第二話 占い部

1-1

 俺がソファーの上で目を覚ますと、頭の下にあったものはクッションだった。

(あれは夢……いや、違う)

 温かさと甘い匂い、なでられる感覚、そして「なでたとき」の感触を俺は思い出して恥ずかしくなった。夢だったらここまで覚えているわけがない。

 そんな気分は長く続かなかった。何だか部屋の中が煙い。台所から煙が流れ込んできている。

「火事……?」

 俺はすぐさま跳ね起きた。借りている部屋を焼いたら申し訳ないし、家へ引き戻されるきっかけにもなりかねない。

 台所に駆け込んだけど、ガスコンロから火の手が上がったりはしていなかった。

「あ、リョク。おはよう」

 ポンコが巫女装束の袖をたすきでまくってしゃがんでいた。

 うちわであおいでいるものは七輪。上に魚が何匹か乗っていて、煙をあふれさせている。

 とりあえず火事じゃないらしい。俺は窓を開けて、煙を外に逃がした。

「……何をやっているんだ」

「ええとね、鮎を持ってきてたからリョクに料理してあげようと思って……」

 鮎はかなり黒い。元からそういう色じゃないはず。ポンコもどういう状況かわかっているみたいで、戸惑った顔をしている。

「でも、失敗しちゃって」

(つか、七輪と鮎をどうやって持ってきたんだ。神使なんて不思議なやつにそんなことを考えても仕方ないか)

 俺はポンコが見下ろしている鮎をひょいっとつまんだ。黒くなった胴体にかじりつく。

「それ、焦げてるよ?」

 ポンコが止めようとしてくるなか、鮎を噛み千切る。外側は苦いけど、内側にはそれほどじゃない部分もある。

「全然食べられないわけじゃないだろ」

 途端に、ポンコは嬉しそうな顔をした。

「優しいね。きっとこれもリョクのいいところなんだね」

「神社の息子が食べ物を粗末にしていいわけないだろ!」

 俺は慌てて言い返した。意識していなかったけど、神社の息子だと誰かに面と向かって言うのは久しぶりだった。



 俺は高校で普段どおりに過ごして、帰りのホームルームまで終えた。今日は金曜なので、みんな急いで帰ろうとしている。

(こっちまで変わるわけないか。妙なことが一つだけあるけど)

 俺は荷物をまとめながら出入り口を見た。こっちをのぞいていた者が顔を引っ込める。

(黄宮のやつ、今日は朝からあの調子だ。どういうつもりでこそこそしているんだか)

 いつもの無表情なので、意図はつかめない。俺は腰を上げてからしばらく出入り口を眺めた。またのぞいてこないところを見ると、どこかへ行ったみたいだ。

「変な人ですね」

 声に振り返ると、亀山が怪訝な目をしていた。俺は二人が占い部の先輩後輩だと思い出した。

「黄宮のことか?」

「あなたのことです」

 亀山は失礼なくらいに瞳の冷たさを強める。

「ずっとニヤニヤして……変なものでも食べたのではありませんか?」

 こっちにしてみればお前が話しかけてくるのも変なことだ。俺はそう言いたかったけど、今日は機嫌がいいので黙っておいた。

「俺がニヤニヤなんてするわけないだろ」

 変なものは食べたけど、と思い出した拍子にアパートを出たときの記憶が戻ってきた。大したことがあったわけじゃない。ポンコに見送られつつ出発しただけ。

 行ってらっしゃいのキスをされたとかでもない。ただ、見送られること自体が久しぶりだった。同年代の少女――の姿をしたもの――から見送られた、と考えれば初めてのことだ。

(占ってもらえるまでいるとか言っていたから、きっと俺が帰ったらまだいる。また魚とかを焦がして本当の火事になったら困るんで昼飯は近くのコンビニで買って置いてきたけど、ちゃんと食べていたらいいな)

 亀山が「頭をお大事に」と言ったところで、水野が俺に近づいてきた。

「帰ろうぜ。途中で寄り道しねえ?」

「俺、今日はちょっと都合が悪いんだ」

「お前はいつもそれだろ。付き合いの悪いやつだな」

(わかっているなら誘うな)

 俺は考えている最中に目を出入り口へ引かれた。他の生徒も視線を集める。廊下を走ってきて派手に転んだ者がいたからだ。

 小柄だったので、俺は黄宮がまだうろついていたのかと思った。でも黄宮はいつも静かで、走るところなんか見たことがない。

 俺は転んだのが黄宮じゃないと気づいて、ギョッとなった。

 制服じゃなくて巫女装束を着ているし、黄宮にはタヌキの耳や尻尾なんかない。起き上がったときの痛そうな顔も、教室に俺がいると気づいたときの嬉しそうな顔も、黄宮と違ってわかりやすすぎ。転んだのは土足禁止の床を足袋履きの足で走っていたからだ。

「リョク、わかったよ!」

 ポンコは高揚した様子でずんずんと教室に入って、俺のそばまで来た。教室にいる者たちがざわつく。俺にはポンコが何を言わんとしているのかよりも疑問に思っていることがあった。

「どうしてここがわかった?」

 俺はこのO高校がどこにあるのかポンコへ教えていない。アパートとはそう離れていないけど、目の前というわけでもない。だからノーヒントでたどりつけるとは思えない。

 ポンコは薄い胸を得意げに張った。

「ボクはリョクのにおいを覚えてるんだよ! 子供のころとはちょっと違うけど、どう変わったのかは夜のうちにわかったし!」

 居合わせた生徒たちが沈黙した。

 ポンコは、犬みたいに嗅覚だよりでここへ来るのは簡単なことだと言っているんだろう。何せ隣で授業を受けていただけの亀山から俺のにおいを察知するほどの鼻だし、夜中は膝枕しながら俺のそばにいた。でも他の者はそんなことを知らない。別のことを想像してしまうはず。

「不潔ですね……!」

 亀山が吐き捨てたのを皮切りとして、生徒たちは爆発するようにざわつきを戻した。

「あの子、中学生くらい?」

「巫女&獣娘? 福分ってマニアックなタイプだったのか」

「いつもだんまりだけど、見かけによらないな」

 いろいろな声が聞こえてきて、俺はどう説明したらいいかわからなかった。とりあえず、ときどき動く耳や尻尾は脳波で動く猫耳アクセサリーの類と思ってほしいところ。

 ポンコは構わずに巫女装束のたもとを探って、取り出したのはタヌキの置物。ティッシュ箱くらいの大きさで、編み笠をかぶってとっくりと通帳を持っている。どう見てもこんなものが収まるたもとじゃないけど、とりあえず今朝の七輪と鮎を持ってきた方法はわかった。周りには手品とでも思ってもらいたい。

「ほら、これ見て!」

 嬉しそうな顔で俺に置物を突き出す。タヌキが犬くらい派手に尻尾を動かす生き物だったら、アクセサリーなんて言い訳は通じなかったかもしれない。

「リョクはタヌキにまつわる神社の子供だから、これと同じようにしたら自然と力が出るはずだよ!」

 まさか、と俺は寒気を走らせた。ポンコは置物の股間部分を指さしている。やたら涼しげなそこを。

「さあ、×××××と××××を出して!」

 俺は女の子にあるまじき言葉を二つ聞いた。ポンコは恥ずかしがる様子もなく置物をたもとに戻して、俺のズボンに手をかけた。

「やめろ!」

 即座に俺はズボンを押さえた。ポンコは負けじと引っ張ってくる。

「恥ずかしがらなくていいから! ボク、リョクのを何度も見たことあるし! 昨日の夜も」

「だから誤解されることを言うな!」

「キ……何を言っているんですかこの子は!」

 亀山は別の世界から来た者を見るような目だった。他の生徒はざわついたりはやし立てたり。教室は大騒ぎになってしまった。この調子だと声を聞きつけた先生が来て、面倒なことになりかねない。

「はいはい、そこまで!」

 手を叩く音。俺もポンコもとっさに動きを止めた。口々に言葉を放っていた生徒たちも一度黙って、驚きの声を発する。

 俺はみんなの視線をたどって、同じように声をこぼすことはなかったけど驚きはした。

 教室に入ってきたのは、美人で有名な先輩の二十木。後ろには黄宮を従えている。

(どうして二十木先輩がここに)

 生徒全員をあっさり大人しくさせたのはさすがと言える。二十木は俺を見て、強気そうな笑いを浮かべた。

「福分緑、ミヤから話は聞いた。ちょっと来てもらおうか」

 俺はミヤというのが誰かわからなかった。しばらくして、二十木の後ろにいる黄宮のあだ名だと気づく。

 次に、どういう話を聞いたんだと俺は問いたくなった。二十木は俺の疑問に構わず、いたずらっぽい視線をポンコに移す。

「そっちのタヌ子ちゃんもね」

(ポンコがタヌキだって知っているのか?)

 俺はハッとしたけど、二十木は訳知り顔で俺たちを眺めるばかり。他の生徒が「連れていく前に詳しい話を」なんて顔で見ていても、口を挟む隙なんか与えなかった。

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