第2話 結婚と断絶

 さて、ここから先は二人に語らない内容である。


 家から走り出た明慧めいけいは、そのままひたすら走り続けた。

 もしなにもなければ、そのまま山を一回りして、家に帰ったかもしれない。だがそうならなかったのは、途中で人混みと出くわしたからだった。

 興味を持った明慧はその人混みの中心に目をやり……兵士急募という立て看板を発見した。そしてすぐ募集所に駆けこんだ。


 もしここで担当者が明慧の性別を確認するという手順を踏んでいたら、明慧は考えなおす時間が得られたであろう。

 だが担当者は明慧が男性であると一切疑わず、「念のため」という概念すら浮かばなかった。

 明慧は明慧で、初めてのことなので手続きについては「そんなもん」と思っていた。よって明慧は、その場で採用されたのだった。


 もはや運命的ともいえる展開で、ちよう明慧は兵士になったのである。


 なお性別が発覚したのは、風呂ふろのときに女性用の場所はどこかと明慧が尋ねたことによる。

 担当者は青ざめたが、そのときには書類が受理されてしまっていたので、明慧は放り出されずにすんだ。ただし書類にはとってつけたように性別が加筆されたらしい。


 なかったことにするのは無理でも、書類の訂正程度なら大丈夫なんだな……となんとなく感じいった明慧であった。



 さて、わりと滞りなく軍に入った明慧だったが、明慧にとってそこは、居心地のいい場所だった。


 父の道場と雰囲気が似ていたからかもしれない。

 あそこもむさくるしい男どもが、えいえいおーとかやっていたから。


 だが少し違うのは、女性の姿がちらほら見受けられたことだった。明慧とは担う仕事内容は違うものの、接する機会が多かった。

 明慧に彼女たちは優しかった。

 だがどこか他人行儀だった。

 比較的親しくなった者も、受ける言葉は自分の姉たちからもらっていたそれに近かった。


 それも無理はないかもしれない。明慧と同年代の少女は、このとき同じ場所に配属されていなかったからだ。

 だから彼女たちは自分自身と同年代の女性とよくつるんでいたし、それは当たり前のことだと思っていた。


 ただ、うらやましかったのだ。

 自分にもそういう相手が欲しかった。


 そんな明慧の前に、下手な口説き文句みたいな台詞せりふとともに現れたのが、小玉しようぎよくだった。

 ――そこの彼女、あたしと一緒にめん食べない?

 思いかえしても、変な声かけだなと笑ってしまう。



 なお、たまにふふと笑っている明慧に、復卿ふくけいが「わー、思いだし笑い? やーらしー」とかなんとか言ってからかい、受け身をとれる程度の勢いで明慧に投げとばされるまでが一つのお約束となっている。



 ともあれ、明慧は小玉と友人になった。

 そして人は人を呼ぶもので、小玉と親しくなったことで、小玉の姉貴分であるれんをはじめ、明慧には他の友人もできた(やっぱり復卿は含まない)。

 戦場でも納得のいく働きぶりができている。もちろんもっと高みを目指そうとは思っているものの。

 だから明慧は、現在の自分におおむね満足していた。ただ、それでも興味を持っているものはあった。


 結婚である。


 小玉と会うまでは、父への反発もあいまって「絶対にするもんか」と思っていた。

 だが、それがいつのまにか人として生まれたからには、一度は経験してみたいものだと思うようになったのだから、時間とは面白いものだ。


 明慧がそう思うようになったのは、文林ぶんりんがきっかけだった。とはいえ別に文林に恋をしたわけではない。

 小玉と文林を見て、ある日ふとそのうちこの二人は結婚するんじゃないかと思った。自分でも根拠はよくわからないが、なんとなく頭に浮かんだのだ。


 そうしたら、ちょっとだけ興味がわいてきたのだ。


 とはいえそれは願望というほど強くないものだったから、別にそのためになにかしようと思ったりはしなかった。

 漠然とした興味。それがただ色濃くなっていく日々を送った。

 合間に文林がなにやら皇帝になって部隊を離れ、予想が外れたなと思いながら小玉と一緒に訓練にいそしんでいたある日、初対面の異国人にいきなり求婚された。


「その武勇と筋肉にれもうした! 一緒になってくだされ!」

「その意気やよし! お受けしよう!」


 後で振り返っても、なんで自分がその申しこみを受けたかよくわからない。だから小玉や清喜などに、

「なんであれで引きうけちゃうの!?」

 とか、

「そんな悩みごとあったんですか!?」

 などと詰めよられても、

「そうさね……気分で」

 としか答えようがなかった。


 なお小玉は「そっか……気分か……」で引きさがったが、清喜は納得してくれなかった。



 自分の気持ちはよくわかっていなかったものの、亡命してきたという、らんじゆ(求婚に応じてから名を知った)の監視をする必要があったというのはわかっていた。

 それだったら結婚して一緒にいればいい。監視の目的は達成できるし、ついでに自分の漠然とした興味も満たされる……そんなことを思っていた。


 ……などという、どこか倦怠けんたいを帯びた気持ちは、出産で見事に吹きとんだのだが。


 寝る。泣く。起きる。泣く。食べる。泣く。排泄はいせつする。

 ここまで本能に満ちた生き物を明慧は知らない。

 以前倒した熊ですら、もう少し理性があったような気がする……という錯覚すら覚えるほど、赤子は常に自分の欲求に忠実だった。

 赤子のころ自分がそうだったということ自体が驚異で、そう思うと自分を産んだ母に敬意を覚える……という感慨を抱いている間にも、赤子は泣く。

 しかも泣くときは、この世の終わりのような悲惨さで泣く。


「そりゃあ、赤ちゃんにとっておっぱいとおむつは、世界が滅ぶかどうかってくらいの事態だもん!」

 という名言を吐いたのは、そうとう前に退役し、今や何人もの子持ちという阿蓮である。彼女は明慧にとって頼もしき先輩かつ、偉大なる先生でもあった。


 そんな彼女に紹介された、同じ月齢の赤子の母親とも友人になり、また少しだけ世界が広がった。


 そしてこの時期、明慧は昔いた世界に別れを告げた。

 実家と絶縁したのだ。


 樹華と結婚するにあたって、明慧は一度実家に足を踏みいれた。意外に気づかいをする人間であった樹華が、一度は挨拶あいさつをしたいと言ったからだ。

 そして父親に門前払いを食らった。

 異国人との結婚などもってのほかとか、お前はだまされてるんだとか怒鳴られて。

 そこで門前で粘るような無駄な努力はせず、明慧は樹華を促してとっとと帰った。これで形式的な絶縁状態が完成した。


 その時点で明慧は父親との関係に、ほとんど見切りをつけた。

 生きているうちに和解ができればいいと思っていたが、結局できなかったので仕方がない、という心境である。

 門前払いをされていい気持ちはしなかったものの、どこかさっぱりした気持ちだった。


 それでも子が生まれ、そのことを家族に知らせてはどうかという夫の勧めで、すぐ上の姉に手紙を書いた。

 すると今度は母がその返信に、「父上に謝って戻ってきなさい」と書きそえてきた。

 それを読み、明慧は母親にも見切りをつけた。ここに実家に対し、心情的な絶縁状態も完成した。


 それまで思うところがあったとしても、明慧にとって母は悪い母親ではなかった。疑いなく明慧のことを愛していたし、父にとってはよき妻でもあった。

 ただそれの両立ができなかったのだ。

 もちろんそれは母のせいではない。あの父の妻と、この明慧の母を同時並行で完璧かんぺきにこなすのは、明慧自身「ちょっとそれ難しいな……」と思う案件である。


 ただ、明慧が妥協するにはいささか度を超えているように感じられるくらい、明慧の人生にそぐわないのだということがわかった。

 自分が親になって、親に対する敬意は増していたとしても、それとこれとは話が違うのだ。


 なぜなら謝ることは、自分にはない。

 あるとしたらあの日、父を殴って出ていったことくらいだ。


 少なくとも今、自分の横ですやすやと眠っている赤子と、その父親について謝ることはない。なに一つ。

 そして今の明慧にとって一番大事なのは、この二人が心穏やかに日々を送れるかどうかということなのだ。


「いいのか?」

「ああ、いいんだ」


 だから明慧は気づかわしげな夫にうなずき、「もう二度と会わない」という手紙を、すぐ上の姉に送った。

 彼女からは「そのほうがいいと思う」という手紙が返ってきた。

 それを読み、姉に対しては一度は謝りたいなと思った。

 彼女も、明慧にかかわることで、少なからず人生が変わった人間だ。しかし彼女は、一度も恨み言を明慧に送ったことはなかった。


 彼女ももう、三人の子の母になっているのだという。

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