5-1

『本日はお楽しみいただけましたでしょうか。当園は間もなく閉園時間となります』

 園内放送が響くなか、俺たちは獣舎の裏に急いで集まった。亀山と二十木は「早く元に戻して」と言いたげな顔をしている。調子が出ていたけど片が付いたら正気に返ったのか。

「勝負は終わった。占いの結果を聞かせてもらおう」

 ウツシマノミコトがそう言ってきたので、俺は笑顔で答えた。

「その前にお礼を言わせてください。想像どおりに楽しかったです」

「何だと?」

 すぐさまウツシマノミコトが意表を突かれた顔になった。俺は平然と続ける。

「別に、俺が勝ったらポンコを返してもらえるなんて話じゃなかったですし。俺は純粋に勝負を楽しみたかったんです」

「つまり、神である我を座興の種にしたと?」

 神からにらまれるのはおっかない。さすがに俺はたじろぎかけた。

「俺が楽しんでいたのは事実です。ウツシマノミコト様も楽しんでくださったなら嬉しいんですけど」

 ウツシマノミコトは目を丸くした。だんだんヒートアップしていたのは俺たち全員が見た。ウツシマノミコトも言い逃れなんかしない。

「我が楽しんでいたことは認める」

「それだったんだと思うんです。俺に必要なものは」

 俺は今までにやってきたいくつもの占いを振り返った。小学生までの間に友達から頼まれてやった占い。中学生になってから当たれ当たれと必死に念じつつやった占い。そして文化祭の宝探し占い。

「俺の占いに何が欠けてしまったのかって、この前からずっと考えていたんです」

「なるほどな。して、汝から何が欠けていた?」

 ウツシマノミコトの表情は最初と随分違った。人間を嘲るものでも恐ろしい神の怒りを示すものでもない。パンダと子供たちを見たときに映した笑顔。余裕を持って見守る笑み。

「それは……」

 俺は答えようとして、口を閉ざした。

 おかしな気配がある。何日か前にここで感じたものと近い。ただし、こっちの方が明らかに重い。明らかに大きい。

「何かいるな」

 ウツシマノミコトがいら立った目になった。園内のあちこちからは動物の戸惑った鳴き声が聞こえる。そうしない動物は、きっと獣舎の隅で小さくなっている。

 ここにいるタヌキたちも、後ろ足だけで立って落ち着きなく周囲を見ている。亀山と二十木も不思議そうな瞳だった。

「ここまで変な感じがしたのは初めてです!」

「嘘だろ? あたしにもわかる……!」

「きっとタヌキになっているから」

 黄宮がつぶやいた。タヌキというかウツシマノミコトに力を借りた状態だからだろう。

 四矢はじっとして気配を探っていたけど、ついに顔を動かした。空へと。

 今、夕方の五時前。まだ十月なのに、空は随分暗くなっている。

 丸いものがいくつも現れた。俺はそれが何なのか気づいて全身に鳥肌が立った。

 目玉。動物園上の暗い空に無数の目玉が浮かんでいて、地上を見下ろしている。白目の部分は病的な黄色に濁って、そのうえ血走っていた。

「魔物? こないだのやつの他にもいたのか!」

 俺は思い出した。先日、動物園から帰ろうとしているときにポンコが不思議そうな顔をしていた。動物園の中にまだ魔物の気配があるからだったに違いない。

「この場所自体にこっそりと憑いていたんだ」

 四矢は答えながら辺りを見渡した。親子が駆け足で通り過ぎていく。

「早く帰らないと正門が混むよ!」

「おなかすいた」

 急いでいるのは魔物がいるからじゃない。閉園時間だからだ。

「暗くなったところや目玉の姿は一般人から見えていないとしても、あんなのが近くにいたら霊感がないと誤認するほど霊感の弱い者でもゾクッとしそうだが」

 四矢が不思議そうにつぶやいて、閃いたように指を鳴らす。

「ああ、ウツシマノミコト様の結界があるからか」

 勝負の奇妙さをごまかしてくれた結界は、魔物がいることの違和感も隠してくれている。ウツシマノミコトはそんな状況を理解したのか、短く笑う。

「おそらくやつの目的は、人間どもの恐怖をすすること。先日ここで魔物が力を溜めて暴れたそうだが、あいつは更に力を蓄えていた。しかも逢魔が時だ」

 つまり魔物にとって有利な状況。そのはずだけど。

「満を持して現れたのに人間がおびえもせんのでは、さぞかし腹を立てているであろうな」

 言われたとおりだったのかもしれない。いくつもの目玉が大きくなり始めた。

 大きくなっているんじゃなかった。隕石のように振ってきて、俺たちへ近づきつつある。

「実力行使に出たか!」

 ウツシマノミコトはアロハに短パンから神主のような姿へ一瞬で戻ると、空高くへ舞い上がった。タヌキたちも飛んで、後に続く。

「我が前で戯れようとはな」

 タヌキたちがウツシマノミコトの周囲を飛び回って、後に引いた光の帯で陣を描いていく。

「退け!」

 ウツシマノミコトが両手を広げると、陣が空いっぱいに広がった。全ての目玉を受け止める。

「我がいることには気づいていたはずだが。余程自信があるのか、それとも余程愚かなのか」

 目玉は神の力を目の当たりにしても全く引こうとしない。ウツシマノミコトは軽く笑う。

「なるほど、阿呆か。溜めた力に振り回されている」

 タヌキのままの二十木は、犬歯をむきながら空をにらんでいる。

「あんなのが……これからどうなっちまうんだい?」

 亀山は尻尾を腹に引っ込めていた。

「か、神様がいるんですから、大丈夫に決まっています!」

「ここ、危ない」

 黄宮が不意に声をこぼした。

「逃げて!」

 いつも静かな少女と思えないくらいに甲走って、俺と四矢はタヌキ化している三人をかばいながら身を投げ出した。どこかから飛んできたものが俺たちの立っていたところを通り過ぎて、空っぽの獣舎へ当たる。

 割れて、粘液のようなものが飛び散った。それを浴びた木材は朽ち、鉄は錆びる。コンクリートでさえひび割れた。

 飛んでいるウツシマノミコトや壊れた施設を見た一般人は、結界のお陰で平静を保っているかもしれない。でも空ではウツシマノミコトが苦々しい顔になっていた。四矢も起き上がりながら舌打ちする。

「随分と自分を分けていたみてえだな」

 俺たちの周りに、空にいるものと同じ目玉がいくつも浮かんでいた。アスファルトから次々にわいて、恐ろしげな視線を俺たちへ向ける。

「その者たちに手を出すな!」

 ウツシマノミコトが叫ぶと、空にいる目玉のいくつかが陣を通り抜けた。陣の隙を見つけたのか。

 拘束を逃れた目玉はウツシマノミコトへぶつかっていく。俺たちやウツシマノミコトが最初に排除するべき障害だということくらいはわかるんだろう。だから俺たちに狙いを定めている。

「下種が!」

 ウツシマノミコトは片手を広げただけで目玉を破裂させたけど、飛び散った粘液をいくらか浴びてしまった。

 ダメージは受けていない様子。ただ、たもとが崩れて四角いものがこぼれた。小さな箱だろうか。俺たちから少々離れたところに落ちていく。

「余計なことを……!」

 小箱を見たウツシマノミコトが歯ぎしりして、四矢は視線を周囲に注意深く動かす。

「油断も隙もねえやつだ。さすがは目」

 ウツシマノミコトが俺たちに手を割けば、空にいる無数の目玉が落ちてくる。ここにはまだ客が残っていて、動物園のスタッフも働いていて、動物たちは獣舎の中にいるせいで逃げることすらできないのに。

「だが倒す方法はある。弱点を突くことだ。ここまで不安定な魔物なら、それだけで全てが滅ぶ。ばらけていても幸せの記憶は伝わっていくからな。ただし人間が弱点に化けても、強力な魔物を一度に滅ぼすだけの霊力を送ることに耐えられねえ」

「それなら……!」

 俺は四矢の言葉を聞くなり駆け出した。

「危険です!」

 亀山の声が聞こえたけど、止まっていられない。空ではウツシマノミコトも陣に注意を払いながら俺へ目をやっていた。

『リョク、先程のものには』

「そんな気がしました!」

 俺は念話のようなもので話しかけてきたウツシマノミコトに即答した。浮かんでいた目玉は俺に容赦なく飛んでくる。神のウツシマノミコトだからあれだけで済んだけど、人間の俺が食らったらどうなるかわからない。

「やられてたまるか……!」

 転がるようにしてかわすと、目玉はアスファルトに当たって粘液を飛び散らせた。

 俺は米粒より小さな飛沫が手の甲に少し付いた程度だったけど、生まれてから今までで味わったことがないほどの痛みを感じた。そのうえ激しい脱力感もわいてきた。

(肉体にも霊体にもダメージってところか。だからって負けるか!)

 いろいろな苦痛を堪えて立ち上がった。でも俺の周りにはもう目玉がいくつも漂っていた。

「今助ける!」

 四矢と亀山たちが俺を追ってきていた。四矢はタヌキ化したままの三人を見下ろして、いたずらっぽく笑う。

「せっかくタヌキになっているんだ。力を貸してもらうぞ」

「フク先輩を守る」

 黄宮はすぐに答えて、亀山は恐怖にためらった顔ながらうなずく。

「やらざるを得ないみたいですね」

 二十木はもうやる気みたいだった。

「部員の命が懸かってるんだ。どうしたらいい?」

「こうするんだ!」

 四矢は取り出したお札を三人の額に貼った。

「お前たちの変化能力を、俺の霊力でコントロールする!」

 すぐさま印を切る。

「我が友、古の霊樹。その御名において命ずる!」

 亀山たちの姿がまた変わった。ただし勝負をしていたときとは随分違う。亀山がボウガン、二十木は猟銃、黄宮は白い弓。どれも宙に浮いている。

「一斉射撃!」

 四矢が告げるなり、亀山たちはそれぞれに矢や銃弾を放った。目玉を撃ち抜いていく。攻撃を浴びた目玉は粘液を飛び散らせることなく塵と化す。

「リョク、俺たちが援護する! やることがあるなら急げ!」

「わかりました!」

 また走り始めた俺に、目玉は何度も近づいてきた。そのたびに四矢たちが撃ち落とす。

(絶対にこれで間違いないはず!)

 俺は全力で走りながら考えていた。手が痛むのは我慢。だんだん激しい痛みになりつつあることも無視。

(俺に欠けていたのは楽しむこと。頼んできた相手と俺で、占いそのものを楽しむことだ!)

 昔の俺は、占いが当たるかどうかをわくわくしながら見守っていた。前にここで占いを当てたときも、現実逃避するように楽しげなことを考えていた。

(俺はそれを思い出したから、やって楽しそうな占いを閃いた。そのとおりに楽しめた占いなら、きっと当たっている!)

 メモ帳に書いた占い結果は首をひねってしまうものだった。でも今はそんなふうに思わない。ウツシマノミコトに結界を張ってもらうことも、きっと動物園にいる人間や動物を守ることにつながるからこそ思いついた。

「たしか、この辺りに落ちた!」

 俺は角を曲がったところで辺りを注意深く見た。散乱しているものがいくつかある。

 木でできた小箱と蓋。ウツシマノミコトが空から落として、木の枝に引っかかったりした挙げ句に開いてしまったんだろう。

 他には、透き通って丸いものが散らばっている。ポンコが閉じ込められているガラス玉。小箱にはこれが収められていた。

 ただ、五つもあってあの箱には入りきらない。ポンコが巫女装束のたもとにいろいろなものをしまっているんだから、その主たるウツシマノミコトなら一試合分の野球用具全てを小さな箱に片づけることもできそう。

(ポンコはこの中のどれかにいる!)

 占う前の俺は、答えとして閃くものが神棚の奥や賽銭箱の中だと想像していた。ウツシマノミコトも、その類のものにポンコを隠せば俺が占えたかどうかに関わらず偶然言い当てられるかもしれないと思ったに違いない。だからポンコ入りの玉と同じものをいくつも用意して、まとめて箱にしまっていた。

 どの玉も同じ形で、何日か前みたいにポンコの姿が透けて見えることもない。この中から偶然手に取った玉がポンコを封じたものだという確率はゼロじゃないけど、この光景を見る前からただの直感で「隠された箱の中にある玉の一つ(どれなのかはっきり特定)」なんて的中させることは不可能に近い。せいぜい「ポンコはウツシマノミコト様が持っている」程度。

「あのときの占い結果は……!」

 ポケットからメモ帳を出して、書いてあるものを見るなりピンと来た。

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