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「福分さん、起きてください」

 俺は揺さぶられて目を覚ました。

「次はあなたが当てられる番ですよ」

 亀山がひそひそと声をかけてきている。俺は英語の授業中だと思い出して、慌てて顔を上げた。

 もう遅かった。飛んできたチョークが額に当たって、周りから笑いがあふれた。亀山が隣で肩をすくめて、俺はごまかし笑いしておく。

(いい夢を見ていたような……)

 気になるけど、内容はちっとも思い出せない。嫌な夢はともかくいい夢はすぐに忘れる質なのかもしれない。

 それでも温かい気持ちだけは何となく残っている。俺はそれを胸の奥にそっとしまって、亀山に教えてもらったところから教科書を読み始めた。



 放課後になって俺と亀山が部室へ入ると、明るい声が響いてきた。

「授業お疲れ様!」

 動物園の勝負から二週間ばかりたった今もポンコはアパートで暮らしていて、日中はここで俺を待っている。本来なら神社に帰らないといけないけど、「未来の神主に福を与えることで修行する」という許しをウツシマノミコトにもらった。

「ねえ、今日の授業はどうだった? おいしいものは出た?」

「そういうものじゃないっての」

 俺はいつものようにベタベタしてくるポンコを適当にあしらって、ウツシマノミコトから預けられた日のことを思い出した。「ポンコが望むから預けるだけに過ぎん」「ポンコを泣かせたらわかっているのだろうな?」と随分にらまれた。その辺りにいる親馬鹿と同じだ。

「よう、みんな! 元気ィ?」

 二十木が部室に入ってきた。いつも朗らかだけど今日は特に笑顔いっぱい。

「フクとポンは相変わらず熱いねぇ。タヌキって一度に何匹くらい生まれるのかねぇ」

「な……!」

 俺は硬直したけど、ポンコは理解しているのかどうかわからない顔。

「平均五匹くらいだよ。中には十匹以上生ん」

「答えなくていい!」

 すぐさま俺はポンコを止めた。二十木は構わずに亀山の肩を抱く。

「カメはいつ見てもかわいいねぇ。もうあたしの嫁ってことにしようか」

「冗談はやめてください!」

 亀山は二十木の手をはねのけて、じっとりした視線を送る。

「一体何を浮かれているんです?」

「よく訊いてくれたね。全員あたしにおめでとうと言っていいよ!」

 二十木は彼女自慢をしたがっている男子生徒にも通じる様子だった。

「大学への進学が決まったよ!」

 この高校の生徒は、成績や素行がよっぽど悪くないかぎり希望すればエスカレーター式で姉妹校の大学へ行ける。二十木が希望している学部は定員に縛られやすいところじゃないし、そもそも二十木の成績はいいから、驚くほどのことじゃない。

 それでも俺と亀山はご希望どおりに「おめでとうございます」と言っておいた。少なくとも受験勉強から逃れられて楽だということは間違いない。ポンコだけは精一杯に拍手して「おめでとー!」と叫んでいたけど、本当に意味がわかっているんだろうか。二十木自身は気に留めず照れた顔をして、亀山の肩を叩く。

「そんなわけでさ、カメ。これを機会に部はあんたへ任せるよ! 今日からあんたが部長ってことで!」

 部に在籍している長さを考えると妥当なところ。俺はそう思ったけど、当の亀山は表情を失っていた。じわじわと嬉しそうな顔になる。

「それは本当なんですか? 部長の地位に延々と居座りたいのでは?」

「あんだと?」

 途端に二十木が鋭い目をし始めた。亀山は慌てて首を振る。

「い、いえいえ! 後はわたくしにお任せください!」

 ポンコがまた「おめでとー!」と言い始めて、今度は亀山が照れた。俺は幹部交代がこんなに軽く行なわれていいのかと思うところもあったけど、状況を見るに固いことは言いっこなしだ。

「こんにちは」

 次に部室へ入ってきたのは黄宮だった。その前に二十木と亀山が並ぶ。

「あたし、大学進学決定!」

「わたくし、部長です!」

「おめでとう」

 無表情で淡々と答えた黄宮だったけど、いつもこうなので二十木も亀山も気にしない。

「私、今日もバイト」

 黄宮は荷物を置きもせずにきびすを返して、ドアを閉ざして立ち去ってしまった。この部は「来たい日が活動日」なので咎められることはない。

 ここのところ黄宮は何日かに一度のペースで福狸神社に行って、四矢の下で働いている。年末年始じゃないからやることは雑用ばかりだけど、あんな世界があると知ったからには少しでも近くにいたいみたいだ。何にしても充実しているならいいことだと思う。

「耳の後ろこりこりがない……よ?」

「そーなー」

 ポンコが俺をちらちらと見始めた。俺はすぐに目をそらしたけど。

 ドアがノックされた。二十木が返事をしかけて、亀山をひじでつつく。

「ど、どうぞ」

 亀山が咳払いしてから答えると、ドアがゆっくりと開けられた。女子生徒がおずおずと入ってくる。名札には一年二組と書いてあった。

「あの……占ってほしいことがあるんですけど」

 二十木はすぐに亀山の背中を押した。

「じゃあ部長の指揮の下で活動しようかねぇ」

「わたくし、ですか……?」

 亀山は嬉しさと緊張の入り混じった顔で大きくうなずく。

「では、相談したい方の希望に沿って占いをします!」

 鞄からタロットカードを取り出す。やる気は十分だ。女子生徒はしばらくうつむいてから話し始めた。

「彼にプレゼントしたいものがあるけど、どれにしたらいいか決められなくて……だから、メモ即興占いを……」

 メモ即興占いというのは俺がやる占いのこと。気が付いたら生徒の間でそう呼ばれていた。

 亀山がガクッとうなだれて、二十木は笑いながらその頭をなでる。

「フクだってもう部員なんだから、しっかりやってもらおうじゃないのさ」

 言われたとおり、俺は占い部の正式な部員になった。だからときどき占っている。廃部の危機も二十木が完全に姿を消す今年度末までは脱出だ。

(さて、今日はどう占おうか)

 俺はプレゼントの案を聞きながら、どんな占い方にしようかとさっそく考えていた。

「それなら……」

 ポケットからメモ帳と鉛筆を取り出して、思いついたことを書く。


〈ワ○ピース→手作りのお菓子 ナ○ト→手編みのセーター 暗○教室→市販のマグカップ〉


「今からこの雑誌を適当に開いてもらって、どの漫画が出てくるかで占う」

 俺は二十木がいつも買ってくる雑誌を女子生徒に差し出した。メモした三つ以外の漫画を開ける、なんてことは考えてもいなかった。ありえないと確信していた、と言ってもいいかもしれない。

(さあ、どうなるかな)

 俺は女子生徒の行動を笑顔で見守った。当人はここに来たとき緊張した顔だったけど、方法が方法なのでだんだん気楽な様子になりつつあった。目をつぶってページをめくり始めたときにはほほ笑みすらこぼしていた。



 文化祭直後ほどじゃないけど、相談しに来る生徒の数は前より多い。俺もそのうちの何人かを占った。

 下校時間になったところで、俺は部室を出た。ポンコはいつも下校時に透明状態でついてきて、アパートにたどりついたところで姿を現す。

 俺が自転車通学だからだ。徒歩にしたらポンコは学校から多少離れたところで出てきてくれて、並んで帰ることになるんだろうか。俺はときどきそんなふうに考える。

 アパートに帰り着いた俺は、すぐ料理に取りかかった。ここのところ自炊にチャレンジしている。食事する者の数が増えたんだから倹約しないといけない。できあがったカレーはやけに薄味だったけど、ポンコは文句を言わずに食べてくれた。

「今日も楽しかったね!」

 ポンコが皿洗いを終えて居間に入ってきた。今のところ、食器を洗うのはポンコの分担。いずれポンコにガスコンロの使い方を覚えてもらって、食事の準備から片づけまで分担するつもりだ。かまどとかでの料理はできるそうなので、現代的な道具も慣れれば使えるはず。

 俺はソファーに座ってノートパソコンでネットをしているところだった。ポンコは俺の横に腰を下ろして、持ってきたビニール袋をテーブルに置いた。

 カレーだけじゃ足りなかったんだろう。中から取り出したクリームパンの袋を開ける。

 帰りがけにスーパーへ寄ったとき、一時的に姿を現したポンコが「ボク、くりーむぱん!」と要求してきた。言われたとおりに買ったパンだけど、ポンコはそのままかじりつくんじゃなくて半分に千切った。

「はい、リョクの分!」

 一方を俺に差し出して、もう一方を食べ始める。

「ありがとうな」

 俺は遠慮なく受け取って食べた。最後の一欠片まで飲み込んだところでポンコを見ると、熱い視線をビニール袋へ注いでいた。

 別にビニール袋が好きなわけじゃない。好きなのは中に入っているもの。

(俺もメロンパンを選んでいたっけ)

 俺はクリームパンを分けてもらったので、中からメロンパンを取り出して半分に千切った。

「ほれ、半分」

「ありがとー!」

 ポンコは嬉しそうにメロンパンを食べ始めた。俺は食い足りないわけじゃなかったけど、ポンコにつられて自分のメロンパンを食べた。メロンパンを片づけたポンコは俺を見て「おー」と声をこぼす。

「ご飯を食べてから、ぱんを一個分食べられるんだ」

「お前もだろ。俺だってガキじゃないんだから、このくらい食べられるっての」

「そうだよね、もう大きいんだし」

「何だよそれ」

 俺は自分が何か思い出しそうだと気づいた。喉の奥まで来ているのに、出てこない。

 ポンコは俺を見ながらにこにこしていた。どこか思わせぶりにも見える。

「内緒!」

「へえへえ」

 俺は適当に流したけど、ポンコが内緒と言うのは初めてじゃないことに気づいた。

「そういや、お前は占ってほしいことがあってここに来たんだろ。何を訊きたいんだ?」

 今の俺なら占うことができる。でもそれを終えたらポンコはここにいる理由が一つ減ると思うと、何だか心配だった。かと言って占わないでいるのも落ち着かない。

「ええとね」

 ポンコは笑顔を崩さずに答えた。

「どんな福を分けたらリョクが幸せになれるかって!」

(そんなことかよ!)

 俺は呆れながら嬉しく思った。神使として実家の神社にいたポンコはずっと俺を守ってくれていたんじゃないか、なんて気もした。

 ありえないとはわかっている。ポンコは神主の家族でしかない俺の専属みたいになる必要なんかないはず。でも期待のようなものがわく。

 俺はいろいろなことを考えてしまいながら、またパソコンを操作し始めた。

「わざわざ占わなくていいことだろ」

「えー、どうして?」

 すぐにポンコは子供のごとく頬を膨らませた。俺はそんな様子を鼻で笑う。

「じゃあ、自分で占ってみたらいいだろ」

「ボクにできるかな」

 ポンコは首をひねってから、その辺りに置いてあったテレビのリモコンを手にした。

「じゃあ、りもこん占い! どのぼたんを押したらてれびがつくかで占う! 選択肢はこれとこれとこれ!」

 指さしたのは〈選局〉と〈入力切替〉と〈戻る〉。俺は苦笑いしてしまった。

(福ならもうとっくにたっぷり分けてもらっているっての)

 俺はこっそりと考えながら、どれでどういう占い結果なのかを聞いた。


 完

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天才占い少年の俺と福を分けるタヌキ 大葉よしはる @y-ohba

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