第3話 心配な、大切な友人

 せいと名づけた明慧めいけいの子は、全体的にちんまりとしているが、すくすくと育った。

 末っ子で武術以外なにもしていなかった明慧と、一人っ子で同じく武術以外なにもしていなかったじゆに育てられているわりに、大きな問題がなかったのは、周囲からの助けがあったからだろう。

 どうやら周囲も周囲でこの夫婦がまっとうな子育てができるのかと心配して、かなり手出しをしてくれていたようだ。

 彼らの発想はあまりにももっともなので、夫婦揃ってありがとうございます……としか思えなかった。


 面倒を見てくれる大人の中でも、誠は小玉しようぎよくによく懐いた。小玉が小さい子どもの相手に慣れていたからだろう。

 郷里ではよく、近所の子どもの子守をしていたのだと小玉は笑う。実際明慧から見ても、彼女は手慣れていた。また彼女の家にはおいにあたるへいがいて、まるで兄のように誠の面倒をみてくれた。

 誠におもちゃの独楽こまを作ってやる小玉の姿を見るにつけ、明慧は彼女の結婚について思いをはせることがままあった。


 ――彼女はきっといい母親になっただろうに。

 その思いは外れなかった。


 明慧にとってはいささか不本意なかたちで。



 ある日小玉が、なんだか死にそうな顔で、後宮に入ることになりました……と告げた。そのとき明慧は大笑いした。文林ぶんりんとなんだか色々とうまくいったのだと思ったのだ。


 だが思ったより、文林は駄目だった。


 多分小玉のほうも色々と駄目だったのだろうが、圧倒的に文林の駄目度が高く、それが小玉の駄目と相まって、二人の関係はもう駄目駄目だった。

 あと明慧としては、個人的に小玉の肩を持ちたいので、とりあえず文林のほうが悪いということにしておく。


 そしてそれが、あながち言いがかりでもなかった。

 なにせ樹華が、自慢のひげをしごきながら、

「あの二人は……大丈夫なのだろうか」

 と首をひねったくらいなのだから。


 あの樹華が、である。

 あの、男女関係には疎い樹華が。

 それ以前に、筋肉以外に関心が薄い樹華が。

 そもそも文林とは直接面識のない樹華が。


 明慧はあまりの意外さに、心底ぎょっとして聞いてしまった。

「なんで、そんなこと思ったんだい?」

「閣下……いや今は充媛じゆうえんが、たいについて語られるとき、首のあたりの筋肉が少しこわばるのが気になってな」

 訂正する。実に樹華らしかった。

 それから明慧は、そんな微細な筋肉の変化にはまったく気づかなかった。



 その後、樹華言うところの「首のあたりの筋肉の強ばり」が無くなったころ、小玉が前触れなく皇后になった。

 前触れがないのはまあわかる。ある種の人事情報だから漏らせないのだろう。


 だが、その結果小玉がしばらく軍の職掌を手放すことになってしまったあたり、やはり文林は駄目なんじゃないかなーと思う日々を過ごしていたある日、

「そこの彼女、あたしと一緒にめん食べない……?」

 すごく聞いた覚えのある台詞せりふと、なんだかすごく深刻な口調で、すごく久しぶりに小玉がお誘いをかけてきた。


 明慧は心底たまげた。明慧の結婚以来、そんなふうに出かけたことはほとんどない。小玉が遠慮していたからだ。

 明慧としては、別に誘ってくれてもよかったのだが、小玉が独身時代とは線引きしていたのでそうなっていた。

 久しぶりのお誘いであったが、うれしい以前にすごく心配であった。なにせ口調が口調である。

 なので明慧は樹華に息子の世話を託して、麺屋に繰り出すことにした。



 麺屋は初めて行ったときと変わらず、場末感が漂っていた。

 味も全然変わらず、適当に作っているときならではのおいしさである。



 ただ店主は年をとった。自分たちも同様に年をとっている……変化している。


 暗い表情で語る小玉の話を聞きながら、昔よりずっと彼女の悩み事を聞くようになったなあと思った。

 それは二人の関係が更に進展したからではなく、小玉の悩みが増え、相談できる相手が減ったからなのだろう。

 彼女のために明慧は、それを残念に思う。


「あたしは、あたしのだんと子どもが幸せなのかはわかんないんですけど」

 口をひん曲げていう小玉に、明慧は苦笑する。

 そんなものは自分にもわからない。ある瞬間、相手が幸せなのはわかっても、長期的に見て幸せなのかはわからないことだ。

 だからそういう場合はご家庭でじっくり話しあわなくてはならない。あの肉体で語るような樹華でさえ、家庭のことについては口を使って真面目に話すのだから。


 そういうことを告げると、小玉はほんのちょっと悔しげではあるものの、納得したようだった。



 それにしても子どもか……と、明慧は小玉の「子ども」に思いをはせる。

 なさぬ仲である子どもを慈しんで育てている、母としての彼女の苦労を思う。そして皇后として、国の母となった彼女のことも。


 ――彼女はきっといい母親になっただろうに。


 そう考えたことを、こんなふうに胸を引き絞られるような気持ちで想起するなど、思いもよらないことだった。



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