4-2
パーティーの中でまずかったのは、学校とかにばれたら困る飲み物まで誰かが持ち込んでいたこと。そのせいで亀山と黄宮と二十木はあっさりと寝入ってしまった。
「みんな急に大人しくなっちゃったね」
ポンコはその飲み物を水かジュースのようにコップであおっていた。もう何杯目か知らないけど、顔色一つ変わらない。さすがは年齢三桁と言ったところか。ちなみに俺はお供え用のそれを飲んでひっくり返ったことがあるので、遠慮していた。
「部屋を用意してあるらしいから、運んでやるか」
「でも、気持ちよさそうだよ?」
ポンコは黄宮の頬をつんつんつついた。どうせ今だけだと俺が思っていると、ポンコは思い出したことでもあったのか手を叩き合わせた。
「そういえば、渡したいものがあったんだよ」
ちょっとだけはにかむような仕草をしてから、たもとを探る。
「はい、これ!」
俺に手渡したものは、鈴が付いたキーホルダーだった。
「リョクにあげようと思ってたんだよ。ほら、これと同じような感じだし」
スミゲームの賞品だったキーホルダーを胸もとから取り出してみせる。俺に渡した方は市販の品じゃなくて、手芸部辺りの催し物で似たものを作ったんだろう。
「いつの間に……ああ、休憩中に別行動のときがあったっけ」
「いつ渡そうかなって考えてて。本当だよ! ご飯に夢中で忘れてたんじゃないから!」
「わかったわかった、ありがとうな。これでおそろいだな」
「そうなんだよ!」
ポンコはやけにはしゃいでいた。俺はもらったキーホルダーを首に提げようなんて思わなかったけど、アパートの鍵を付けようかとは考えた。
「リョク、昨日も今日も楽しかったね!」
にっこりとした顔を向けられて、俺はつられてほほ笑みそうになった。とっさに堪えて、ただうなずく。
「楽しかったならよかった」
今年の文化祭は去年と同じような内容だった。目新しいのは、うちのクラスのが隠しごとを先生に気づかれて〈セーシュン写真館〉を中止させられたことくらいか。
俺個人としては去年とかなり違った。占い部で活動することができたし、ぶらついているときも隣にいるのは水野たちじゃなくてポンコだった。
ポンコの一喜一憂する姿は大げさすぎてこっちまで恥ずかしいこともあったけど、ほほえましさを感じさせることの方がずっと多かった。宝探し占いができたのもポンコのお陰。文化祭実行委員が写真を撮りに部室まで来たときも、俺たちは書道部に負けないくらいのいい顔ができた。
だから俺は、ポンコにもう一言付け加えた。
「俺も楽しかった」
ポンコはいつもの嬉しそうな顔を強くする。
「よかった! 来年も楽しみだよ!」
お前はいつまでこっちにいるつもりなんだと、俺は問いたかった。
「学校にいた人たちも、今ごろこうしてるのかな」
俺は去年の自分が今くらいの時間にどうしていたか考えたけど、何も思い出せなかった。きっと何もしていなかったんだと気づいて、少しでも楽しそうなことを答えてやろうと決めた。
「……後夜祭に出ているかも」
「それ何?」
「校庭で火をたいて、周りで歌ったり踊ったりするんだ」
「じゃあ、ボクも踊ろうかな」
ポンコはやっと食べ物や飲み物から離れて、ステージへ上がった。ツ○スターは既に片づけてある。
たもとに手を入れて、子供のころの俺がよく見ていたものを取り出した。
玉串。榊に白い紙垂――注連縄にある稲妻状の紙――を付けたものだ。
「リョク、見ててね」
(巫女舞をするつもりか?)
祈祷や奉納のために行うものをポンコができるんだろうかと、俺は即座に考えた。実家で見た巫女舞は厳粛さに満ちていて、ポンコのイメージとはほど遠い。
俺は、そんな考えが誤りだとすぐに気づいた。
ポンコは玉串の根元を右手で持って、先を左手に乗せて支えながら、ステージの奥側へと歩く。廊下をパタパタ走っているときとは明らかに違う、すり音一つ立てそうにない足運び。
回って、俺と向かい合う。俺は振り返ったポンコを見た途端に、積もっていた疲労の類が消え去ったように感じた。
そのくらい、ポンコはきれいだった。子供にも見える目鼻立ちと、白と朱の二色に彩られた巫女装束が、無垢さという頂に集まっているようだった。
ポンコは玉串を揺らめかせながら、身を軽く回していく。動きは間違いなく巫女舞で、厳かなもの。どこかから囃子が聞こえてきそう。
でも、俺が今までに見た巫女舞とは違う。ポンコが自分の陽気さを表現しているからか、動きに勢いと華やかさがある。明るさと厳かさが一つにまとまっているさまは、ポンコでしかありえない奇跡のようにも見えた。
(ポンコか……まったく、バカっぽい名前だ。神使のくせに食い気も多すぎる。でも俺の傷を癒してくれて、服のたたみ方がきれいで、寝相がよくて、こんな巫女舞ができる)
子供のようなポンコ。神使らしいポンコ。どっちが本物のポンコなんだろうと、俺は考えてしまった。
俺の心にはポンコしか映っていなかった。亀山たちはときどき寝言みたいな声をこぼしていたけど、だんだん俺の耳に流れてこなくなった。俺に聞こえるものはポンコが発する衣擦れと、胸もとからこぼれたキーホルダーの鈴と、玉串の葉擦れ。そして俺とポンコの息づかいだけ。
かつての巫女が舞いでトランス状態へ入っていたように、俺はポンコに見入っていた。俺の世界にいるのはポンコだけ。そしてポンコが舞いの世界に受け入れているのは俺だけ。世の恋人たちがしているいろいろなことよりも深くつながり合っているんじゃないかとすら、俺は感じてしまった。
そうたたないうちに亀山たちは目を覚ますかもしれない。でも俺はいつまでもポンコと二人の世界にいたかった。
ポンコが『来年も楽しみ』と言ったことを俺は振り返って、当分うちにいてくれていい気がした。ただしそれは俺がポンコを占わないままでいることでもある。それはそれで申し訳ない。
(ポンコが何を知りたいのかは聞いていないけど、ちゃんと占ってやりたい。そうすればポンコは喜んでくれるのかもしれない)
俺はそう思うと胸が高鳴って、テーブルの飲み物に手を伸ばした。でも動揺していたせいかつかみそこねて、コップはテーブルから落ちた。
がしゃんと割れて、ポンコの舞いが中断する――俺はそんな流れを想像した。
コップは床に衝突しなかった。テーブルの端から離れたところで止まっている。
「何だこれ……?」
俺は目を見張った。やっぱり割れる音はいつまでたってもせず、代わりに聞こえてくるのは弦が切れたようなぴぃん、という音。どうしてそんな音がするのかも、俺にはわからなかった。
立ち上がって辺りを見渡すと、亀山たちも身動き一つしない。それなのに俺は自由に動くことができる。地球上の何もかもがこうなっているんじゃないかと考えて、取り残されたような寒さがにじんできた。
おかしくなった世界にいるのは俺だけじゃなかった。ポンコが舞いをやめて、辺りをきょろきょろと見ている。そしていつものんびりしている顔を張り詰めたものに変えた。
「……どうして、ここに?」
彼女が見ている方向へ俺も視線を動かして、息を詰まらせた。
部屋の中心に人がいる。二十代半ばくらいの男で、着ているものは神主のそれ。
ただ、宙に浮いている。そうでなかったとしても、俺は目の前にいる人物が人間じゃないとすぐに悟ったはず。
山が間近にいきなり現われたような存在感がある。どこでも感じる気配じゃないのに、不思議と初めて目の当たりにした気がしない。むしろずっと前からそばにいた気がする。
「ウツシマノミコト様……!」
ポンコがこぼしたその言葉を、俺は疑おうなんて欠片も思わなかった。
(この人……この神様がウツシマノミコト様。福狸神社で祀っている神様)
実家の神社にいたとすれば、受け取った印象を理解できる。この不思議な現象を起こせたことも、神だとすれば納得できる。
(昔話でお爺さんを励ましに来たタヌキは、本来の役目から離れていたせいで泥舟に乗せられて沈められた……!)
昔話がどこまで本当なのか俺は知らない。それでも危機感を覚えるのには十分だった。浮かんでいる神は顔に笑みがあったけど、温かいほほ笑みじゃない。冷たい笑みをポンコに向けていた。
「我が神使よ、頼んだ遣いはいつになったら終わる。我は役目が果たされた報告をまだ聞いていない」
「ごめんなさい! でもボクは、リョクを」
「言い訳は許さん」
ウツシマノミコトが手を広げると、ポンコは身をのけぞらせながら苦しみ始めた。
「く、う……!」
小さな体が浮き上がって、ウツシマノミコトへ近づいていく。俺は泥舟の話を何度も頭の中で繰り返していた。
「待ってください! ポンコが仕事を放り出したのはいけないことだったけど、そのお陰で俺は」
「汝に口を出す権利はない」
ウツシマノミコトがにらみつけてくるなり、俺は心臓が止まったように感じた。ヘビににらまれたカエルはこういう気分なのかもしれない。それとも人間の靴底を見上げながら踏みつぶされるアリの心境か。
俺はどこまでも深い恐怖と共に、激しい力を受けて弾かれていた。転がりながら倒れる。起き上がろうとしても体が動かない。麻痺したようになっていて、意識まで薄れてきた。
そんなことを軽くやってのけたウツシマノミコトは、俺を鼻で軽く笑う。
「汝は本山から離れた人間の仔。占の力を思うままにしていた者。かつての戯れを戯れとしてできなくなった者は、大人しく俗人になるがいい」
「ウツシマノミコト様、リョクに乱暴なことをしないで……」
ポンコは苦しそうにしながら声をひねり出した。ウツシマノミコトは構わずにポンコを自分のすぐそばまで引き寄せる。
「汝は罰を受けている。その最中に意見か」
「うう……でも、ボクは……リョクを、助けたい」
倒れて身動きできない俺へ、ポンコが震える手を伸ばす。
いつも俺のそばでほほ笑んでくれていたポンコが、今は涙を頬に伝わせている。苦しいからなのか、それとも悲しいからなのか。俺には自分のことよりポンコのそんな顔の方が辛かった。
同時に、どうしようもなく怖かった。ポンコが昔話のタヌキと同じように沈められると思うと、身をすり下ろされるような感覚がある。
それなのに、ウツシマノミコトに敵わないことが嫌と言うほどわかる。
「ポンコ……!」
俺はポンコへ手を伸ばしていた。ポンコは俺がそうするのを見て、少しだけ嬉しそうな顔をした。でもウツシマノミコトが指先を動かすと同時に身をびくりと震えさせて、瞳を閉ざした。腕も下げて、首にかけていたキーホルダーの鈴が小さく鳴る。
そして、ポンコはウツシマノミコトと共に消えた。俺の耳には鈴の音が残響する。
止まっていたコップが落ちた。中身を飛び散らせながら割れて、鈴の余韻をかき消す。ほぼ同時に黄宮が身を起こした。
「何かいた」
観察するように室内を見渡して、倒れた俺が視界に入るなり目を丸くする。そして亀山と二十木を揺さぶり始める。俺はその姿を視界の端に見ながら、意識を闇に落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます