2-1

 翌日は振替休日なので、俺は目覚まし時計にスイッチなんか入れていなかった。

 自然に目を覚ましたとき、まだ外では太陽が出てもいなかった。だけど俺はベッドを離れた。

「行くか」

 そうつぶやいてから支度を調えて、部屋を出る。体は昨日に比べれば普通に動く。

 自転車を押して道路に踏み出すと、見知った顔があった。

「よう」

 二十木だった。あくびをしているけど、昨晩のあれで体調を崩している様子はない。

「どうしたんですか、こんな朝早くに」

「ちょっとね」

「そうですか」

 俺は詮索せず、自転車に乗って走り出した。朝日をまだ浴びていない空気は湿っていて気持ちいい。

 どうやら二十木も自転車だったみたいだ。俺のすぐ後ろでペダルをこいでいる。

「どうしてついてくるんですか」

「たまたまさ。あたしが行く方向もこっちなんだ」

 二十木は平然と答えた。

「あのさ、あんたが天才占い少年だって話があるだろ」

 また話しかけてきたけど、俺は気にせず走り続けた。

「あたし、それを聞いて何か格好いいって思ったんだ」

 俺は吹き出してしまった。さすがに無反応でいられない。

「俺は、たまたま占いができていただけです」

「そうかもしれないけどさ、あたしってば霊感が全然ないだろ? 手相や人相も手引き書を何冊も丸暗記して、そのとおりに人へ言ってるだけだし。生命線が途切れてたら注意すべき時期があるとか、運命線が切れ目なくまっすぐ伸びてたら運がいいとかさ。カメやミヤがやってることは全然できてないじゃないか。スランプに陥ってる、なんて状態ですらない」

 思うところがあるみたいだけど、手引き書数冊丸暗記という行為がどれだけ大変なのかは言うまでもない。

「先輩は霊感がない代わりに努力しているってことじゃないですか」

「まあね! あたし部長だしさ!」

 二十木はごまかすように笑った。三年の二十木先輩は成績がよくてスポーツも万能――そんな評価の裏には隠されたものがあるのかもしれない。

「……いや、あたしのことなんかどうでもいいんだ」

 俺が赤信号で止まると、二十木は引き締まった声を出しながら後ろで止まった。

「あんたは占いができなくなったとか言ってたね。確かにそうかもしれない。でもあんたは、あんたが思ってる以上に」

「おそろいでどちらへ?」

 自転車を押しながら現われた者がいて、二十木が言葉を止めた。

「部長が部屋からいなくなっていたので、どうなさったのかと思っていたんですけど」

 眠そうな顔じゃない。その代わり、まだ頭が痛いのか眉間に指を当てる。俺は軽く笑ってみせた。

「別におそろいじゃない。たまたまだ」

「まあ、どちらでも構いません」

 亀山は俺のそばに自転車を止めた。信号が青になったので俺が走り出すと、亀山は俺の後ろを走り始めた。俺と二十木の間へ入った形になる。

「カメも朝のサイクリングかい?」

「ええ。早起きはすがすがしいですからね」

 二十木の問いにも、亀山は軽く返す。

「福分さんの入部について、わたくしもいろいろと考えていたんです」

 亀山は聞こえよがしにしゃべる。俺は反応したいのを堪えて自転車を進めた。

「わたくしが去年の頭早々に入部したとき、まだ部長になっていなかったころの部長が言ってきたじゃないですか。わたくしのクラスに天才占い少年がいるとか、入部してほしいとか。わたくしたちが知らないことを把握しているとは、さすがはデータの鬼ですね」

(それ、黄宮が調べたことじゃなかったんだ)

 俺は角を曲がったときに後ろを見て、少しだけ二十木が視界に入った。二十木は隠しごとを暴露された子供みたいに目をそらす。亀山はそんな様子を構ったりしない。

「わたくしも天才占い少年と聞いて驚いたんですよ。それなのに、観察してみてもすねたような態度を取っているばかりで」

 だから嫌われていたんだと、俺は初めて気づいた。でも今の亀山はとげとげしい空気を突きつけてきたりしない。

「とは言え、文化祭でのことがありますので考えを改めないといけませんね。やるべきときはやる方だと」

「俺はお前が最初に見たとおりのやつだ」

 我慢しきれなくなった俺は、亀山へ言い放った。

「俺は占いができなくなって、やさぐれていたんだ」

 亀山は、くすりと笑う。

「確かにそのとおりかもしれませんけど……」

 亀山が言葉を途切れさせたとき、俺は信号を渡って道路脇の駐輪場へ入った。早朝なのでがら空き。適当なところに自転車を停めて、信号のそばにある石段へ向かう。やっぱり亀山と二十木も同じ。

 自転車で石段の近くを通る途中、人の姿が見えたと思った。それは気のせいじゃなかったみたいで、俺に話しかけてきた。

「おはよう」

 黄宮が石段から腰を上げた。いつもどおり表情に乏しく、体調の悪さも眠気も漂わせない。

「おはよう」

 俺は挨拶だけして黄宮の横を抜けて、石段を上り始めた。黄宮は俺に比べて小柄で手足も短いけど、俺のすぐ後ろに続く。久しぶりにここを登る俺の方が遅めの歩調なのかもしれない。

「フク先輩は、私と同じじゃないかと思ってた」

 俺は子供のころこそお前と同じ番組を見ていたけど、今は違う。俺は思いついたことを言わなかった。黄宮の意図も、それとは全然違うみたいだった。

「霊感があっていろいろ見えるのも、天才占い少年も、似たようなものだと思ってた」

 こっちは『いろいろ』なんて最近まで見たこともなかった。黄宮はちっとも口を静めない。

「だからフク先輩を同じ部に誘った。でも、もう占ってないとか言ってばっかりだった」

「そのとおりだろ」

 俺は愚痴るようにつぶやいた。かなり小さな声だったはずだけど、黄宮の耳には入ったみたいだった。

「占えないとは言ってなかった」

「それは……認めたくなかったって言うか」

 ちょっと舌打ちしたくなった。

「……どっちにしても、俺は占えなくなったんだからお前と違うだろ」

「そんなことない……!」

 黄宮にしては強い口調だったので、俺は振り返ってしまった。でも、そのときの黄宮はもう表情もなく俺を見上げているだけだった。

「フク先輩は、神使なんていう常識外れなものを連れてきた」

 俺は黄宮がポンコを後輩のように感じていると思っていた。でも実は違ったのかもしれない。「福分緑は自分と同じで不思議な存在」ということの象徴で、ポンコをかわいがることは勲章を磨くような行為だったんじゃないだろうか。

「俺はただの俺だ。天才占い少年じゃなくなった、ただの人だ」

 俺は断言しながら立ち止まった。

 振り返ると、黄宮も足を止めていた。その両脇に、追いついてきた亀山と二十木が並ぶ。

「相手は神様だからどうしようもないって言ったのに」

 俺は鼻で笑った。二十木は跳ね返すように口角を上げる。

「神様に刃向かおうとか、やっぱりあんたはすごいやつさ」

 亀山は逆に俺を嘲うかのごとく肩をすくめた。

「やさぐれている割りに、ポンコさんを恐ろしい相手から助けに行くんですね。無謀すぎて見過ごせません」

 黄宮はやっぱり表情がない。ないからこそ揺らぎもない。

「神様へもの申しに行くような人は、ただの人じゃない」

「何が起きるかわからない」

 俺はやっぱりウツシマノミコトからにらまれたときの畏怖を覚えている。忘れようとしてもわき上がってくる。それでもここに来たのは、来ずにいられなかったからでしかない。自分の思いどおりにことを進められる自信なんて一欠片もない。

 俺についてきてしまった三人は、俺の頼りない言葉を聞いても石段を引き返そうとしなかった。

「言ったろ、あたしは部長なんだ。仮入部の届けはまだ学校にあるから、あんたもポンも見捨てるわけにはいかない」

「クラスメートとして、骨くらい拾ってあげます」

「私、フク先輩を誘ってたから」

 俺は笑わずにいられなかった。さっきみたいに鼻で笑ったんじゃない気がしたけど、ここに鏡がないので確認できない。

 少なくとも、三人にどうこう言う気はなくなった。きっとみんな俺が夜明け前に一人で出ると読んで、それぞれに思いついた場所で待っていたんだろう。

 俺はまた石段を登り始めた。

(全員俺を買いかぶりすぎだ。一体俺に何ができるって言うんだ)

 向き合うものが神じゃなくても、立ち向かう手段がないことは同じかもしれない。例えば、占いができなくなった事実とか。

 俺は卑小だ。それでもなくしたくないものはある。

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