第6話⑥

 島から帰った翌日、一月三日から仕事は始まった。

 三日の日は、新年の挨拶回りを手分けして行うことに例年なっていた。もちろんぼくの行くところは、重要な客の所ではなく、行かなくても特に問題にならない所ばかしだった。行ったところで喜ばれるわけではなく、邪魔者扱いされて早々引き上げるところだってあった。

 しかし、今年はその挨拶回りがなかった。理由はぼくのところまで伝わってこないが、みんな知っているようだった。

 昨年の暮れから、会社の様子がよそよそしくなっているのは感じていた。この日の午後、係長からその理由が伝わってきた。昨年の暮れ、不渡りをだしたのだった。

 倒産も決まっているらしい。寝耳に水だ。ぼくはどうすればいいのだろう。早々と次の仕事が決まっている人もいるらしかった。

 ぼくは人付き合いをしなかったから、遅くまで残業していても、ぼくに重要な話を知らせる人はいなかった。


 次の日、ぼくは部長に呼ばれると、明日から会社に来る必要はないと言われた。

 会社に支払っていた金額は、金融会社への借金に替わるようにしてあげたので、そちらと連絡を取るようにと、ぼくのために気を配ってあげたのだという感じだった。

 一月の給料も退職金も失業保険の話もでないまま、借金だけが残った。

 金融会社に行く。

 頭髪を角刈りに整えた四十代半ばの男性が睨むようにぼくを見て「金利十七.八パーセント、十年の返済で月々十四

万円の支払いだ」と、その詳細の書かれた用紙、振り込み方法と振り込み場所の書かれた用紙を叩きつけるようにぼくの前に置いた。

 それから、ぼくはいろいろな書類を書いて印を押した。死亡保険の書類まで書かされた。ぼくに保証人がいないことが分かると、角刈りの男は、さらにぼくを睨みつけた。

「おまえは人としての価値が全くない奴だ。そんな奴がこんなに借金してどうするんだ。社会の迷惑、ゴミ野郎だ」と、ぼくを怒鳴った。

 テーブルの書類をとると、これをよく読んでおけと言いながら、ぼくの胸を叩くように、その書類を押しつけた。

 ぼくはどうしてよいのか全く分からなかった。相談する人もいなかった。

 生き続けるのは無理だと思う。神様に死ぬことの許可をもらおうと教会に行った。

 誰もいない聖堂のなかは暗く、一番前のベンチに座り、跪いた。

 目の前の磔刑にされたキリスト像が、額と胸から赤い血を流していた。

 幼い頃美奈子ちゃんと行った牢屋で、拷問を受けて死んだ男の子がまた目の前に浮かんできた。その男の子が「アップアップ」と叫んだその声が耳元で聞こえてくる。

 神様は、ぼくが死ぬことを許してはくれないと思う。ぼくは祈り続けることだけしか出来ない。

 外はすこし雪が降り始めていた。何の答えも得られないまま、アパートに向かって歩き始めた。すぐにアパートを解約しなければならない。次に払う家賃代はない。この寒さの中で二日我慢すれば、死ぬことが出来るかもしれないと思った。

 一時間を歩き、アパートに近づいたとき、すっかり暗くなり、雪は吹雪になってきた。ぼくは、アパートを通り過ぎ、さらに歩き続けた。

 どうしてそんなことをしたのか分からない。ただ歩き続けようと思った。苦しさを突き抜ければ、それでこの人生は終わると、ぼくのどこかで思ったのだろう。

 気がつくと、高校時代三年間バイトをしていた、コンビニの前にいた。店の明かりを通して、レジにいる店長が見えた。ぼくはすこし勇気を出して中に入った。

 店長はぼくを見て、驚いた顔をして、

「どうしたのだ。久しぶりじゃないか」と、溜息のような声で言った。

 ぼくは、これまでのことをかいつまんで話したが、幸いなことにその時間、客は入ってこなかった。泣き声になって話している自分を感じていた。

 店長はしばらく考えていたが、こちらに来いと言って、ぼくをレジの後ろにある清掃倉庫に入れた。奥の古びたマットレスを簀の子の上に引いた。

「取りあえず今日は、ここに寝ろ」と、言った。

それから店員服を店の事務室から出してくると、しばらくレジにいてくれと言い、車でどこかに出掛けて行った。

 店長が出て行くと、客が一人、入ってきた。

 そのあと、次から次へと客が入ってくる。あっという間にレジの前に長い列ができた。客が途絶えることなく入ってくる。最初はすこし戸惑ったが、すぐに要領を思い出した。高校時代は毎日していた仕事なので、身体が覚えていた。

 ぼくの前に、こんなに人が並んでいる。ぼくはできるだけ人と関わらないで生きていきたいと思っていた。

 そこに店長が戻ってきて、慌ててもう一つのレジを開いた。

 一時間ほどその混雑は続き、やっと人が少なくなった。この時間にこんなに客が入ってきた経験はなかった。不思議だと思う。

 不思議なことが起こる。しかし、その不思議さは、自分だけしか分からないことだ。

 店長は、客の足が途絶えたところで、ぼくに住み込みで働けと言った。

 清掃倉庫が、ぼくの居場所になった。

 店の清掃、トイレの掃除もぼくの仕事になる。月、手取りで十六万円の給料を出してくれる。

 そこから十四万円の借金は返せる。光熱費代として給料から、月に一万円は取られるが、期限切れが迫った食品は、ただで貰えることになった。トイレの横にある、従業員用のシャワー室も使える。なんとか生きていけるのではないかと思った。

 店長は、店のオーナーでもあるけれど、さらにここから車で十分ほど行ったところで、居酒屋も経営している。そちらのほうも手伝ってもらうことになると、言った。

 ぼくは、日曜日は教会に行くので、休暇にして貰えるようにお願いした。パートがいるので、それは構わないと言ってくれた。教会で美奈子ちゃんと会うことができると思った。

 次の日アパートに戻り、大家さんにぼくの状況を詳しく説明した。八十歳を過ぎた大家さんは、ぼくの話を最後まで耳を傾けてくれた。

 それで、保証金を返してくれると言った。その費用で一回は島に行けるかもしれないと思った。

 持ち出す荷物はわずかしかない。リュックと片手に持った紙袋でぼくの持ち物は全部収まってしまう。その日携帯電話を解約した。

 ぼくはいつも店にいるので、店長はぼくといつも連絡をとることが出来る。

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