3-2

 うめくしかない俺に、ポンコがかすれた声で答えた。

「人間の恐怖や悲しみから生まれた魔物は、ときどき人間や土地や道具に取り憑く。そして人間を不幸にさせたり、病気にさせたりする。神社でお祓いしてるものの正体が、これだよ」

 俺は受け入れざるを得ないと直感した。神や神使がいるのなら、こういうものがいてもおかしくない。現に俺たちを冷たく見据えている。

「あの魔物はあそこで寝てる人間の中に隠れてて、恐怖や悲しみを吸いながら少しずつ成長してた。それがさっき、活動を始めた」

 ポンコとタヌキたちが顔色を変えた瞬間のことだと、俺は察した。

「お前、どうしてあんな危なそうなやつのところに」

「あの人間はタヌキの友達だから、放っておけない。ガンちゃんっていう子が心配して、ここへ連れてってってボクに頼んだんだよ」

「俺にも話してくれたらよかったのに」

 何かできるわけじゃないけど、ポンコをこんなところへ一人でやりたくない。でもポンコは辛そうな空気を漂わせていた。

「リョクはここで楽しんでるんだから……巻き込みたくなかった」

「気なんか遣うな。この医務室だって、お前は術か何かを使って人が入ってこないようにしたんだろ。敵がやばいやつなのに」

 ポンコは小さくうなずいていた。

「能あるタヌキは腹を隠すって言うけど、あいつも強い魔物なのにしっかり成長するまで気配が外へ漏れにくくしてた。ボク一人で祓えるくらいだと思ったのに」

 悔しそうに言ったとき、魔物が伸び上がるようにして襲いかかってきた。突き出した腕は指先が鋭い爪のようにとがっている。ゲームやアニメのモンスターみたいではあるけど、これは画面越しじゃない。

「来ないで!」

 ポンコは編み笠を外して投げた。編み笠はポンコの前で宙に浮かんで、盾のように魔物の手を阻む。

 魔物は前進も後退もできなくなった。ポンコは編み笠に右手を伸ばしながら、子供っぽい顔に汗を伝わせる。

「魔物を倒す方法は、力ずくか、弱点を突くか」

 俺が魔物の迫力に息を呑んでいるなか、魔物を凝視したままで語る。

「こいつは強くて、力ずくは難しい。弱点を突かないといけない。雑音のように幸せの記憶を取り込んでるから、その象徴を突きつけて霊力を注げばいい。そうすれば明るい意思が膨らんで存在を維持できなくなる。ただし強い魔物ほど暗い意思でいっぱいになってて、弱点が見えにくい」

 ポンコが早口で告げて、俺は寒気がした。ここにいる魔物はポンコの手に負えないもので裏技的な倒し方も難しいと、否応なしに理解させられたからだ。息詰まっている俺に、ポンコは必死の言葉を続ける。

「ボクは魔物が外へ出てくる前なら弱点を見抜けたかもしれないけど、ここまで成長されたら無理。だからリョク、弱点を占って!」

 空いた左手でたもとを探って、取り出したものを後ろ手に差し出してくる。

 メモ用紙の束とボールペン。俺は受け取ることに抵抗があった。

(こんな状況で占えとか、無茶言うなよ! ただでさえ占えなくなっているのに!)

 魔物はどう考えてもポンコが出した熊より恐ろしいはず。俺はポンコからメモのセットを受け取ったけど、ときどき気味の悪い声を発している魔物にひざが震えていた。

 もちろん何も閃かない。でも投げ出すわけにはいかない。

 戸惑いは増していくばかり。俺はあちこちを見渡して、床でうずくまっているガンちゃんに目を止めた。

(せっかくタヌキが獣舎の外にいるんだから、もっと楽しいことをできれば……)

 ガンちゃんはおびえている姿もかわいい、などと関係ないことまで考えてしまう。

(魔物なんかとっとといなくなればいい。ポンコと一緒にタヌキの餌やりでもしていられたら楽しそうだ)

 くだらない行為だけど、この状況ではすばらしく明るい光景のような気がした。

 こんなことを考えるのは現実逃避に過ぎない。そんな思いで満たされる寸前、俺の頭に映るものがあった。

 随分と懐かしい感覚だった。泉から水が湧いたように、イメージが浮かんでいる。

(どうして……いや、理由なんかどうでもいい!)

 俺はすぐにボールペンを握って、メモ用紙の上で動かした。

「リョク、占えたんだね……!」

 ポンコが嬉しそうな声をこぼした一方で、俺はボールペンをメモ用紙から離した。


〈5→軍手 6→弁当 7→ビン〉


「できた……!」

 感動のあまりに手が震えたけど、浸っている場合じゃない。この数字が何を示しているのか、そしてどういう占いなのか、急いで示さないといけない。魔物を止めている編み笠は、少しずつ煙を上げ始めている。

「俺が3○Sの時計を見た瞬間に何分かで占うんだ」

 携帯ゲーム機の3○Sをリュックから取り出す。

(もしかして、この占いも昔やったことがあるんじゃないか?)

 わいてきた不安を追い払う。

(俺は小学生のころに3○Sなんて持っていなかった! 何せ発売前だ!)

 画面を見ると、時刻は16:05。つまり、〈5→軍手〉。

(0とか1とか、俺が書いていない数じゃなくてよかった)

 俺は安心したけど、どうしても不安をぬぐいきれない。

(本当に当たっているのか? 俺が書いた数と偶然一致していただけとか……そもそも化け物の弱点が軍手なんてありえるのか?)

 魔物と全く関係のないことを書いただけじゃないのか。そんな気がして仕方ない。

(俺は占いができなくなって、友達から信じられなくなった。そんな俺が信用できるのか?)

「リョク、教えて!」

 ポンコは俺と違った。

「きっと当たってるよ! だから教えて!」

 編み笠が今にも燃え尽きそうだから、藁をもつかむ心境で――というわけじゃない。

(お前は俺よりもずっと俺のことを信じているんだよな……!)

 俺はそれを思い出したから、ポンコに大きくうなずいた。

「軍手だ! でも、ここにあるか?」

「あるよ!」

 ポンコはたもとに手を入れた。取り出したものは軍手じゃなくて葉っぱ。頭に乗せて宙返り。


 ぽぽん!


 煙が舞って、軍手になったポンコが魔物の胴に貼り付く。

「この状態で霊力を送るよ!」

 ポンコは口もないのにしゃべった。魔物は動きを止めて――吠えた。

 むしろ泣いているんじゃないかと俺は思った。その黒い体が砂のように崩れ始めて、魔物は自らの手を呆然と見つめる。

「本当に、軍手が弱点だったのか」

 俺は占いが当たったことを喜ぶ前に、奇妙な感覚で包まれた。

 こことは違う景色が見える。セピア色で、現実味がない。


 棚に酒のビンがずらりと並んだ店。壁にはひびが入って、棚も随分古いのか変色している。

 客はなく、店員らしき者はカウンターでコップをあおっていた。すぐそばには、棚にあるものと同じビンを置いている。

 かなりの年で、頭は真っ白。手が震えているのは年齢のせいか、飲んでいる酒のせいか。戸をきしませながら開けた青年は、血相を変えて老人へ駆け寄る。

「親父、また売り物を!」

「売れねえんだから仕方ねえだろ。まったく、客のやつらちっとも来やしねえ」

 老人が吐き捨てて、青年はため息をつく。

「うちも今どきの店みたいに弁当とか文房具とか置けばいいんだ」

「酒とつまみ以外はいらねえ! うちは酒屋としてずっとそれでやってきたんだ!」

 昔はともかく今はやっていけていない。青年のそう言いたげな顔を、老人は見もしない。

 そこで、場面が急に変わった。

 老人は痩せ細っていて、寝間着のままで道路をふらふらと歩いていた。履いているものは××病院とプリントされたスリッパ。危なっかしい歩き方のあまり車道へ出かけてクラクションを鳴らされても、よろけながら進む。

「あの野郎、俺が入院したのをいいことに、店を無茶苦茶にしてるんじゃねえだろうな」

 やがて老人は立ち止まった。目の前に古びた店があって、人が出入りしている。ビニール袋を持った高校生の声が聞こえてきた。この辺りにコンビニがなかったからちょうどいいとか。

 老人はガラス越しに店内を見て、目を疑ったようだった。青年が言っていた弁当や文房具を付け足して、壁のひびや棚の変色を飾りでカムフラージュしただけ。それなのに、客が何人もいる。

「俺が、足を引っ張ってたってことか……」

 老人がひざを落として、また場面が変わった。

 店はそれほど古くなくて、老人は老人と言うほどじゃない。青年も青年と言うほどじゃない。いずれ青年となる者は段ボール箱を運んでいて、「俺はこの店を立派に受け継いでみせる」と語る。いずれ老人となる者は、段ボール箱の中から取り出した品を棚に並べながらほほ笑む。

 二人がはめているものは軍手。取るに足りないものだけど、老人には違った。


(これが幸せの記憶ってわけか)

 俺が悟ったとき、風景が元に戻った。魔物は崩れていく途中。軍手からタヌキ少女に戻ったポンコは、霊力を送るという行為が大変だったのか足をふらつかせる。

「もしかして、リョクにも見えた? 弱点を突いて倒すと、霊力を持ってる人はいろいろ感じちゃうからね」

(俺は幽霊一つ見たことなかったけど、霊力を持っているうちに入るのか。ここ最近はポンコや魔物の気配を感じたりしていたしな)

 それはそれで驚くべきことだったけど、俺にはもっと気になることがあった。占いが当たったことよりも強い。

(魔物……あの爺さんには、手助けしてくれる人がいた。でも自分から孤独になって……俺も似たようなものじゃないのか?)

 学校では人とあまり関わらないようにしている。この動物園にも一人で来て、ポンコさえアパートに置いていこうとした。

(最初からポンコを連れてきてやればよかったんじゃないか? イベントに二人で参加する方法も、ちょっと考えればおじさんに言われたのと同じことを思いついたんじゃないか?)

 占えなくなって友達とぎくしゃくし始めた――そう思ったのは自分だけだったのかもしれないという気がしてきた。友達のままでいてくれた者がゼロだったとは限らない。

 俺は考えを一旦切らないといけなくなった。崩れつつある魔物が、また両腕を振り上げようとしている。

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