろうと振る舞うのは当たり前のことだった。


 それに麗丹に対しての情もあるのは間違いない。

 もし家のために家族を犠牲にする人間であれば、きっと麗丹に「妃嬪になれ」と命じただろう。

 もう子を望めないであろう徐徳妃を切り捨て、子を産める麗丹を後宮に送り出す。そして子を産ませるのだ。


 従兄の父である皇帝の、子を。


 けれどもさすがに父は、そこまで非情なことはしなかった。

 問題がないわけではない人だが、彼の愛情に麗丹は感謝している。


 なにより彼の提案は、麗丹の望みを叶えるものだった。

 女官になれば、結婚しないまま生涯を送れる。


 そんな選択肢を与えてくれた父に対する純粋な感謝の気持ちだけを抱えていたかったので、余計なことはしないでほしかった。


       ※


 女官になるには、一般的に試験に通過しなければならない。

 麗丹はその一般的な枠を、標準以上の成果を出してくぐるつもりだった。


 しかし父は、勝手にその試験を免除する方向で動いた。

 早く娘を後宮に送り出し、徐徳妃を支えさせたかったのだろうが、父のそういう自分勝手で説明が足りないところは麗丹が心底嫌うところである。


 試験なしで女官になる道はある。

 だがその場合、結婚前のはくを付けるだけの存在として、なかばお客さま扱いで後宮生活を終えてしまうことになる。


 麗丹はそんな待遇などまっぴらごめんだった。

 女官になるための壁を、彼女は正攻法で乗り越えるつもりだったし、実際それだけの力量を備えている自負はあった。


 しかし麗丹が父の思惑を知ったときには、お客さま女官になるための書類は、すでに提出されてしまっていたのである。

 

したがって、横で見ていた弟が夢でうなされるくらいの激しさで、麗丹は父と大げんかを繰り広げた。

 その果てに、急な病気ということで書類を撤回させたが、その理由だと今年の試験は受けられない。


 結局麗丹は、女官になるのを一年見送ることにした。

 その間、父との関係が悪化するという目も当てられない状態になったが、これについて麗丹は一歩も退かなかった。


 そして一年が経過するころ、不機嫌そうな父にこんなことを言われた。

「お前が手をこまねいている間に、怪しい娘が徳妃さまに取りいって、試験資格を手に入れたそうだ」

「……なんですって?」


 そのあとはまた大げんかである。

 だからさっさと女官になればよかったんだと主張する父と、最初から自分に試験を受けさせていれば今ごろとうに女官になっていたのだと主張する娘と。

 

 弟の安眠を守るためか、そんな二人を母が全力でなだめ、その結果父と母の関係がちょっと改善されたので、世の中なにが吉に転ぶんだかわからない。

 最終的に麗丹は、半ば家出するかたちで母の実家に転がりこみ、そのまま試験会場に突撃したのだった。



 そういう状況だったため、麗丹は気が立っていた。

 ここ大事なところである。気が立っていた。



 父も気に入らないが、正攻法ではないかたちで試験資格を手に入れた女に対しても、麗丹は思うところが大いにあった。

 しかもよりによって隣の席だったのである。

 これでなにも言わずに終わらせたら、それは麗丹ではない。


 だから色々とぶちまけて……以下略、という流れである。


 なお伯母である徐徳妃には、あとで怒られた。

 でもついでに、こじれていた父との関係を取りもってくれたので、この方には身分とか従兄の母であるとか以前の問題で、一生頭が上がらなくなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る