5-2
「これは方向を示しているんだ! 〈俺の勝ち→〉の絵は右を向いているから、右の玉にポンコが閉じ込められている!」
ガラス玉は俺から見て真正面に三つ、右に一つ、左に一つ。きっと〈引き分け→〉のところにある絵は上じゃなくて前を示している。
もし占いが外れていたら、一つ一つ調べる時間が必要になる。その間に目玉が四矢たちの隙を見つけて襲いかかってくるかもしれない。
「俺なら絶対当たる……!」
俺は自分への疑いを振り払って、ガラス玉の一つに駆け寄った。右のガラス玉へ。
近づいてもポンコの声が響いてきたりしない。代わりにウツシマノミコトの声が聞こえた。
『玉を選んだのなら、すぐに割れ!』
言われたとおり、持ち上げてアスファルトに叩きつければいい。
叩きつけることはできなかった。かがむこともガラス玉をつかむこともできない。激しい痛みが全身に広がっていて、まともに動いたりできない。
(飛沫を浴びたせいだ)
その隙に、四矢たちの射撃をかいくぐった目玉が俺へ突っ込んできた。四矢はすぐ目を動かしたけど、他の目玉の突進をかわしたところだったので矢も銃弾も向けられない。
(動けないなら……)
俺はポンコが来た日の夜を思い出した。
(……あのときみたいに膝枕してもらう!)
落ちているガラス玉へ、頭から倒れ込む。
額の下で玉が割れた。こっちも痛かったけど、その程度の硬さでよかった。
ガラスのひやりとした感覚は一瞬だけ。内から温かいものがあふれる。中から飛び出してきた者は残念ながら膝枕の姿勢じゃなくて、俺と目玉の間に立つ。鈴の音が聞こえた。
「リョクにひどいことなんかさせない!」
放られた編み笠は宙に浮かんで、目玉を盾のごとく受け止める。あふれた粘液はアスファルトをひび割れさせたけど、俺たちには飛沫の一滴も来ない。
「ボクを見つけてくれてありがとう!」
小柄な体。タヌキの耳と尻尾。巫女の装束。ポンコはあの日と同じ姿で振り返って、俺にほほ笑む。
「まずは魔物を倒さないとね」
俺は感極まってしまいそうになった自分を抑えた。のんびりしていられない。
「これだけいる目玉を一つずつつぶしていたら日が暮れる! 弱点を突くんだ!」
「リョクは何が弱点か知ってるの?」
「いや、そうじゃない」
弱点なんか知らない。でも俺は、弱点が何かわかっているような気がしていた。
『汝は既にやつの弱みをつかんでいるのであろう。ポンコに伝えてみせよ』
ウツシマノミコトからも声が届いた。さすがに神なだけあって、とっくに弱点を見抜いているのかもしれない。
(占ったときの俺は、ポンコを取り戻せるように願った。魔物もその障害だから、もう一つの結果として弱点も占っていたんじゃないか?)
あの占い結果が「右のガラス玉」だけを示しているのなら、あんな絵じゃなくていい。「右」という漢字一文字だけでよかったはず。
目をどうにか動かして、メモ帳を見る。〈俺の勝ち→〉の横にあるものは右を向いた△○□と、それらを貫くもの――ビーズアクセサリーのごとく連なった○。
(本当に、もう一つの意味なんて……いや、ある!)
俺はわいてきた不安を懸命に押し返しながら考える。
「何見てるの?」
ポンコがメモ帳をのぞき込んだ。
「おでん? これが終わったら食べたいね!」
「俺と同じようなことを言うな」
俺はとっさに答えて、稲妻のような閃きに貫かれた。
「この三本は、おでんなんだ!」
今の亀山に顔があれば間違いなく鼻で笑われる。俺は確信したけど、冗談を言ったつもりはない。
「問題は、三本の違っているところ! 串だ!」
直線か、連続した○か、連続した□か。まるでなぞなぞだ。
「〈俺の勝ち→〉のおでんを貫いているものは丸じゃなくて玉! 玉が串になっている……つまり玉串が弱点だ!」
「これ?」
ポンコは巫女舞のときに使った玉串をたもとから取り出した。
その途端に、目玉たちは動きを止めた。そして今までとは逆方向に飛んでいく。空にいたものも俺たちのそばにいたものもだ。正気を失っていても最大の弱みに対する恐怖はあるんだろう。
「逃がさないよ!」
ポンコは玉串をたもとに戻して、大きく跳んだ。一番近くにいた目玉へ迫りながら、玉串の代わりに取り出した葉っぱを頭に乗せる。
ぽぽん!
変化したのは、緑の榊に白い紙垂を付けたもの。玉串だ。
「玉串をこんなふうに使うのはお行儀が悪いけど……!」
自らを振り下ろして、葉の部分で黄色っぽい白目をはたく。
「いい思い出、ボクの霊力で膨らませるよ!」
ポンコが叫ぶと、目玉は砂のように崩れ始めた。俺の脳裏にはセピア色の風景が映る。
その人物は、老いて横になっていた。
随分長いことそうしている。手も足も自由が利かず、声もうなるようなものしか発することができない。耳も聞こえず、人が話していても口をぱくぱくさせているとしか思えない。
自らできる行為は、ぎょろりと目を動かしてものを見ることくらい。それすらも、少し離れただけでぼやけた姿になる。ベッドのそばにテレビがあるけど、影のようなものが画面で動いているだけにしか見えていない。
ときどきそばに寄ってくる者がいる。世話をする者だ。大抵は笑顔で接してくるけど、ありがたいとは感じない。辛うじて見えたほほ笑みはにやつきと思えて、「こんな自分がおかしいか」と言いたくなる。
楽しいことは何一つとしてない。この状況がいつまで続くのかはわからない。
あるとき、テレビに映ったものがあった。はっきりと見ることはできなかったけど、懐かしい動きをしているような気がした。子供のころ、家族と何かの行事で見た巫女舞。
世話人は懐かしさのあるものだと知っていたから映してくれたんだろうかと、温かい感情がわいてきた。でも喜ぶところを見せれば「こんなどうでもいいことで喜んでいる」とからかわれそうな気がして、優しい気持ちはすぐに消えていった。
(そうとは限らないだろ。やさぐれてもいいことなんかない)
俺が過去の風景から戻ってきたとき、他の目玉も連鎖的に崩れつつあった。
目玉の全てが風へ溶けるように消えて、空の色は夕に戻った。俺の体も痛みが消えて、元どおり動くようになった。
「終わった……」
俺が疲れ果てながら上体を起こしたとき、元に戻ったポンコが着地するところだった。
「リョク……!」
やっぱり霊力送りで消耗したのか、ポンコはふらついている。それでも走ってきて、俺の胸に飛び込んだ。
「リョク、リョク……!」
しきりに俺の名を呼んで泣きじゃくる。俺もそうしたい気分だったけど、亀山たちの目があるので堪えた。でもポンコの頭をなでてやるくらいはいいはずだ。
柏手が聞こえた。空でウツシマノミコトが手を叩いていた。
同時に、目玉の粘液で朽ちていたアスファルトが元に戻った。きっと他の壊れたところも同じように直っているんだろう。
「人間どもは、このようなことがあったと知らん方がよかろう」
もう一度叩くと、四矢のそばで浮かんでいた弓やボウガンが人の姿に戻った。
「よかったです……!」
「霊感が働くのはいいけど、年中は勘弁してほしいね」
亀山は喜んで、二十木は苦笑い。黄宮だけはうなだれる。
「面白かったのに……部長たちも元に戻って……」
四矢はふうっと息を吐いて、ウツシマノミコトがタヌキたちと一緒にそのそばへ下り立つ。
「福分緑、よくぞ占の力を取り戻した」
ウツシマノミコトは陰のない言葉を俺にかけてくれた。
「汝が失っていたものは、汝が看破したとおりだ」
すまし顔ではいられなくなった。ポンコが俺から離れて、ウツシマノミコトへ突っ走っていったからだ。
「ウツシマノミコト様ぁー!」
たもとから取り出したものはパン作りに使う伸ばし棒だった。両手で持って振り上げる。疲れているはずだけど、止まろうとはしない。
「本殿でぎゅっとしてきたの、すごく痛かったんだから! 何日か前のはボクが怒られてたから仕方ないけど!」
俺たちが驚いているうちに、容赦なく振り下ろす。
「待て……!」
ウツシマノミコトは伸ばし棒を受け止めたけど、ポンコは二振り三振りと続ける。
「リョクにも意地悪して! いくら偉くても駄目なんだよ!」
「だから待て! 我にも考えがあった!」
ウツシマノミコトはされるがまま。俺たちを威圧してきたときとは別人のようにたじろいでいる。
「そんなことするウツシマノミコト様なんか嫌い!」
「くぁっ!」
ポンコが言い放つと、ウツシマノミコトはよろけるように座り込んだ。
「我が神使が……我を嫌うだと……?」
そうなるとポンコも手を止めたけど、俺と亀山たちは言葉を失ってしまった。
(怖い姿ばかりじゃないとは思っていた。でも、ここまでだったのか)
俺はポンコに初めて会ったとき、神社を離れていいのかと訊いた。そのときポンコは平然とした顔で大丈夫だと答えた。ウツシマノミコトが一方的なだけの神じゃないからこそだ。俺がそれに気づいたのは、終わりがけの動物園に行った一昨日。そうじゃなかったら、あんな占いを提案できない。
「どういうことなんだい?」
最初に声を発したのは二十木だった。
「福狸神社の神様って言えば、タヌキを泥舟で沈める怖い神様じゃ」
「それは誤解だ」
四矢は断言して、ウツシマノミコトの肩に触れる。
「そう落ち込まないでください」
「慰めはよせ……我は駄目な神だ。神使一匹守ることができず、今もりいだあしっぷを保つことができていない……」
ちっとも立ち直る様子がないので、四矢は俺たちに顔を上げた。
「もう気づいているかもしれねえが、福狸神社の昔話に出てくるタヌキはただ爺さんを慰めに行ったんじゃねえ。爺さんに取り憑いた魔物の活動を見張るため、近づいたんだ」
俺はその辺りに気づいていたけど、亀山たちは驚いていた。四矢は話を続ける。
「そのタヌキは独断で行動したが、ウツシマノミコト様は咎めたりしなかった。むしろ倒す策を与えた。爺さんに憑いた魔物の弱点は水だから水中戦に持ち込めば勝てる、と」
そこから先は昔話と全然違った。
「タヌキは魔物を抱えたまま船に化けて、湖へ突っ込んだ。真ん中で変化を解けば、そのまま水につけられるしな。だが、魔物も黙ってやられなかった。タヌキの船を泥に変えて、相打ちに持ち込んだんだ」
いろいろな神使に聞いた話だと四矢が付け加えて、俺は黙っていられなくなった。
「間違った形で現代に伝わっていることを、どうして正そうとしないんですか?」
ウツシマノミコトはうなだれたままで答える。
「我の策で命を落としたことは事実だ」
俺はタヌキが処刑されたんじゃなくて魔物にやられたんじゃないかと考えていた。でもウツシマノミコトがここまで気に病んでいるとは思っていなかった。
「ウツシマノミコト様って、神使みんなに優しいもんね」
ポンコがつぶやくと、ウツシマノミコトはいきなり立ち上がった。
「ふふ、それほどでもない」
すごい立ち直り方だ。俺は驚いたけど、訊きたいことはまだある。
「俺のことでも、一芝居打ってくれたんですね?」
「そのとおりだ」
ウツシマノミコトは俺にうなずく。
「ポンコが勝手に汝のところへ行ったからな。以前のことと重なる部分があるので、ちょうどいいと思った」
つまり、俺に発破をかけてくれたということ。四矢が動物園の魔物を俺に見せたのも、刺激を与えることが目的だったのかもしれない。
「汝はヨツヤたちと同じく我が友になってもらわねばならん。我にとっての友とは、永き退屈の中で楽しみを分かち合う者のこと。つぶれてもらっては困る」
ウツシマノミコトは四矢に不敵な笑みを送った。いかにも日本神話っぽい衣褌じゃなくて神主っぽい姿なので、神社にいるときの四矢と並べばおそろいの服を着ているように見えるかもしれない。俺はそんなことを考えて、四矢や親父が祭事のときに使う言葉を思い出した。
「我が友、古の霊樹」
霊樹とは福狸神社で御神体とされている老樹のこと。御神体とは祀られている神が人の世で依り代にするもののことだ。
ウツシマノミコトは和んでいる俺に気づいたのか、すねたように目をそらす。
「我ら神は人間の信仰がなければ存在できんからな。仲立ちする者の行く末を案じるのは当然のことだ」
それだけじゃなくて人間自体を好いているんだと、俺には理解できていた。ウツシマノミコトは子供が好きな動物をよく知っていたし、観客が喜ぶと満足そうにしていた。
(俺の占いも、誰かと一緒に楽しむもの。そんな人間と神様で仲よくなれるってわけか)
ふと目をやると、ポンコが俺を見上げていた。輝くような笑顔でだ。
(こいつだって、俺を楽しい気分にさせてくれた)
俺はやっぱり亀山たちの目が気になっていたけど、今度はポンコにほほ笑み返すことを堪えられなかった。
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