3-3
「誰かを道連れにするつもりみたい」
ポンコはもう一度葉っぱを頭に乗せようとしたけど、疲れたせいか動きが鈍い。その隙に魔物が恐ろしげな瞳をぎらつかせる。
「我が友、古の霊樹。その御名において命ずる!」
堂々とした声が聞こえた。俺のものでもポンコのものでもない。前半部分は俺にとって何度も耳にしたことがある言葉だ。親父が祭事のときに告げるものと同じ。
後を追うように澄んだ音が響いた。ぱん、と。
それも実家の神社にいたときよく聞いていた。柏手だ。気を引きつけられた俺だったけど、自分たちが危険な状況にいることがすぐ頭へ戻ってきた。
「あれ……?」
魔物は腕を途中で止めていた。
焦りを浮かばせている。攻撃どころか動くこともできないみたいだった。俺は柏手が聞こえた方に顔を動かして、冷水を浴びた気分になった。
四矢がいた。恐ろしげな魔物がいるのに、いつもと同じ様子。勝ち気なまなざしをポンコへ動かす。
「神使様、弱った今なら力ずくで倒せます!」
「う、うん!」
ポンコは辛うじて立ち上がると、魔物に飛びかかった。爪を立てながらしがみついて、犬歯を首筋に食い込ませる。
魔物は地獄で死者が出しそうな悲鳴を上げたけど、そのままやられるつもりはなさそうだった。崩れつつある両腕を今度こそ動かして、ポンコの体をつかもうとする。ポンコは爪や牙を深くねじ込んでいる途中で、身動きが取れない。
「ん……んんんんん!」
その代わり、うなり声と共に魔物の体を食い千切った。魔物はポンコへ触れる前に断末魔の叫びを響かせて、完全に散っていった。
ポンコは床に下り立った。足だけじゃなく両手両足で。
「ぐるる……」
しばらく獣みたいな声をこぼして、俺に振り返るなり目を見開く。
「み、みみみ見た?」
後ろ足、もとい足だけで立ち直す。おねしょを見られて恥ずかしがっているような顔だった。俺は「見ていない」と言ってやりたかったけど、そんなことをしても白々しいだけだ。
「強そうでかっこよかったぞ」
「そう?」
その途端に、ポンコは恥ずかしさの質を変えた。照れ臭そうなものへ。
「ボクも必死だったんだよ! どうにか倒さないといけないって!」
俺はポンコの単純な思考に感謝して、手を叩く音に目を引かれた。今度は普通の拍手。
「いえ、さすがは神使様。さすがはタヌキと言うべきか」
四矢はベッドの上で寝ている原へ近づいて、体のあちこちを調べる。
「タヌキは犬や狼と違って、神使より妖怪や九十九神の方がメジャー。そういう質の力を秘めているからこそ魔物の存在にいち早く気づくことができて、いざとなれば同系統の力で張り合うこともできます」
タヌキと妖怪のことは俺も実家で聞いたことがあった。陰陽師なんかがいた時代、タヌキは人を化かし食らう魔物と考えられていたらしい。間抜けなイメージばかりなのはここ数百年だけのことだとか。
「命に別状はなさそうです」
四矢は振り返って、ポンコに頭を下げる。
「ウツシマノミコト様の遣いでいらしていつの間にかお姿が見えなくなっていたので、お帰りになったのかと」
「も、もう、そういうのやめてよー」
ポンコは俺から神使様と呼ばれたときみたいに慌てていた。俺はそれを見て開いた口がふさがらない気分になっていた。
「知り合い? ポンコがおじさんを知っているのはともかく、おじさんがポンコを知っているなんて。つか、どうしておじさんは平然とポンコに話しかけているんです?」
俺は四矢を見たときのポンコが何か言いかけていたと思い出して、顔見知りだからこそ普通に話そうとしていたんじゃないかと気づいた。四矢は余裕のある顔で答える。
「ウツシマノミコト様や神使様のことは、福狸神社の上の者ならみんな知っている。もちろんお前の親父もだ。お前も跡を継ぐことになったら秘密を守る側に入るわけだが、ちと早めになったな」
俺は神使なんてとんでもないものに会ってしまったと思っていたけど、今さらだったらしい。四矢は自分の口の前で人さし指を立てた。
「ポンコ様を連れて歩くのはともかく、神使だってことはばれねえようにしろよ」
「あ……」
占い部のことを思い出した俺が言葉を途切れさせると、四矢は短く笑った。
「知ったやつがいるのか。黙っておくようにしっかり言っておけ」
かなりの重要機密っぽいけど軽い言い方だった。俺は不意に気づいたことがあって、呼吸すら忘れてしまった。
「もしかして、よその神社も……?」
「さぁなあ」
四矢がはぐらかしたとき、ベッドの上にいる原が寝覚めのような声をわずかに発した。四矢はすぐさま部屋を出る。
「話は後にするか」
俺とポンコも部屋から慌てて出て、ドアに少しだけ隙間を空けて中をのぞいた。
床でうずくまっていたガンちゃんがベッドに跳び乗って、原の顔をなめ始めた。目を覚ました原は、ガンちゃんを見て驚いた顔をする。
「どうしたガンちゃん。まさか俺を心配して医務室から抜け出してきたんじゃないだろうな」
まさにそのとおりだけど、タヌキと話したりはできない。でも原はどうだっていいみたいで、ガンちゃんをなでる。ポンコはそれを見て嬉しそうな顔をしていた。
「やっぱりここの動物と人間は仲よしなんだね!」
四矢が知ったふうな顔でうなずく。俺は嬉しそうにしているタヌキをじっと見つめた。
「おじさんは動物用医務室でタヌキと話していましたけど、上の人はそんなことまでできるんですか?」
「そんなわけがないだろう」
四矢がいたずらっぽく笑って、俺は一杯食わされたと気づいた。
(あそこで餌係が何とかと言っていたのは、俺をここに行かせるためだ! うまく動かされたな)
参拝客が多くて忙しい日曜日なのに動物園へ来たのは、魔物の気配を察知したからかもしれない。俺たちがイベントでタヌキのいるコースへ行くことになったのも、危機をポンコへ知らせるべくスタッフにそうさせたからかもしれない。魔物だの神使だのと話さなくても、「あいつらもタヌキにまつわる神社の子だからタヌキに触れさせておきたい」とか頼めば都合を付けてくれそうだ。
(そういえば、どうしておじさんは俺にも事件を見せたんだろう。ポンコだけでもよかったんじゃないか?)
いくつものことが俺の頭に浮かんだけど、四矢は不敵に笑っているだけだった。
ガンちゃんは随分元気になったそうで、夕方にはタヌキ舎へ戻された。そのころには原も体調がよくなったのか、いつもと同じようにタヌキたちへ餌やりを始めた。
今日はニワトリの肉。原がタヌキ舎に入って餌を撒き始めると、タヌキたちはそばに寄って跳ね回ったりした。尻尾まで振る。
タヌキは犬科だけど犬みたいに尻尾で感情を表現しない。それでも子供のころは興奮すると尻尾を動かす。今は子供のころのように喜んでいるのかもしれない。原も嬉しそうだった。
「お前らはいつもなら餌係の俺でさえ警戒するのに、今日はやたら人なつっこいな」
俺と一緒にタヌキ舎を眺めているポンコは、楽しそうな様子だった。もう元気を取り戻していて、首の後ろには新しい編み笠。
「ボクも昔は普通のタヌキだったんだよ。でもウツシマノミコト様に力をもらって、神使の修行をずっとして、今みたいになった」
動物に関する九十九神とは、長生きした個体のこと。百九歳のポンコもその一員と言えるかもしれない。
四矢は「めでたしめでたし」と言わんばかりの笑みを浮かべつつ、ポンコに話しかける。
「時期を見てお帰りにならねばならないはず。ご注意を」
途中で急に口を閉ざす。連れてきていた女の人たちが駆け寄ってきたからだ。
「四矢さん、どこ行ってたの?」
「ああ、悪い悪い」
四矢は女の人たちに愛想よく笑って、最後にポンコへもう一言ささやく。
「リョクを気にかけてくれてありがとうございます」
そして女の人たちと騒ぎながら去っていった。園内放送も響く。
『本日はお楽しみいただけましたでしょうか。当園は間もなく閉園時間となります』
通路の脇にある時計を見ると、あと少しで閉園時間の五時だった。
(いつか帰らないといけない、か)
何気なくポンコを見た。ポンコはいつもの笑顔を返してきて、俺はとっさに目をそらしてしまった。
「帰るか……アパートに」
その答えはすぐに返ってきたりしなかった。少しだけギョッとしながらポンコをまた見ると、様子をうかがうような目であちこちを見渡していた。
(どうかしたのか?)
俺が戸惑っているうちに、ポンコは自分が注目されていると気づいた。
「あ、うん! 帰ろう! ここにはまた来ようね! 占い部のみんなも一緒だと、もっと楽しいよ!」
笑顔に戻って俺の腕にまとわりつく。俺は他の者を連れてくることに抵抗があったけど、一人がいいと言う気になれなかった。
(二十木先輩は人間味のない人じゃなかったし、黄宮は俺に歩み寄ってきていただけ。亀山だって、どこまでも嫌なやつとは限らない。だからわざわざ俺の方から距離を空けたりしなくていい)
四矢に嫉妬する必要もない。どうせあっちの方が年上だから余裕も大きくて当たり前だ。
「そのうちな」
俺は答えながらポンコの腕を振りほどいたけど、名残惜しさが残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます