第2話 真桂、語る

 なんでも真桂しんけいの母の父は、高名な学者だったのだという。

 つまり真桂の才女っぷりは、外祖父からの系譜らしい。

 そして真桂の父方の祖父は、商人として財をなした男で、学のある子孫を得たいと願って我が子の嫁に、真桂の母を望んだ。

 おかげで、真桂の母は夫に強く出られたらしい。


「私の母は、嫁いだときに父に誓わせました。決して母以外の女人を迎えないと」

 だからそんなやりとりもできたようだ。


「まあ素敵なお話です」

 えんがにこりと微笑む。紅燕こうえんの反応は「ふうん」と鈍いが、これは彼女の父親が側室を持たなかったので実感が薄いのだろう。

 皇族はもちろん、ある程度の家格の男ですら珍しいことである。

 しかし彼女の場合、母親のほうが父親より身分が高かったとか、父親の体が弱かったとか、あと単に両親の仲が良かったなどの事情が関係して、かなり例外的な家庭環境で育っていた。

 次の真桂の言葉に、一番大きな反応を見せたのはそのせいであろう。


「二年で父は側室を迎えましたが」

 この落差よ。


 紅燕は「んっ」と音を立てて、茶が気管に入ってむせそうになった。

 小玉はそっと背中をでてやった。


 家柄的に「一般的」な父を持つ雅媛も、さすがに笑みを揺らがせはしなかったものの、一瞬目を泳がせていた。

 そんな聞き手の反応に、ちょっと愉快そうな笑みを浮かべ、真桂は話を続ける。


「ただ母は最初からそれをわかっていて、誓わせました。破ったときに有利な条件で夫婦生活を送れるようにするために」

「ずいぶんしたたかね、あなたの母君」

 幸い咳きこまずにすんだ紅燕が、あきれた声で返す。


 彼女の背中を撫でるのをやめた小玉しょうぎょくは、けっこうお似合いな夫婦なのかなと思った。

 夫婦のかたちは人それぞれ。それでまあまあうまくいっているなら、他者が口を出すものではない。


 けれども知りたいことに関しては、口を開く。

「有利な条件とは?」

 話の流れの上でも、必要な相づちである。


 真桂はなにやら嬉しそうに説明する。

「その有利な条件の一つが、娘が生まれたらその養育に口を挟まないことでした。母は学問をしたくてもかなえられなかった人なので、娘が望むなら存分にさせてあげたいと考えてくれていたのです。そのおかげでわたくしは、幼いころから存分に書を与えてもらいました」


 思いのほかいい話になった。

 なにせ真桂は装身具より墨を好む娘である。そんな彼女の充実した子ども時代を、たやすく想起することができて、小玉はほっこりした気持ちになる。


「あらあら、それはそれは」

 つい、近所の子どもを微笑ましく眺める小母おばちゃんみたいな声を出してしまった。


「それはとても嬉しいことですわね!」

 一方雅媛は声を弾ませている。真桂は学問系、雅媛は芸術系という違いはあるものの、似たような分野を愛する二人である。

 共感する気持ちが強いのだろう。こんなに気持ちの高低を表に出す雅媛は、小玉の前ではあまり見ない。

 紅燕の前でもそうなのだろう。なにやらうらやましそうな顔をしている。


 しかし、珍しく高ぶった雅媛の勢いは、それを上回る真桂の勢いにかき消された。

「……そんな申し分ない生活を、邪魔する者が現れたのです!」


 ついて行くのにちょっと難しいくらい、話の緩急が激しい。

 だが幸い、三人ともそれなりに話に引き込まれていたので、やや前のめりになって傾聴する姿勢になる。

「その邪魔者とは?」

 早く続きを聞きたいのか、ごくりと生唾を飲んで、紅燕が問いかけた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る