2
帰宅した俺は居間として使っている部屋に入って、脚が短いテーブルにコンビニのビニール袋を置いた。いろいろあって食欲がなかったから、菓子パンを二つ買ってきた。
住んでいるのは親戚が大家をしているアパート。2DKで、入ったときは狭いと思った。でも一年半ばかりたった今は一人で暮らすのに広すぎると思っている。
「適当に飯を食って、適当に宿題を終わらせて……後はすることなんかないな」
いつの間にか癖として染みついた独り言をこぼしながら、自室として使っているもう一つの部屋に学生鞄を放り込んだ。あっちには勉強机やベッド、こっちにはテレビや横長のソファー。いつもと同じものしかない。
視界の端に入ったのは、自室の隅に置いた湯飲み。大きめで、中には麻の小袋が入っている。
「俺も未練がましいって言うか……」
舌打ちしながら湯飲みを眺める。側面には〈福狸神社〉の四文字。
福狸神社に伝わる占いの道具だ。ここへ引っ越してきたとき、必要なかったのに何となく持ってきてしまった。それ以来たまに手を伸ばして、そのたびに気が沈む。
『使ってみて』
「誰だ……?」
どこかから声が聞こえた。そんな気がしただけかもしれない。この部屋を見渡しても俺しかいなくて、テレビもパソコンも電源が入っていない。ベランダやトイレをのぞいてみても、隠れている人はいない。
不気味なことだと考えるのが普通。でも俺は怖がったりする気分にならなかった。さっき神社から離れたときの温かさをまた感じていた。
「……やってみるか」
俺は湯飲みをつかんで、居間のテーブルに置いた。コンビニの袋は台所へ移す。
「とりあえず、黄宮のやつがいつまで粘るか占ってみるか」
あまりにもいい加減だと自分に呆れながら、ソファーに腰を下ろした。
最初に深呼吸して、気分を落ち着かせる。もっともらしい祈りの言葉と共に占う方法もあるけど、その場合は正式な装束を着ないといけない。そんなものは実家から持ってきていないので、簡易的な方法にするつもりだ。
外の道では車が走り、子供たちのはしゃいだ声も通り過ぎていく。台所では滴が一垂れ。
物音が聞こえるたびに俺の意識は引かれた。でも時間がたつごとに、それら全てが俺の心を通り抜けていくようになった。
福狸神社の言葉を使うなら、精神統一に必要なのは「雑」を感じないことじゃない。「雑」を自然なこととして軽く受け止めること。あるいは「雑」を音楽や風景のごとく楽しむこと。
俺は心を静かな水面のようにして、小袋を湯飲みから取り出した。紐をほどいて、中に入れていたものを湯飲みに移す。
干した柿の種。全部で四十一個あって、番号が振られている。
福狸神社では、タヌキがお爺さんに柿を取ってきたことから柿の種を使った占いが行われてきた。簡単にやる場合の方法は、筮竹を使った占いに似ている。
俺は柿の種を全部移し終えると、片手を蓋代わりにして湯飲みを振った。中身を混ぜる。
次に湯飲みを傾けて、半分くらいの種をテーブルにこぼす。湯飲みに残った種は空を、テーブルに出した種は大地を意味する。
(ちょっと多めにこぼしすぎたか。うまい人だと、このとき正確に空側二十一個と大地側二十個にできるんだよな)
とっさにそんなことを考えたけど、半分ずつにならなくてもいい。それも占いのうちだ。
俺は空側の種を一つ取って、大地側に足した。この一つは人を象徴している。人は空の太陽から恵みを受けて大地で暮らすものだからだ。
テーブルの種をまとめて、最初の小袋に入れる。このとき、小袋は山を示す。人と大地に関する判断を、山に根を張る者――福狸神社が祀っているウツシマノミコトへ委ねたことになる。
俺は小袋の口を閉め直し、中身を転がすように動かした。しばらくてから小袋の口を開けて、ひっくり返す。
(何か見えろ!)
いくつもの種がテーブルに散らばって、一つはテーブルの下に落ちた。
種占いをする者は、種の落ち方や散らばり方から何かを読み取る。番号を補助として使うこともできる。
でも、俺には種が散らかっているだけとしか思えない。
「……昔から種占いはさっぱりだったけどさ。始めたのは中学校の途中くらいで、元々やっていた占いとは違うし」
俺は言い訳をするようにつぶやいていた。
幼稚園児や小学生のころは人から頼まれるとすぐに占い方を思いついて、それが大体当たっていた。不思議なことに前やった占い方だと当たらないけど、新しい方法が次々頭に浮かんだから問題はなかった。
でも中学生のころにはガクッと変わって全然当たらなくなり、新しい占い方を閃くこともなくなった。仕方がないので世間一般的な占いや福狸神社に伝わる種占いを始めてみた。それでも全く占えない。高校生の今も同じ。
「種占いだろうと何だろうと、もうわからないんだからどうしようもないかな」
俺は虚しさを持てあましながら、柿の種を小袋に戻した。
まともに占えたころは、「さすが福狸神社の子」「やる人が少なくなってきた種占いを盛り上げられるかも」といろいろな人に期待されていた。
だから占えなくなると回りの落胆は大きくて、俺は重圧から逃れるようにこのF市へ引っ越してきた。実家に帰ることはほとんどない。前に帰ったのは年明けのころだ。
俺は湯飲みと種の小袋を元の場所に戻してから、台所に移していたビニール袋をまたテーブルに置いた。占いでああだこうだと悩んだせいか、食欲は余計になくなっていた。惰性のようにクリームパンを取り出してかじりついても、やっぱりおいしく感じない。
『おいしそう』
また、声。
聞こえた気がしただけじゃない。明らかに俺の考えと違うし、神社から離れたときと同じような気配も感じた。嫌な雰囲気じゃないけど驚きはする。
「やっぱり、誰かいるのか?」
俺は部屋の中を注意深く見て、飛び上がりそうになった。
窓のそば、誰もいなかったところに人の姿が少しずつ浮き上がってくる。
背丈の低い少女。着ているものは、俺が実家でよく見ていた巫女装束。時代劇に出てきそうな編み笠を首の後ろに下げている。
短い黒髪の間から飛び出しているものは、丸みを帯びた耳。ただし人のじゃなくて、獣の耳。腰の辺りから飛び出しているものも、ふさふさした尻尾。
「その耳と尻尾の形、実家の裏にある山で見たような……タヌキ?」
編み笠も焼き物のタヌキと同じ。俺が言葉を失っているなか、少女はごまかし笑いする。
「もう少し隠れてるつもりだったけど、おなか空いて出てきちゃった。それ、ちょっとくれない?」
「……いいけど」
もの欲しそうな顔でクリームパンを見ているので、俺は半分に千切って差し出した。
「ありがとう! いただきまーす!」
少女はすぐに受け取った。しばらくして食べ終えると、ビニール袋を見つめ始めた。
「そっちも欲しいな」
俺は厚かましいと考えることもできずにメロンパンを取り出して、そのまま手渡した。
「じゃあ、これも半分こしようね!」
少女はメロンパンの半分を俺に返して、残り半分を食べて――満足そうな顔を俺に向けた。
「ボクはポンコ。ウツシマノミコト様の神使だよ」
神使とは、読んで字のごとく神の使いのこと。有名どころで言えば稲荷神のキツネ。俺の実家、福狸神社ではタヌキ。
「マジかよ……?」
俺はそう言うしかなかった。神様が本当にいるかどうかは議論するだけ野暮な話、というのが俺の持論だった。目の前に神使が現われるなんて考えてもみなかった。
(名前がバカっぽいし、雰囲気ものんびりしすぎだ)
想像していた神やその眷属とは様子が違いすぎる。そもそもタヌキ耳・尻尾の少女という姿が漫画みたいだ。
信じがたい点はいくらでもある。ここに現れた方法も、何らかのトリックだと考えるのが常識的。でも、俺には何となくわかる。
目の前にいる少女は人間じゃない。感覚にそう伝わってきている。俺は残ったパンをビニール袋に戻しながら、目の前にいる少女をまじまじと見た。
「どうして神使……様がこんなところに」
「様とかいいよ。ポンコって普通に呼んでほしいし」
ポンコと名乗った少女は、俺の驚きなんか無駄じゃないかと思えるくらいにこにことほほ笑んでいた。
神と言えば恐れおののくものだけど、そういう印象はない。感じるものは優しさや温かさ。今日の帰りがけから何度も感じていた気配だと俺は気づいた。
「本山にいたころも、リョクのことはときどき見てたよ」
俺は名前で呼ばれたのが久しぶりだったので、自分のことだと思いつくのにしばらくかかった。ポンコは気にせずしゃべり続ける。
「いなくなっちゃったから、どうしてるんだろうって思ってたんだよ。でもたまたまお遣いでこっちの社まで来たら、リョクのにおいを付けた子がいて」
神社にいた子と聞いて俺がすぐ閃いたのは、亀山。においを付けていたとか誤解されそうな言い方だけど、思い当たるのは隣の席だということしかない。
「その子についていけば会えるかなって思ってたら、石段を下りたところにリョクがいたんだよ!」
あのときの温かい感覚はポンコだったのかと、俺は納得していた。でも、そうすると他のことが引っかかってきた。
(うちに伝わる昔話だと、お爺さんのところへ行ったタヌキは本来の役目から離れた罰として神様から泥舟に乗せられて湖の底に沈められる)
昔話がどこまで本当かはわからない。でもヤマタノオロチの話が洪水を元にしていると言われているように、真相と重なる部分があるはず。俺は子供のころから「いいやつのタヌキを沈めるなんて、うちの神様は怖いな」と思っていたので、心配になってきた。
「神の使いがこんなところへ勝手に来たら……いろいろやばいんじゃないか?」
「ちょっとくらい大丈夫だよ。神使タヌキはボク以外にもたくさんいるし、お遣いはこっちの社に着いたところで終わってる。それに、ただリョクへ会いに来ただけじゃなくて用事があるんだよ」
ポンコは怖がる様子なんか少しも見せない。
「ボク、リョクに占ってほしいことがあるんだよ!」
何を頼まれたのか、俺は数秒後に理解して――何だかいらついてきた。相手が神使だとか、その割りにのんびりした様子だとか、神社を勝手に離れて平気なのかとか、いろいろな思考が吹き飛ぶ。
「あ、そういえばこれが落ちたままだよ」
ポンコは俺の考えに気づいていない顔でかがんだ。ソファーの下に手を入れて、番号の付いた柿の種を取り出す。俺はさっき落とした一つを拾っていなかった。
「これ、たくさんの人に使われたことで霊力を溜め込んでるんだよ。いいものだから大事にしないとね」
俺にとっては、ただ親にもらっただけのものだった。ポンコは丁寧に小袋の中へしまう。
(いいものを使っても当たらないんだから、俺の占いは余計に駄目ってことじゃないか)
ポンコは何気なく教えてくれているに過ぎないけど、俺は暗く考えてしまった。
「あのさ……俺の実家にいたなら知っているだろ? さっきのだって見ただろ?」
小学生のころまでなら、占いを頼まれてこんな感覚にならなかった。
「俺はもう、人に頼まれて占ったりしていないんだ」
「占えない」が正しい。そう言えないのは占えない自分を情けなく思っているからだ。
「そんなこと言わないでよ!」
俺は自然と声をとがらせていたかもしれないけど、ポンコは様子を変えなかった。
「きっと当たるから、お願い!」
占えないとわかっているはず。それでもにこにことしながら頼んでくる。
明るい姿は今の俺にとって腹立たしかった。俺は悩んで故郷を離れたのに、どうしてこうも笑っていられるのかと。
(俺の気持ちなんか全然わかっていないんだろうな。できれば今すぐ帰れって言いたい)
ただ、こんな相手でも神使なら無理やり追い払うわけにはいかない気がした。
(うまく帰ってもらうしかないか)
俺はそう決めて、舌打ちしたいのを堪えた。
「当たるって保証はない。そんなのでいいなら」
「占ってくれるの? やったー!」
ポンコは両手を上げて喜ぶ。俺は大げさな様子にたじろいでしまった。
「そんなに喜んでも仕方ないだろ」
「リョクが占ってくれるだけでも嬉しいよ!」
「当たるとは限らないって言ったのに」
「それなら、ボクが占ってほしいことの前に練習しようか。ええと、ボクはいろんなものに化けられるんだけど、何に化けたら楽しいことがあるかな」
どうしてそんな練習をしないといけないんだ。俺はそう言いたかったけど、我慢して種占いの道具を取ろうとした。
「待って、子供のころからしてたのがいいな! ボク、あれ見たい!」
(よりによってそれかよ)
ポンコが止めてきて、俺は居間の隅に置いてあるメモ用紙の束をうんざりしながらたぐり寄せた。クリップでまとめていて、ボールペンも紐で結びつけてある。
(どういうものに化けられるんだろう。昔話だとタヌキは化け物になったりするけどな)
昔はいちいち考えずに直感で閃いていたと思い立って、また舌打ちしかけた。
(大ダヌキ、猫、犬……タヌキは犬が苦手だから化けたくないか)
犬は日本において古来から魔を祓う生き物とされている。変化は相手の感覚をごまかす怪しい術だから、変化を得意とするタヌキは犬を嫌う。
(じゃあカラスでどうだ)
そう思いついたのは、外でカラスの鳴き声がしたからでしかない。
(おっと、どうやって占うか考えていなかった。昔の占い方だとそれが先なのに)
占う方法を考えること自体が今の俺には難しい。面倒臭いという感覚を秒ごとに増加させながらあちこちを眺めて、テーブルの隅に放置していたサインペンを見つけた。
「こいつのキャップを抜いて、何回連続でいい音を出せるか。それで占うんだ」
思いつくことができたと喜びかけて、昔やった方法だと気づいた。ポン! という音が妙におかしくて、占いを頼んできた友達と一緒に笑っていたことがある。そのときのことが印象に残っていたから思い出しただけだ。
(二回目以降は当たらないんだけどな)
俺はためらったけど、ポンコはこれが二回目だと知らないのか期待した顔で待っている。
(仕方ない、このまま行くか。どうせ当たらないんだ)
動物の名前の横に回数を書き込む。
〈大ダヌキ←0~2回 猫←3~5回 カラス←それ以外〉
最後にメモ用紙をテーブルの上へ伏せて置いて、サインペンを手に取る。
「さあ、行くぞ」
「お願い!」
ポンコが瞳を輝かせているなか、俺はキャップを引っ張った。
(二回までで終わったら、神社に帰って置物に混ざっていろとか言えるかな)
俺がそんなふうに考えているなか、キャップは外れると同時にポン! と鳴った。俺はキャップをはめ直して、また引く。やっぱりポン! と音がした。
それが三回続いて、タヌキの領域を通り抜けた。でもそこまでだった。四回目に引いたとき、キャップの挿し方が甘かったせいか音は鳴らなかった。
「三回! 占いの結果は?」
ポンコが楽しそうな顔でメモ用紙を見つめた。俺はサインペンを置いて、メモ用紙を表向きにした。
「猫だね! ボクは猫に化けるといいことがある!」
占い結果を見たポンコは、たもとに手を入れた。
巫女装束のそこは普通の和服と違って前も後ろも開いているので、ものをしまったりできない。でもポンコは木の葉を取り出した。頭に乗せて、身軽に宙返り。
ぽぽん!
煙が出て、散った後に巫女装束タヌキ少女の姿はなかった。茶色っぽい猫が俺を見上げている。
「ほら、猫にしか見えないでしょ!」
声は占いを頼んできた少女のものだし、首の後ろには編み笠が残っているので、間違いなくポンコ。
さっきまでは――人間じゃないと感じることを気のせいだとすれば――妙なコスプレをした少女とも思える姿だった。本当は人間じゃないのかと考えるのは、常識の中で暮らしているんだから当たり前だ。でも今のポンコは明らかに人間と異なる現象を生じさせている。俺はもう一度驚く羽目になった。
こっちが戸惑っている一方で、ポンコは猫そのもののように尻尾を立てて玄関へ歩いていく。
「ちょっとお出かけしてみる!」
しゃなりしゃなりと足を進めているつもりなのかもしれない。でも残念ながら足はタヌキっぽく短いので、ちっともかっこよく見えない。そのくせ、玄関へたどりついたところで俺に振り返る。
「猫は人間にドアを開けてもらうんだよ」
「へえへえ」
俺はすぐさま近づいて、ドアを開けてやった。ポンコが気取った歩き方で外に出ていって、俺はドアを閉め直した。何ならこのまま帰ってくるなと思いつつ。
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