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 石段を登り終えた先の景色は、俺にとって久しぶりに見るものだった。鳥居があって、タヌキの像がいくつも飾られている。ウツシマノミコトがタヌキを神使としているからこそ。

 まだ日の出前だったけど、石段からしばらく進んだところに神主姿の四矢がいた。いつもどおりの不敵な顔なのに、やっていることは掃除。

 俺は「久しぶりに来たな」とか言われることを想像していた。でも実際に四矢からかけられた言葉は「来ると思っていた。少々人数が多いが」だった。

「マシな格好をさせてください」と俺が頼むと、四矢は理由を訊かずに禊用の褌を用意して、井戸へ案内してくれた。だから俺は着替えて、井戸水で禊を行なった。何年ぶりかわからなかったけど、やり方は体が覚えていた。

 亀山たちはやめておけばいいのに自分たちも付き添うと言って、四矢に白装束を出してもらった。禊も見よう見まねで行なう。井戸水の冷たさに悲鳴を上げたり悲鳴を堪えたりしながらだ。

 そして俺たちは神主や巫女のような格好になった。これが神事を行なうときの正装。亀山と二十木は俺の褌姿を見たとき以上にはしゃいでいた。俺が大人しくさせなかったのは、空元気を出しているだけだと感じたからだ。

 それから俺たちは四矢に連れられて本殿に入った。賽銭箱があるところは拝殿と言って、本殿とは違う。本殿は拝殿の奥にある。

 本殿の空気はひやりとしていた。やっと朝日が昇ったところ、ということだけが理由じゃないような気がした。

 実家なら、本殿の窓から御神体の老樹を見ることができる。ここは分祀先なので、御幣が代わりにある。二本の紙垂を幣串という棒でまとめたものだ。福狸神社における幣串の材料は、老樹から枯れ落ちた枝。

(ここまで来たのはいいとして、どうすればウツシマノミコト様と会えるんだろう)

 俺は今ごろになって考えた。でも悩む必要はなかった。

「何か用か、人間」

 声が聞こえて、俺はたじろがずにいられなかった。目前の御幣からあのときと同じ威圧感があふれ出してきたからだ。

「これが……?」

 亀山と二十木がうろたえていた。黄宮も頬に汗を伝わせて御幣から目を離せなくなっている。

「神様、来る」

 黄宮がうめいたとき、御幣のそばで空間が揺らいだ。人の姿をしたものが現われる。

 間違いなく、ウツシマノミコト。神主のような姿も人知を超えた迫力もあのときと同じ。嘲るようなまなざしを俺に向けていることもだ。ただ、今度は亀山たちを止めていない。

「やはり汝か」

 俺は歯を食いしばっていた。今すぐ逃げ帰るのも気を失うのも簡単なことだ。でも、そうしてしまったら永遠に失ってしまうものがある。

「……ウツシマノミコト様! ポンコはどこに!」

 焦っていた俺はいろいろな礼儀を見失っていた。ウツシマノミコトは気にする様子もなく冷たい笑いをこぼす。

「あの者ならここだ」

 ウツシマノミコトが右手のひらを上に向けると、ガラス玉のようなものが現われた。透き通っていて、中に人が入っている。手のひらサイズだし、眠っているのか丸くなっていて顔が見えないけど、俺には誰なのか間違えようがなかった。

「ポンコ!」

 呼びかけてもポンコは反応しない。もしかして既に、と俺の中に恐ろしい想像が浮かぶ。でもウツシマノミコトが指先でガラス玉をコツコツつつくと、ポンコはゆっくりと身を起こした。

 外に俺がいると気づいて、ガラス玉を内側から叩き始めた。何か叫んでいるのか口を激しく動かしてもいた。だけどガラス玉を叩く音も声もこっちに聞こえてこない。

 ウツシマノミコトはそんなポンコを見て軽く笑う。

「どのような方法で始末しようかと考えているところだ。泥舟はもう飽きた」

 俺は寒気を感じたけど、黙っているわけにはいかない。

「そいつが仕事を放り出していたのはいけないことだったかもしれません。でも、悪いことをするつもりはなかったんです!」

「まだかばい立てするか」

 ウツシマノミコトは嘲笑を強める。

「いつまでも食いつかれ続けてはたまらん。我と賭けでもしてみるか?」

 俺はウツシマノミコトの言葉に驚いてしまった。

(気まぐれや戯れだったとしても、すがらない手はない)

 うなずくと、ウツシマノミコトは余裕に満ちた視線を俺に浴びせた。

「我はこの者をいずこかへ隠す。汝は占いで居場所を当ててみせよ」

 俺は胃がとてつもなく重くなったように感じた。

「……でも俺は、もう占えなくて。占う方法すら思いつかなくて」

「やらんのか。ならばよい」

 ウツシマノミコトは冷たく告げて、右手を握った。その上にはポンコがいるガラス玉。

 中で稲妻のようなものが走って、ポンコがもがき始めた。やっぱり声は聞こえなかったけど、俺はポンコの悲鳴から心を貫かれたように感じた。

「やめろ!」

 俺が明らかに失礼な言葉を放っても、ウツシマノミコトは鼻で笑う程度。

「汝はこの者を見捨てるのであろう?」

「違う……違います。俺は、占います」

 そう言っておかないと、ポンコがこの場で処刑されてしまいかねない。俺はうなずかざるを得なかった。悔しいけどイニシアティブは向こうにある。

 ウツシマノミコトはやっと手をゆるめた。ポンコがガラス玉の中でぐったりとなる。

「今より三日後、この場に来い。そして我の眼前で一度だけ占え。昔のような占いができん汝では無理かもしれんがな」

 ののしるように付け加えたウツシマノミコトは、ポンコをガラス玉ごと消した。

「せいぜい我を楽しませよ」

 そして、ウツシマノミコトもまた消えた。

 途端に、場の空気がゆるむ。最初のころへ戻ったに過ぎないのかもしれないけど、ウツシマノミコトの存在は重圧としてあまりに強烈なのでどうしても大きな差に感じてしまう。「ふう」と息をこぼしただけなのは四矢一人で、俺たちは脱力して座り込んだ。

「悪い。何もできなかった……はは、神様って日本神話に出てくる衣褌って服を着てるわけじゃないんだね」

 二十木が気抜けしたようにつぶやいた。黄宮が首を小さく振って、珍しく動揺を見せる。

「あれが、本物の神様。手も足も出ないのが当たり前」

 亀山は自分の肩を抱いてまでいた。辛うじて顔を俺に向ける。

「でも、占えなんて……どうするつもりですか?」

 俺は答えられなかった。ウツシマノミコトへの畏怖が残っているからじゃない。

 占えないことは紛れもない事実だけど、ポンコのためにはねのけないといけない。その事実がのしかかってきている。

 四矢は、静かなまなざしで俺たちを見渡していた。

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