第11話⑪
美奈子ちゃんは、言葉で表現できることを、丁寧に語り始めた。
私は島の高校を卒業すると、本土の看護専門学校に入学することができたの。二年生の実習で疲れ悩み始めていたころ、本土の教会に行き始めた。日曜日のミサで私は若者グループに声を掛けられ、直ぐに仲間に入れて貰えた。
色々な境遇の人がいたけれど、時々は神父様やシスターが来られるし、そこが安らげる場所になったの。
あるとき、教会の片隅に一人でポツンと座っている男の子に気がついた。グループの中では一番積極的な春子に聞いたら、
「以前から見掛けることがあるけれど、声を掛けようとすると、自分たちを避けるように離れて行ってしまう」
肩をすくめて、仕方が無いわねというポーズをした。
私が教会に行き始めて半年を過ぎたとき、、やはりあなたは一人で教会の隅に座っていた。
教会のステンドグラスから差し込む淡い光の中で、あなたはとても影が薄いように思えた。
その影の薄さに、私はどうしてと小さくつぶやいてしまったの。それは離れたところに座った私が、あなたに掛けた言葉だった。
でもその言葉のつぶやきは、私の心に留まってそして落ちた。
この人は、信司君だ。
落ちてきたという言葉は変だと思うけど、本当に上から落ちるように私の心におさまったの。
昨年の十二月、病院で同じ科の看護師さんの具合が悪くなって、私途中から変わることになった。夜、病院へ急いでいると、バスの停留場のベンチで横たわっている人がいた。それがあなただということも、直ぐに分かった。あなたのことは、私の体の中にすとんと落ちるようになったと、その時感じるようになったの。
近所に知り合いの医師の病院があったので、そこにあなたを担ぎ込んで、医師にあなたのことをお願いして私は病院へ急いだ。
初めて、あなたが赤い屋根のペンションを訪れたとき、野口さんは戸惑ったらしい。
自ら何も語らない青年が、海でレマ島を見つめている。野口さんから声を掛けにくいほど、あなたは堅い鎧の中に閉じこもっていた。
野口さんは、幼いあなたを施設に連れて行ったのを恨んでいるのではないかと心配していたのよ。それに、あなたがレマ島で生まれた信司かどうかも確証が得られなかった。
翌年、再度ペンションを訪れたとき、野口さんは玄米さんから連絡を受けてあなたを確認した。
昨年の暮れに、あなたがペンションを訪れることを、私は野口さんから聞いて知っていた。
ところが野口さんは、あなたが出かけたその日に軽い脳梗塞なり、島の病院は人手が足りなかったので、悪天候だったけれどなんとかドクターヘリは飛ぶことが出来て、私の勤めている病院に運び込まれてきたの。
付き添って来られた奥様から非番で家にいた私に連絡が入ったの。私は、急いで病院に向かった。
奥様から、あなたが吹雪の中を向かっているはずだという話を聞いたわ。あなたの電話が通じないとも。
ペンションの鍵は開けてきたけれど、風よけの扉を開けて中に入れるかどうかが心配だと言って、ご主人のことと、あなたのことを両方心配して、とても辛そうだった。
それで、私が島に向かうことになった。
でも、途中の道が渋滞していて最後のフェリーが出港する時間が過ぎてしまったの。
取りあえず港まで行ってみると、海が荒れていて船は出ていなかった。これは、中止かなと思ったけれど、出港することになった。ついていたと思う。
中止だと思って引き返して行った車もあったわ。
あんなに揺れた船に乗ったのははじめてだった。
島に着いたときにはすっかり暗くなっていて、激しく吹雪いていた。
あなたが誰もいないペンションにたどり着けたかどうか、とても不安になった。
わたしも必死だった。フロントガラスの外は降りつける雪で道が見えにくくなっているし、スタッドレスでも横滑りをしてしまう。
海鳴りが聞こえてくるの。私に何かを叫んでいるようだったわ。でもそれは悪いことを伝えようとしているのではない。私はそのように感じられた。
やっとペンションに着くことが出来た。シャッターの隙間から薄い光が漏れていた。
家に入ると、あなたが居る気配を感じた。
あの落ちる感じに濁りが感じられなかった。きっとこのことは、誰に言っても分からないでしょう。
あなたは、やっと殻を割り始めたのよ。
私は少しだけ足音を立てて歩いた。それは、私の存在をあなたに気づかせるためだったの。
私は一階の食堂で少しだけ眠った。その間に吹雪はおさまり、雪はやんだ。明け方前に外に出てみると金星が黄色く輝いていた。この時間は玄米さんが起きている時間だということは知っていたので電話をして船を出してもらうことにしたの。
私はあなたの朝食を用意してから、レマ島に向かった。
昨年、あなたは玄米さんにレマ島に連れていってもらっている。しかし、そこがレマ島であることをあなたは知ることが出来なかった。
本当の現実の上に立っていても、そこに居ても分かることができないでいたんだわ。
私は教会に行って、お祈りをしている間に夜はすっかり明けた。
それであなたを迎えに行った。
あなたは、やっと私を見ることができる。
でも、私たちはまだ会うことは出来ていないの。
あなたはまだ完全には目覚めていなかった。でもそんなあなたをあなたの祈りが許すはずはなかった。
祈りとはそういうものだと思う。
それは、私の祈りでもあったの。
その日の午後、私は本土に戻った。病院の夜勤だったから。あなたは、まだしばらくは私を見つけることが出来ないことは感じていた。
私は本土に午後もどると、直ぐに病院に行った。野口さんの治療は無事に終わって、一晩で快方に向かっていた。
病院の仮眠室で休んでから、夜勤に入った。
次の日曜日に教会に行くと、あなたは来ていたけれど私と会うことは出来なかった。私たちにはまだ努力が足りなかった。
あなたは、本土に戻ると、倉庫に暮らすことになる。
私たちにとって、そこは、最も相応しいあなたの住まいだったのだと思う。
そこに居るあなたが、両親を失った五歳の時のあなたに見えて、私は一瞬言葉を失った。
私にも見えていない。
そのとき、あなたと五歳の時に行った殉教した子供達のいる牢屋の跡を思い浮かべていた。
あのとき、石碑を見みながらお話をしてくれた、白いワンピースを着た女の人が暫くあなたを見つめていたことを思い出していたの。
その人は、きっと案内をしてくれ人だと思うのだけれど、子供ながらに美しい人だと思った。あなたは泣き出しそうな顔をして話を聞いていたわ。
私が見えていないと思ったのは、あなたに起こっている出来事はあなたの心に起きている世界だと思っていたから。
でも心の世界の問題なんてどこにもなかった。
ないものをあると思っていたことで、スクリーンの向こうにある手の届かない世界に自分が居ると勘違いをしていた。
あなたから島が消えていた。そのときには、私にも島はかたちだけで、有ることはなかった。
玄米さんが私たちの背中を押した。押せる背中がやっと表出したから。
白いワンピースを着た女の人が、最後に言った言葉が私たちの前にあらわれた。
「やがてあなたたちは、ここから出発することになります」
私、あとでレイマさんに、
「あの女の人は誰なの」と、保育所で聞いたことがあった。
レイマさんは、
「さあ誰でしょうね」と、笑っていたの。
『あなたに言わせる』 私は決断した。
あなたの住んでいる倉庫に向かったの。これで、私たちの前に島が表れてくれる。
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