2-3

それからも俺はポンコと一緒に校内を回った。クラスの出し物を手伝う必要はない。「先生が来たらすぐアルバムを隠す」という行為に熟練が必要なので、練習を重ねた者だけで営業している。だから占い部に構っていた俺の出番はない。

ポンコを見て「占い部にいる巫女さん」とか「福分のズボンを下ろそうとした子」とか言う生徒もいたけど、ポンコは気にせずいろいろな出し物を見ていた。よっぽど楽しいみたいで、俺の手を引いてあっちにこっちにと巡る。

「リョク、さっきの面白かったね! 木の絵に動物が隠れてるなんて!」

「ああ、そうだな」

さっき美術部でだまし絵を見た。ポンコはまだその話をしている。

ポンコは何もかも素直に喜んでいた。中でも気に入っていたものは、ステージでのイベント。テレビ番組のようなものが画面越し以外で見られることを珍しがった。売れているのかどうかわからない芸人の寒いギャグでも大きな反応を示したので、盛り上げる意味で役立ったかもしれない。

(ポンコは去年の俺と全然違うな)

俺は一年前の自分がどれだけ乾いた目で文化祭を眺めていたのか余計にわかってきた。だからこそ鬱陶しいとか言わずポンコに引き回されている。

(問題は亀山たちか)

ただ、勝負している三人のことをときどき考えていた。面倒なのでとっとと勝敗を決めておいてしまいたい。でもすんなりと決まりそうにない。

(三人とも突っ込みどころがあるんだよな)

「あれ、あそこはお休み?」

ポンコが不思議そうに指さして、俺は短く笑った。

「あれは俺たちのところだろ。占い部」

廊下に生徒や外からの客が大勢いて雰囲気がいつもと違うので、パッと見ただけではわかりにくい。

「あ、そうかぁ」

ポンコはごまかし笑いしたけど、俺は寂しさを感じていた。

(俺たちのところだけ何もしていないみたいだ。実際にはあちこちへ散っているんだけど)

占い部は文化部棟の隅だから目立たない。真ん中だったらもっと目立っていたはず。

俺は占い部の部室に近づいて、ポケットに入れていた鍵を使った。

中に入ると、誰もいなかった。机や衝立の個室を持ち出してしまったので、余計にがらんとして見える。

俺の頭には、動物園の魔物から見せられた風景が残っていた。

(ここでやってもよかったんじゃないか? 人数が少ない分だけみんなで頑張ることにして、占いができない俺にはお祭り的なミニゲームでもさせておけばいい)

三人の準備を手伝ったのは俺だけじゃない。それぞれクラスの者を呼んでいた。そんなことができるなら、今日も少しくらい頼めたかもしれない。それならここで賑やかに占いをすることもできたんじゃないだろうか。

(誰だって勝ちたいときや人を言い負かしたいときがある。でも、文化祭でやらなくてもいいだろ)

今ごろそんなことを考えても、文化祭はとっくに始まっている。

「ここにいても仕方ないか」

俺はポンコを連れて部室から出た。もちろん鍵はしっかりかけ直した。

「……そういえば隣が賑やかだな。いつもは向こうが静かすぎるのに」

占い部の隣は書道部。普段の俺は字なんか書いて何が面白いんだと思っている。

部室の前に客が何人も集まっていた。大混雑と言うほどじゃないけど、部室の中から盛り上がった声が聞こえてくる。出入り口には〈行け!オレのスミ!ゲーム!〉という看板。

「作品展示とかじゃないのか」

「何してるのかな。入ってみようよ」

俺はポンコに引っ張られて中へ入った。

部室内には妙なものが設置されていた。横長の板を斜めに立てかけて、上に白い紙をかけている。

書道部だから紙は半紙だと思ったけど、つやつやした別のものみたいだった。完全な真っ白じゃなくて、ところどころに字が書かれている。〈罠〉とか〈TRAP〉とか。

「おおっと、新しい挑戦者か? でもちょっと待ってください!」

蝶ネクタイを着けた男子生徒が板の横にいて、俺とポンコにマイク越しの声をかけてきた。板の向こうでは生徒や客が何人か横に並んでいる。板を支えているものは途中まで登れる仕掛けなのか、俺には向こうにいる人の胸から上が見える。ギシギシと音がするので、脚立を並べているんだろう。

「さあ、本日の第二十二回レースもスタートの時間が迫ってきました!」

蝶ネクタイは実況解説役みたいだった。観客とにぎやかしらしい部員が拍手する。

「それではジョッキーの皆さん、ご準備ください!」

ジョッキーとは台の向こうにいる者たちのことらしい。持っているものをそれぞれ構える。

墨汁が入ったビンだ。醤油差しのような注ぎ口が付いている。

「ハッピーな賞品を懸けて……墨汁ファイト、レディーゴーッ!」

蝶ネクタイの声と共に部員たちが歓声を上げて、ジョッキーたちが墨汁入れを傾けた。黒い墨汁が白い紙に落ちて、一条の線を引きながら下っていく。よく見ると紙の最下部には〈ゴール!〉と書いてあった。板に出っ張りが付けられているので、墨汁がそこまで垂れていっても床にこぼれることはない。

(あそこに速く着いた人が勝ちってことか)

蝶ネクタイの解説を聞いていると、ルールがいろいろあることもわかった。

「一番ジョッキー、墨汁が二股に分かれてしまった! 垂らしすぎ負け! 四番は斜め下にそれていって五番にくっついた! この場合は後からくっついた方が追突負けになります!」

〈罠〉などの文字もただの模様じゃなかった。ペンキか何かでできていて凹凸があるので、墨汁は引っかかると一旦止まる。上から墨汁を足してあふれさせないと先へ進めない。つまり墨汁を垂らす進路上に文字が少ないほど有利になる。紙自体も真っ平らじゃなくて微妙な凹凸がある。勝負は墨汁を垂らす前からコース選びという形で始まっていたんだろう。

四番の墨汁を足された五番がトップでゴールしそうだったけど、〈出っ張りだけど落とし穴〉の字に引っかかってしまった。その隙に、黙々と墨汁を進めていた六番がゴールへたどりついた。

「ゴール! ゴールゴールゴールゴオオオオオル! 六番ジョッキーの優勝です!」

蝶ネクタイが叫んで、部員たちが拍手した。観客たちも拍手喝采。たかが墨汁なのにすごいエキサイトだ。

賞品も一位・二位・三位と書かれた台の上にジョッキーを乗せて渡していた。他の者には参加賞があった。

「それでは第二十二回レースを閉幕とさせていただきます! 皆様、応援ありがとうございました!」

蝶ネクタイがそう言っているうちに、後ろでは書道部の部員たちが板の上の紙を拭いていた。半紙だと一回一回取り替えねばならないので、水をはじく紙にしているんだろう。

「さあ、次のレースに挑戦してくださる方を募集します! こぞってご参加ください!」

観客の中からいくつかの手が上がった。これだけ参加者が出るのは空気をうまく作っているからだ。俺は感心しながら様子を見ていた。

(たかが墨汁なのにな)

「リョクもやってみたら?」

ポンコが言ってきて、俺は板の坂とポンコを何度か見比べてしまった。

(たかが……)

一応、手を上げておいた。蝶ネクタイが「まだ入れます!」と言っているし。



何十分かたったとき、俺はまた占い部の部室にいた。墨汁で汚れた手をここにある石けんで洗いたかったからだ。

「たかが墨汁なのに、三回もやるとは」

たかが墨汁だけど妙にはまって、一位を取れるまでやってしまった。獲得した賞品は、鈴の付いたキーホルダー。これが欲しかったわけでもない。

ふと見ると、ポンコが賞品のキーホルダーを珍しそうに眺めていた。参加賞のお菓子はもう食べ終わったみたいだ。

「欲しいならやるよ」

「ありがとう!」

俺がキーホルダーを突き出すと、ポンコは輝くような笑顔で受け取った。じっと見つめたりチリンチリンと鳴らしてみたりする。

「きれいだな、いい音だな」

「どこにでもあるようなやつだぞ」

俺は呆れたけど、ポンコは嬉しそうなまま。

「そうだとしても、リョクがくれたのはこれだけだから!」

こっちが恥ずかしくなることまで平然と言って、部室の中をきょろきょろと見渡す。駆け寄ったのは、ガムテープとかを入れている箱。準備中に出して、そのままにしていた。

「準備をしてるとき、この中に余りが……あった!」

ポンコは箱の中から短くなったリボンを取り出した。キーホルダーのリング部分に通して、自分の首に巻きつける。

「ほら、こうすればいつでも持っておける!」

「そこまで大切にされてもな」

俺は照れくささでうろたえてしまっていた。ポンコは首に提げたキーホルダーの鈴をしばらく鳴らして、胸もとへしまってから俺に目を戻した。

「でも、これで文化祭がどういうお祭りかわかったよ」

急にどうしたと俺は思ったけど、ポンコは得意げに語る。

「文化祭で大事なのは勝つか負けるか! リョクがボクにこれをくれたのはさっきので勝てたからだし、ミヤたちも競争してる! 世間のお祭りにも、山組と海組に分かれて競争してどっちが勝ったかで豊作か大漁か占うのある!」

「ちょっと待て」

俺はポンコの口振りに抵抗を感じて、すぐに止めた。

「俺があんなに何回もやっていたのは、はまったから……つまり面白かったからだ」

「でも、勝つまでやったよ?」

「勝つのは二の次って言うか、勝つまでやったのはたまたまそれが切りのいいところだったからで……」

そこまで話して、どう説明したらいいか思いついた。

「文化祭は勝ち負けにこだわるものじゃない。楽しむものだ」

「その方が面白いもんね!」

ポンコが手を叩き合わせて、俺は心のしこりが取れたと感じた。

(俺は今日ずっとポンコの行動を見てきた。随分はしゃいでいるとか思っていたけど、俺自身も楽しんでいた。それはポンコと一緒に回っていたからこそ……やっぱり亀山たちにも同じようなことが言えるかもしれない。俺は人と一緒に騒いだりしないけど、亀山や黄宮や部長と協力して何かやっていたら楽しかったんじゃないか?)

後悔を魔物という形で残してからじゃ遅い。

俺は蝶ネクタイの司会者が誰なのか思い出した。いつも硬い表情の書道部部長だ。廊下で何回かすれ違った程度だけど、真面目そうな雰囲気は印象に残っていた。それなのに今日は別人のごとく盛り上げ役をしている。

他の部員だって大人しい生徒ぞろいなのに、息を合わせておかしな催し物の準備をしていた。レースが始まったり終わったりしたときは賑やかな雰囲気を作っていた。文化祭実行委員が写真を撮りに来たときも、楽しそうな顔で集まっていた。

(どの占いが一番か、なんて方向へ話を運めたところから間違っていたんじゃないのか?)

そうならないためにはどうしたらいいか、想像したものを頭の中で組み立てる。

「ポンコ、こんなことはできるか? タヌキが人を化かすために使う術は変化だけじゃないだろ」

考えたことを話すと、ポンコはうなずいた。

「できるよ。ちょっと準備に時間がかかるけど」

「よし、それなら」

説明する前に、亀山たちがそろって部室に現われた。いつの間にか文化祭一日目の終了時間になっていたみたいだ。俺がそれとなくポンコの口を閉じさせている一方で、三人は視線で牽制し合っていた。

「いやぁ、疲れたよ。あたしのとこ、客がたくさん来たから」

「わたくしのところも大勢来ましたよ?」

「私のところ、子供いっぱい」

「明日は日曜で客が増えるから、あたしは大変になっちゃうかもしれないね!」

「大変なら、部長のところへ行こうとする方は全員わたくしが引き受けて差し上げねばなりませんね!」

「入り口で、みんな私のところへ来てもらう」

それを見ていた俺は、自分が四矢みたいな笑い方をしていると悟った。

(とりあえず、三人が帰るのを待つか)

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