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 そういうわけで、俺はポンコと二人で行動することになった。

 ポンコは編み笠をかぶっているので、タヌキ耳は昨日と同じように隠れている。尻尾は出していたので、袴に入れさせた。

 問題は巫女装束だ。金曜の放課後、耳と尻尾を隠したポンコは占い部の部室へ来た何人かの生徒に見られた。そこでは占いの神秘的さと巫女装束が合うのかあまり変な目で見られなかったけど、ここでは目立ちすぎる。そしてポンコは人の目なんか気にせず園内を駆け回る。

 化けて他の服装になるとか、化けてタヌキ耳・尻尾のない姿になるとか、そういう手は使わない。なぜなのかと訊いてみたときは、「これが今のボクにとって一番安定する姿だからだよ」という答えがあった。

「動物がいろいろいるね! ここの人間は一匹一匹名前を覚えてるのかな」

 あっちの獣舎こっちの獣舎と跳ね回るポンコは、まるで人間の子供だ。そうかと思うと獣舎の前で足を止めて、編み笠を持ち上げながら聞き耳を立てたりする。今度は白熊舎の前で立ち止まって、しばらくしてから俺に振り返った。

「この子も言ってるよ! 人間が食べ物を運んでくるから便利だって!」

「そりゃよかったな」

 会話できるらしい。「閉じ込められて嫌」とか言っていないそうなので俺はホッとした。

「ボク、動物園には一回だけ来たことあるよ」

「山にこもっていたから知らない」ということはないみたいだ。電化製品は使えないけど。

「最初、ボクは動物が閉じ込められてかわいそうって思った。でも知り合いに『動物園にいる生き物は、人間から見られる仕事をしてる』『お給料は食べ物と安全』って聞いて納得できたんだよ」

 そういう考えもあるかなと俺は思った。実際のところ、動物園はただ動物を見せ物にしているんじゃなくて保護などの面で役立っている。あるペンギンは自然だと絶滅危惧種だけど、動物園では増えすぎて困ってしまうこともあるほど。世界中の動物園にいる個体が地球上にいる全個体の中でかなりの割合を占めている。

 ポンコは完全に認めているわけでもないみたいだった。動物園で一番多い生き物――人間を眺め始める。

「でも、こんなにたくさんの人が見に来ちゃうと見られる方も大変だよね」

 いつものポンコが輝く笑顔なだけに、陰っていれば目立つ。今も心配そうな顔でペンギンプールを見下ろしていて、俺の目を引きつける。

「ぺんぎんは寒いところの生き物だって聞いたことがあるよ。動物園では暑そうなところにいるけど、夏場は平気なのかな」

「ペンギンにもいろいろいるんだ。全部が寒さ好きってわけじゃない。暑いところで飼われているのは暑さが平気なペンギン、涼しいところで飼われているのは寒さが平気なペンギンだ」

 俺が説明すると、ポンコはやたらと驚いた顔になった。

「そうだったんだ! リョクはもの知りだね!」

 初めてペンギンのトリビアを誰かに話せたので、俺はちょっと嬉しかった。でも散策を再開させたポンコが獣舎の一つに仰天顔で駆け寄って、俺はどきりとした。

「ここ、動物がいなくなってる! きっとすとらいくだよ!」

「ストライキって言いたいのか? 違うから安心しろ」

 あんなに人が集まっていたらストもするかもしれない、なんて俺は少しだけ思った。

「ここにはパンダがいたんだ。よそから二ヶ月限定で貸してもらえたやつでさ。でも一ヶ月半前に帰ったから、今は空き部屋なんだ」

 日本国内においてパンダがいる動物園はごくわずか。ここも一時的にその一つに加わっていて、相当な数の客が集まった。パンダ舎付近は満員電車のように混雑して、かなり遠目にパンダを見ることができたら運がいい方だった。

 今日の客はパンダがいたころほど多くない。でもポンコはそんなことを知らないから仕方ないと、俺は考えておいた。

「今日は客が多い方なんだ。日曜だし、何ヶ月かに一度のイベントもある。スタッフがバックヤードに案内してくれてさ」

「いべ……ばっく? ばっくはわかるよ! 後ろに下がれって意味!」

 ポンコは神社の駐車場で整理員が言っているところを聞いたのか、慌てて付け加えた。横文字がわからないみたいなので、俺は代わりになる言葉を探した。

「何人か限定で、特別な場所へ案内してもらえるんだ。普通の人が入れないところだ」

 カナちゃんクラブの会員が参加希望のはがきを送って当選すると、招待券が返ってくる。今回は俺も当たったので、絶対に行こうと思っていた。

 イベント内容は、獣舎の裏へ回らせてもらえること。正面からではわからない動物の姿を見せてもらえたり、普段は柵越しの動物へ近づかせてもらえたり。

「特別な場所……?」

 ポンコは明らかに表情を変えていた。動物園の生き物は見せ物にされているんじゃないかという疑問、そして特別と聞いてわいてしまった興味が、心の中でせめぎ合っているんだろう。

 俺はそれを見て、しまったと思った。参加者は抽選なので、直前に「交ぜて」と言っても無理のはず。俺がリュックに入れている招待券も一人分でしかない。

(いや、俺は当たったことをポンコに話していない)

 お前だけ帰れとは言えない。透明にさせて連れていくことはできるけど、動物に触れさせてもらえなかったら楽しんだことにならない。それなら「俺たちは招待されていないから駄目だ」と言ってしまう方がいいかもしれない。

(せっかくの当たりだけど仕方ないか)

 俺の招待券でお前だけ入れとも言えない。俺のフォローがないところでまずいことをしたらトラブルの元だ。

「そのイベントなんだけど、俺たちは」

「参加できるかもしれねえだろ」

 声がした。振り返ると、後ろにいたのは背が高くてカジュアルな服をまとった男。俺は声を上げずにいられなかった。

「おじさん!」

 俺はそんな呼び名を使っているけど、まだ二十八だ。親父の弟じゃなくて親父の従兄弟だから叔父でもなくて、従兄弟叔父というのが正しい。初めて会ったときに「お前の親父が年の離れた弟みてえにしていたから、お前には叔父みてえなもんだ」と言われたからおじさんと呼んでいるだけ。

「あ!」

 ポンコが急に叫んで、俺はとっさに手で口をふさいだ。

「むむむ、むむむむむ」

(何を言っているのかわからないけど、『神使として福狸神社に出入りしているからこの人のことを知っている』とかだろ? いきなりそんなことを話しても変なやつと思われるだけだ。ただでさえ巫女装束に編み笠なんて妙な格好なんだ)

 おじさん――福分ふくわけ四矢よつやは、この土地にある福狸神社の神主。今は俺が慌てているところを見て、子供みたいにいたずらっぽい笑みを浮かべている。

「久しぶりだな、リョク。元気そうで何よりだ」

「おじさんこそ……相変わらずもてますね」

 俺は四矢の横にいる女の人たちを見渡した。全部で四人、みんな二十代くらい。もう秋なのに、やたら露出度の高い服を着ている。

「まぁな!」

 四矢は口を大きく開けて笑った。

「イベントの抽選には外れたが、今日は友達を連れて遊びに来たんだ。近所付き合いで寄付をしているから、たまには来てもいいだろ」

 日曜日は参拝客が増えて忙しいんじゃないのかと、俺は訊きたかった。

 四矢は二十四のときに亡父の跡を継いで神主になった。それから始めたことは、他の神主と違いすぎる。お守り販売にスタンプカードを導入するとか、厄年の人を集めて〈励まし合って厄年を乗り切る会〉と名づけた飲み会をするとか。

 奇妙ではあるけど、若い人を神社へ引き寄せるきっかけ作りにはなった。神社の切り盛りもしっかりしているので、福狸神社全体では信頼されているらしい。俺がこのF市で一人暮らしできるのも、四矢が口添えと共にアパートの一室を提供してくれたお陰。

 つまり、俺からすると恩がある。それなのに会うのは数ヶ月ぶりだった。

(まさかこんなところで会うとは。おじさん、苦手って言うか)

 俺が子供のころは仲よくしていた。でも何年か前からは違う。四矢はそんな考えに気づいてもいない顔で俺を見下ろしている。

「イベントを仕切るスタッフに聞いたんだが、お前は当たったんだろ?」

 それを話さないでくれと俺は言いたかった。間違いなく顔に動揺が出てしまったので、ポンコにごまかすことはできない。四矢にも変な顔をしたと見られたはず。でも四矢はちっとも口を閉ざさない。自信がありそうな顔で語る。

「参加者は会員限定五十人と決まっているが、一人や二人は急に参加できなくなったやつが出るもんだ。お前の妹ってことにでもして欠員待ちしてりゃ、会員の家族として参加できるはずだ」

 俺は四矢の案を聞いて、頭の上で電球が灯ったような気分になった。その一方で、引っかかるところがあるような気もした。

(妹ってことにでもして?)

 浮かんだ違和感は、手近で収まりやすそうなところへはまる。

(いや、きっと俺が彼女でも連れてきたと思ったんだ)

 四矢は俺が異性を連れていることに驚いたりしない。自分が四人も連れていたらそんなものかもしれない。

「とりあえず、事務所に参加希望と言ってみたらどうだ」

 事務所がある方を指さしてから、俺とポンコに背を向けた。女の人たちが後に続く。

「四矢さん、どこに行くの?」

「まずはシマウマか? モノホンの馬並みを見られるぞ」

「もうやだ、四矢さんったら!」

 下品なことを言ったのに少しも嫌がられる様子がなくて、更に四矢は大きな笑い声まで響かせる。俺はそんな姿を見送りながら、苦い気持ちをわき上がらせていた。

(俺、あの余裕ありまくりなところが駄目なんだよな)

 占えなくなって動揺した俺と違って常に堂々としている。四矢は悪くない。俺のひがみだ。

(そんなことを考えても仕方ない。一応、ポンコ自身の意思を聞いてみるか)

 俺は四矢の姿が見えなくなったところでポンコから手を放した。

「おじさんが言っていたとおり、俺には招待券がある。お前も参加したいか?」

 解放されたポンコは、ごまかすように目をあっちへこっちへとそらした。

「別に、見たいわけじゃないよ! 神使として、リョクの周りにあるものが気になるの! 動物園がどういうものか、ボク自身の目と耳でもっと深く確認しておいた方がいいし!」

 いつものんびりしているけど理論武装はできるみたいだ。便利なものだと俺は思わずにいられなかった。

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