2-1

 翌朝、俺たちは高校近くのバス停に集まった。そこからバスを乗り継いでたどりついたのは、少々離れたところにある山。

「今日は自然と触れ合って直感を養うよ! これこそ占いの訓練!」

 リュックを背負ってトレッキングシューズを履いた二十木が、明るい言葉を放ちながら歩いている。

 俺たちが進んでいるのは、ハイキングコースの舗装道路。深い森に挟まれていて、ときどき鳥や虫の声が聞こえる。こうし始めてから十五分くらいたっただろうか。

 長期休みシーズンじゃないし有名な場所でもないので、人は俺たち以外ほとんどいない。緑の景色も草木のにおいも独占、と言えば聞こえだけはいい。

 俺たちはみんな動きやすい格好だけど、ポンコだけはいつもの巫女装束に草履。タヌキ耳が編み笠に隠れていても目立ちすぎる。尻尾も袴にしまわせたいけど、山歩きには大変そうだから出させた。リュックを背負っていれば、リュックの飾りと思ってもらえそう。もっとも、俺たちの中で一番元気がいいから袴に入れさせるくらい平気かもしれない。

「あっちに行くと、きれいな滝がある」

 黄宮がタオルで自分の汗を拭いてから指を伸ばすと、ポンコは楽しそうに顔を動かした。

「夏でも涼しそうだね」

「そこから少し歩くと、カブト虫がとれるところ」

 次々に黄宮が教えていって、ポンコは一つ一つ聞く。実家の裏にある山よりここの方が広いので、興味を引かれるのは当然かもしれない。二十木はそれを笑顔で見ていた。

「ミヤには後輩ができた気分なのかもね。フクは明らかに年上だし」

 見た目的にはそのとおりだ。実際にはポンコの方が黄宮より九十四歳ばかり年上だけど。

 俺を入部させるべく躍起になっていた黄宮は、興味をポンコへ移したのか俺には見向きもしない。勝手に仲よくしてくれて俺へまとわりついてこないならありがたい。

「気楽な方ですね」

 亀山がポンコを見ながら呆れたようにつぶやくと、二十木がその肩を威勢よく叩いた。

「あたしらもあの元気さを見習わないとね! このハイキングコースは一周一時間! 張り切って行くよ!」


 一周一時間と言われたけど、二時間たってもハイキングは終わらなかった。

 ハイキングコースの舗装道路にずっといるわけじゃなく、ときどき脇の山道に入って川や滝や名物の岩を見たりする。足場の悪いところへ踏み込んでハイキングコースまで戻るのは大変だった。

「まだ予定の半分も終わってないよ! 今日はフルコースだからね! 大自然に囲まれての歓迎会ってわけさ!」

 俺たちへ言い切った二十木は、息を切らせていても足は止めない。今も何とかという石碑を目指して森の中の山道を歩いている。亀山は足取りがかなりよろけているのに薄く笑う。

「元々、ファン避けに始めただけでしょう」

 俺はかすれた言葉を聞いて、部員が少ないことに納得した。

 二十木がいることを理由に入部した者は、大変なハイキングに驚いてドロップアウトする。二十木へ近づきたいだけなら、部員にならず占ってもらう側にいれば十分だ。昨日来た相談者の中にも二十木へ熱い視線を注いでいる者がいた。

「てことは、これをしていなかったら……」

 俺が思いついたことをつぶやくと、亀山が肩をすくめた。随分疲れた様子の割りによくやる。

「きっと、廃部の危機なんてありませんでしたよ」

「そのことはあたしが悪かったって」

 二十木が目をそらしながら答えた。

「でも仕方ないだろ? 占いに興味があるならともかく別の目的でうろちょろするだけとか、鬱陶しいだけさ。あたしは淡々と占いに打ち込みたいんだよ」

 俺は占いじゃなくて野球やサッカーだったらと想像してみた。ストイックな選手が「一緒に試合や練習をする相手以外は離れたところから応援しておいてくれ」と言っているようなものかもしれない。霊感がないと言っていた二十木だけど、占いに関するポリシーはあるみたいだ。

「疲れたなら、あれでも見て元気を出しな!」

 二十木が指さしたのは、一番前にいるポンコ。

「ここ、いいところだね。木も草も元気だよ!」

 動きにくそうな姿なのに、相変わらず軽快に進んでいる。鼻歌が聞こえてくるときもある。

「人外と、一緒に、しないでほしいです」

 愚痴った亀山の横で、黄宮もかなり息を荒くしていた。もうポンコに解説する余裕はなさそう。ポンコは心配そうに二人へ近づく。

「荷物を持とうか?」

「それなら……」

 亀山はリュックのベルトに手をかけたけど、黄宮は首を振る。

「これは、占いの訓練」

「え、ええ……そのとおりです。ご心配なく」

 後輩の黄宮が頑張っているのに降参してはメンツが保てない、ということだろう。亀山はそれとなくリュックを背負い直した。

「無理しなくてもいいだろ」

 俺は亀山へ軽く告げた。俺自身は、汗がどんどんあふれてきても息が上がったりしていない。別にやせ我慢しているつもりはない。

「なかなかやるね、フク。さすが男の子ってわけ?」

 二十木が感心した顔になったけど、俺にしてみればこのくらいは大したことでもなかった。

「子供のころから山の中で遊んでいたお陰です」

 俺はスポーツが得意なわけじゃない。でも持久走なんかのスタミナ勝負なら活躍できる。亀山は俺の優位が面白くないみたいで、不満げな表情をする。

「あ、あなたが平気そうなのにわたくしが平気じゃないとか、絶対にありえません!」

 足を速めてみせても数秒しか保たず、すぐ黄宮の横に戻る。俺は相手が普通の人なら心配するところだけど、いつもにらんでくる亀山なので少し面白くなってきた。この歓迎会を提案した理由も、俺に音を上げさせるためだろうし。

「もっと大変じゃないと、俺は鍛えたことにならないかな」

「調子に乗って……!」

 亀山が歯ぎしりして、俺は笑いを堪えた。一方、ポンコは手を叩き合わせていた。

「これは占いの訓練で、リョクはもっと大変じゃないと鍛えられない……じゃあもっと大変にしようね!」

 たもとから葉っぱを取り出して、すぐそばの石に乗せる。

「えいっ!」

 忍者みたいに指を立てて気合いを込めると、葉っぱと石を中心に煙があふれた。


 ぽぽん!


 俺は煙の中から現れたものを見て、慌てて距離を空けた。

 黒い体に鋭い爪。見上げるような巨体。熊だった。先日の犬よりもずっと迫力があって、俺たちをにらみつけてくる。亀山たちも後ずさりながらどよめいた。

 俺は反射的に熊へにらみ返していた。山で熊に会ったらこうやって威圧するべき。実家の裏の山には熊なんていないけど、知識として頭に入れていた。でもポンコが告げた言葉は俺の心をへし折るかのようだった。

「あ、リョク。この熊さんは本物じゃなくて術で作った熊さんだからね。そういうのは効かないよ」

「何だって……!」

 ポンコが言ったとおり、熊は俺たちへ向かってきた。

「逃げるよ!」

 二十木が叫ぶのとほぼ同時に、俺たちは山道を駆け出した。亀山も黄宮も限界っぽかったけど、切羽詰まったせいか走る。熊はうなりながら追ってくる。

(このままだと、そのうち誰かがへばって捕まる)

 火事場の馬鹿力もずっと続くわけじゃないと、俺にはわかる。

「あれが熊そのものじゃないって言うなら……!」

 俺はポケットに手を突っ込んで、中に入れていたものを取り出した。ビニールの包装を破いて中身を放り投げる。

 すぐに熊のうなり声が遠ざかり始めた。

「やっぱりポンコと同じ思考回路か」

 さっき投げたのは飴玉。振り返ると、熊は立ち止まって飴玉のにおいをかいだりなめたりしていた。食い気なら目をそらせると思った。

「隠れるんだ!」

 俺はそう叫んで、茂みに飛び込んだ。亀山たちも後に続く。

「休んじゃうの? 鍛えられるのに」

 ポンコはゼーゼー言っている俺たちを不思議そうに眺めていた。

「ただの石ころが熊になるとは。やばすぎるだろ……!」

 俺はすぐさまそう言ったけど、二十木は不敵な顔だった。

「いやいや、面白い趣向さ。ただ、あの熊が他のハイカーを襲ったらまずいね」

「それは安心していいよ」

 ポンコは危険さを実感していないかのごとくにっこりとした。

「あの熊さんが見えて、あの熊さんから追いかけられて、あの熊さんの爪や牙でケガをするのは、ここにいるボクたちだけだから。他の人はすり抜けちゃうよ」

 つまり、俺たちがあの熊に襲われていても他の人はどうしてズタボロになっていくのかわかってくれないということ。俺は背筋が寒くなった。黄宮はこの事態でも表情を見せない。

「リ○ックマやプ○さんがかわいいと思えるのは、熊に襲われたことがない人だけかも」

 それはそうかもしれないけど、議論している場合じゃない。

「あんなの、危険です!」

 亀山がひそめた声で文句を言うと、ポンコはまたたもとを探った。朱色の布袋を取り出す。

「大丈夫だよ。ボクがこのお守りを持ってるかぎり、いつでも止めたり消したりできるから」

 ゲームやアニメの魔法使いが魔法を制御するために使う杖みたいなものか。俺はそう理解して、かえって危機感を強めた。

「つまり、逆に言えば……」

 がさり、と音がした。みんなすぐさま顔を動かす。熊かと思ったからだ。でも茂みが鳴った場所は俺たち全員に対して下の方。ポンコの足もと辺りからだった。

 そこにいたのはもこもこのマルチーズ。まだ子犬で、新しい首輪を付けている。野犬じゃなくて誰かが連れてきただけだろう。

「このハイキングコースはペット連れ込み禁止。マナーが問われる」

 黄宮が静かに言った。それどころじゃなかった。

「おぎゃああああ!」

 ポンコが奇声を放った。子犬から前足で袴に少し触れられているだけだけど、よっぽど怖いみたいだ。万歳するように両手を動かす。

 その拍子に、お守りが木々の間へ飛んでいった。

 どこかから「モモー、どこー?」と子供の声がした。子犬はポンコの叫びに驚いていたけど、尻尾を振りながら駆けていった。残されたポンコはくたりと崩れ落ちる。

「しっかりしろ!」

 俺はポンコを抱き止めた。気絶したせいでやけに艶めかしいとか、余計なことを考えている場合じゃなかった。

 茂みの外にさっきの熊がいて、ベアーなクローを振り上げている。

「ここはまずい!」

 俺たちは茂みから駆け出した。

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