恋する大根

天霧朱雀

恋する大根


 私は今、哲学する人参へ向けた愛を、全身の気孔からせっせと排出して小鳥の囀りを真似ている。


「はぁ、愛しの人参」


 他の誰でもない、あの哲学する人参に私は恋焦がれている。赤い根っこの体で、なにやら難しい事を滔々解く人参が愛おしい。私に手と足があったならば、今すぐこの土から這い出て、水分や養分の取得の方法など顧みず、人参の列へとド根性してしまうだろう。


「なぜ、植物たるものに自我が芽生えようと」


 隣の列に生えている愛しの人参には自我があるようで、私以上に植物的光合成をサボって夢想にふけっている。かくいう私も他に育てられているこの一列の大根達に比べればかなり変わっていて、テニスボール四個分くらいイカレタ存在だ。まぁ私に根っこはあっても手足は無いわけですし、テニスボールがどれだけの大きさなのかとんと見当がつかない。いまのはたとえであって、現実的な比較ではないのである。なんて愛しの人参ならそんな哲学的な言葉を並べてまた自分の世界へ籠るのだろう。あぁ素敵。どうして品種も銘柄も違う植物に恋をしてしまったのか。季節外れの花を咲かせ、季節外れの種付けをする。周りの大根には私のように自我がなくてよかった。もしも他の大根に自我があったら、私は大層奇特な大根としてこの畑の多くの植物に奇怪な眼差しを向けられるだろう。大根達からのいじめなんかにでもあってしまったら、純白の私の大根たるプライドはくすんだ灰色と青カビに満ちて、私のか弱いひげ根たちはとたんにしおしおに枯れ果てカイワレ大根と突然変異してしまうに違いない。


「ねぇ、人参。どうして君は人参なのかい」


 この思いのたけを一冊の本にまとめるとしたら、きっと、そう、あれだ。イングランドの劇作家に描かれるほどの名作になるに違いない。大根史上初めての、大傑作。私の妄想も捨てたものではないだろう。諸説あるが私こと大根の出身といったらピラミッド建設時から始まり、世代を重ねてこの日本の山田さんの畑へとたどり着いている。


 畑内の列を超える以上に、種族の違いを超えるのは難しい。種の記憶でミトコンドリアに記憶されているメンデルさんの法則でもないが、人工的に遺伝子に手を加えられた品種改良でなければ大根と人参の末永い繁栄はあり得ない。奇形として間引かれた植物に未来などない。仮に綺麗な花を咲かせたとして、私たちは所詮出荷される運命。絶大なるジェーエー規格から外れてしまえば、我々なんてあっという間に無人販売の小屋へ置き去りにされ狸にしゃぶられるか、干からびるかの運命しか残されていない。だから自我があったとしても、規格外になるわけにはいけない。きっと人参も己の運命を分かってはいることだろう。しかし、彼の人参は哲学をする人参だ。あなたに恋する私と違って、きっと最高に有益でとてもミステリアスな思想を持っているに違いない。あぁ、なんて麗しい姿で生えているのだろう。


 どうか畑の所有者こと農家の山田さん、哲学をし続ける愛しの人参だけは出荷しないで、ここで私の花粉をそっと人参の花に受粉させてほしい。きっと人参は自分の世界に入ってしまって、ちっとも受粉された事や種を孕み始めている事など気が付かず、哲学を続けているに違いない。だってこの間の台風だって、畑が冠水して水抜きされる寸前まで自我の無いしゃべらない他の野菜達でも悲鳴を上げる程だったのに、愛しの人参ったら「自意識の始まりは、」なんてずっとぶつぶつ自我についての考察で周りの変化に無頓着だったんですもの。気が付きやしないだろう。自分の根っこが冠水した雨水によってぶよぶよになっていく感覚を忘れてしまうまでいったい全体人参はなにを考えているんだろう。あぁ、一瞬たりとも夢想をやめない愛しの人参。私も哲学的考察材料になりたくてしょうがない。いったい何がそんなにあなたを駆り立てるのか。この畑で自我を持っているのは、哲学する人参と、その人参に恋をする私だけなのに。私が私であるためなんて、愛しの人参への愛を前にしてはなんの意味も価値も見いだせない。あぁ、そうか、これが人参がずっと自我について夢想している事柄か。恋は哲学、哲学は恋。愛しの人参へ向けた愛は、人参にとっての哲学に違いない。これが存在意義。そして、私が私であるための自我。本質であり命題。


「人参、聞いて。私は私であるための自我の答え、あなたがずっと探している哲学の答えなのよ」


 それでも人参に私の声は届かない。人参はずっと私に気が付かず、哲学をしているのだから。あぁ、神よ。偉大なる神様よ、どうか永遠とは贅沢すぎて望みはしません。しかし、せめて、愛しの人参に答えをお授けください。さすれば私の恋は、スズシロの花を付け、実りを付けるのだろう。

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