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 昼を過ぎてイベントの開始時間になったとき、四矢が言ったとおり急な都合で来られなくなった者がいた。だからポンコは俺の妹で中学生の福分奉子として参加証を発行してもらえた。

 参加者五十人は事務所のそばに集まって、何組かに分けられた。俺とポンコは同じG組。

「こんにちは皆さん。私が案内を担当させていただく副田です」

 G組五人の前で自己紹介したのは、二十代前半の男性スタッフだった。俺も何回か見たことのある人だ。普段は明るいけど、今日は緊張しているように見える。

「G組担当は本来なら原という者なんですけど、具合が悪そうなので私が代理をすることになりました。精一杯やらせていただきますので、よろしくお願いします」

 原というスタッフのことも俺は知っていた。二十代半ばの男で、いつも夕方にタヌキ舎で餌やりをしている。

 俺は原が心配になってきたけど、もう副田は客を先導して歩き始めていた。俺は慌てて後に続く。

「……どうした?」

 ポンコが立ち止まって後ろを見つめていた。普段と違って緊迫感を漂わせているように見えるのは気のせいか。

「早く来ないと置いていかれるぞ」

「う、うん!」

 俺が呼びかけると、ポンコは駆け足で追ってきた。


 行き先は組ごとに違って、俺たちが最初に案内されたのはゴリラ舎。今は一頭のゴリラが生活している。俺はまた3○Sでその姿を撮影した。このイベントも一通り映像に収めるつもりだ。

 俺たちが珍しそうにゴリラを眺めている一方で、ゴリラはいかめしい顔で俺たちを眺めている。副田は広げた手でゴリラを示しながら語る。

「ゴリラは怖そうだと思われることもありますが、実際はとても優しい生き物です。むしろ怖がりすぎて神経性の病気になることもあります」

 そんな解説をされたゴリラだったけど、副田がリンゴを投げると上手に受け取って食べ始めた。ポンコはそれを見て、他の客と同じように驚きの声をこぼす。

「怖がりって言ってたけど、ここの人と仲よしなんだね」

 ゴリラを観察しながら、こっそりと俺に話しかける。

「よその国にいる猿の神様と同じように優しそうだから、人間と仲よくするのも当然かも」

 俺はポンコのつぶやきを聞いて、インド辺りの話だと思い出した。

「偉いお坊さんがお経をもらいに行ったときも、最初に味方をしたのは猿の……」

 ポンコは目を見開いて、口を押さえる。

「あ、ううん。これはただの昔話ってことになってるんだよね!」

 本当は何なんだと俺は訊きたかった。とりあえず、他の人に聞かれてややこしいことにならなくてよかった。


 次はバク舎。バクにも黒いのやら茶色いのやらいろいろ種類があるけど、ここにいるのは胴が白くて他は黒いマレーバクだ。

 大きさはセントバーナード犬の倍くらいで、寝そべっている。俺たちが近づいても警戒して起き上がったりしない。何だか野生の欠片もない。

 ポンコはバクを間近にして驚いた顔をしていた。

「動物のバクは初めて見たよ!」

 動物じゃないバクは見たことがあるとでも言うのか。

 副田はバクの基本的説明を終えて、ポンコにうなずいた。ポンコは嬉しそうな様子を強めているので、その声も周りに聞こえるくらいの大きさだった。

「そこのお客さんが言ったとおり、伝説には夢を食べるバクというものがいて妖怪漫画に出てきたりします。でも動物のバクは夢なんか食べないし、うちの子は自分が寝てばかりです」

 客たちから笑いが起きて、副田はだんだん調子が出てきた顔になりながらデッキブラシをつかんだ。

「そして、こうすると喜びます」

 デッキブラシでバクの胴を軽く擦る。ざりざりと音がして、マッサージになっているのかバクは嬉しそうな顔をした。だらけ具合も増す。副田は「交代でどうぞ」と言いながら客にデッキブラシを渡す。俺たちが同じことをしても、バクは喜んでいた。

「でも、好物のこれを見せると……」

 副田はラップに包んだものをポケットから取り出した。開けて落としたのは、切ったバナナ。

「いらないの? それならボクが」

「お前のじゃないっての」

 俺がポンコを押さえている間に、バクはがばっと起き上がった。バナナのにおいを嗅ぎつけたんだろう。象ほどじゃないけど長い鼻でバナナをたぐり寄せて食べる。あまりの変わりように、客たちはまた笑っていた。


 最後に行ったのは、タヌキがいるところ。ポンコと会ったタヌキ舎じゃなくて、動物たちの医務室だ。平屋で、中には部屋がいくつもある。いろいろな動物に対応するためだ。

「今、野生のタヌキがケガをして保護されています。そうっと見てください」

 ガラス戸の向こうにケージが何台もあって、数台には動物が一匹ずつ入れられていた。タヌキっぽいものは三匹。そのうちの二匹は座っていて、顔だけを向け合っている。残り一匹は丸くなっていた。

 客の一人が「どれ?」と言ったところで、副田は準備していたらしき次の台詞へと移った。

「あっちにいるのが、おなかを壊して入院させられている園内のタヌキ。そっちにいるのが、さっきお話しした野生のタヌキ。そしてもう一匹はアライグマです」

 みんな吹き出していた。

「タヌキ同士で向き合っているから、何か話しているみたいにも見えますね。さて、タヌキとアライグマの違いは……」

 俺はこの動物園にいるタヌキ三匹の区別が付いて、入院させられているのがガンちゃんという名前だと気づいてもいる。そんなレベルでも闇夜で会ったらタヌキかアライグマか判別できそうにない。

「ケガや病気は困るもんね。人間が治してくれるなら便利――」

 ポンコは楽しそうだったけど、急に表情を凍りつかせた。

(どうかしたのか?)

 よく見ると、部屋の中でもタヌキ二匹が起き上がっていた。物音でも聞きつけたように耳をぴくぴくと動かす。

 ポンコは編み笠を少し上げて、隠していたタヌキ耳をガラスに向けた。何度かうなずく。

「動き始めた……? タヌキに餌やりをする人間と一緒……?」

 ポンコがつぶやいて、俺は様子のおかしさをより強く感じ取った。

「あいつら、何を話しているんだ?」

 俺は、他のみんなの注意が室内のタヌキへ集まっていることを確認してからポンコへこっそり問いかけた。

 ポンコは俺に振り返るなり肩を震わせた。編み笠を両手で押さえて、小刻みに首を振る。

「別に何も!」

 明らかに何かある。でもあまりの驚きようだったので他の客の目が集まってしまって、俺はそれ以上訊くことができなかった。

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