第一話 占ってほしい

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 俺は自分が居眠りをしていたと気づいて、慌てて顔を上げた。

 教科書やノートによだれの跡を付けることはなかったみたいだ。英語の爺さん先生も板書を続けていて、俺が寝ていたと気づいていない。大人しい学校生活を送って目立たないようにしているお陰かもしれない。

(嫌な夢を見た。もう終わったことなのに)

 今の俺は小学一年じゃない。高校二年だ。くさくさした気分を咬み殺して黒板の英文を見ると、急いでノートに書けば追いつけそう。寝ていた時間はそう長くなかったみたいだ。

 慌てて手を動かしたはずみに、俺は持っていたシャープペンを落としてしまった。隣にある机の脚に当たって止まる。

 かがんでシャープペンを拾う途中で、隣に座っている女子生徒と目が合った。

 まなざしは涼しげで品のいい顔立ちだけど、俺を見るなり眉をひそめた。あからさまに顔をそむける。

(どういうわけか、嫌われているんだよな)

 亀山瑠華は一年のころから俺と同じクラスで、記憶にあるのはこんな様子ばかり。誰にでもこうってわけじゃなくて、俺以外には柔らかい態度を取る。前回の席替えで隣同士になったとき、正直言って気まずかった。

(中学のころに俺が嫌われることをした、なんてわけはないしな。俺の地元は隣の県で、ここに昔からの知り合いなんかいない)

 不思議だけど、いくら悩んでも答えは出ない。考えても仕方ないので、俺はノートを取ることに戻った。

(亀山にとって俺はにこにこする価値がある相手じゃないってことかもな。占いをしない俺にいいところなんて一つもないし)

 先生が黒板にチョークを当てる音は地元でもここでも変わらない。だけどときどきこっちの方が冷たいように感じる。



 特に先生から当てられたりすることもなく全部の授業が終わって、俺はいつものように帰ろうとしていた。

 駐輪所から自転車を出して、生徒の流れに従って校門へ進む。このO高校は生徒が三学年×十五クラスで、入試は平均より少し難しいくらい。姉妹校の大学へエスカレーターする生徒もかなりいるので、十月の今もよそに比べてのんびりした顔の三年生が多い。

 楽しそうに声をかけ合っている生徒があちこちにいるけど、俺は一人で歩いている。寒々しいのは、もう秋で夕方になると気温が下がってくるせいだけじゃない。

「福分、相変わらず一人で帰ろうとしてやがるな」

 話しかけてきたのは同じクラスの水野。今日も軽い調子で、俺はあしらうように答える。

「大きなお世話だ」

「そう言うなって。ケータイの店でも寄らねえか? ほら、バス停前のコンビニがなくなってできたとこ。そこの店員がめっちゃかわいいんだよ。俺、契約しようかな。でも別のを買ったとこだし……男水野晶太郎、決断の時だな!」

「勝手にしたらいいだろ」

 来年の俺がのんびりしているのか、受験に焦っているのか。誰かと一緒に帰っているのか、一人で帰っているのか。何もわからない。今はただ、水野のバカバカしくて刹那的な話へ適当に答えながら自転車を押していくだけ。

「そこの人」

 呼び止めてくる声があった。

 俺は知らんぷりしてそのまま歩いていきたかった。でも呼んできた者の目が俺へ向いていると気づいてしまったし、足も止めてしまった。

 校門のそばに机と椅子。座っているのは女子生徒。ただ、この高校で定められた制服姿じゃない。

 町角にいる易者の姿。顔にあるものは仮装で使いそうな鼻眼鏡と付け髭。女だとわかったのは、声が知っている女子生徒のものだから。伸ばした髪も首の後ろで縛っているし、背丈も大人の男にしては小さくて袖も長すぎるみたいで折っている。〈易〉とプリントした紙を机に貼っているくらいなので、変装して景色に溶け込んでいるつもりなんだろう。

「その相、危ない」

 淡々と言いながら立ち上がって、俺を虫眼鏡で見る。俺はため息をついた。

「こんなことで変装できたと思えるお前の頭の方が危ないだろ」

「生年月日は」

 易者は俺の言葉を無視して、すぐさま問いを向けてきた。

 俺は水野に「長くなりそうだから先に帰ってくれ」と言ってから易者を見下ろした。下校中の生徒たちが珍しそうに眺めていることはできるだけ考えないようにする。

「平成八年三月三日。でも、さっき『相』って言ったよな?」

 仕方なく答えたけど、易者の言うことにおかしい点があると気づいていた。

「〈相〉っていうのは手や顔を見て占う方法だ。誕生日とかのプロフィールで占う方法は〈相〉と言わない」

「その日だと……」

 易者は俺に構わず、使い込まれたノートを机から取り出してめくっていく。

「戦隊シリーズの中でその日に一番近い放送回は、〈○走戦隊カ○レンジャー〉の第一話」

 口にした戦隊シリーズとは、色とりどりの戦闘服をまとったヒーローが悪役と戦う番組。もう三十年以上続いていて、俺も子供のころは見ていた。

「それに該当する人は、想像力が豊かで新しいことに次々挑戦していく性格。相性がいい人は……」

 まるで星座占いのように、今日の金運や生活の中での注意点について語っていく。

 これが彼女オリジナルの戦隊放送回占いで、誕生日から最も近い放送回の内容で運勢を占う。あのノートにはどういう流れだったか一話ずつ書いてある。あまりにも奇妙だけど、校内では結構当たると評判らしい。

「クラブ活動は、占い部がおすすめ」

 最後に付け加えたものは占いの結果と関係ない。俺はそう直感して、易者をじっとりと見た。易者はそれも気にせず、俺の後ろを静かに指さす。

「今なら部員が女の子ばっかり。部長も美人」

 俺が振り返ると、三年の名札を付けた女子生徒が歩いていた。俺と同じように下校中だけど、大きく違うところもある。

 カルガモの親子のごとく、生徒を後ろに何人も引き連れている。ほとんどは男子生徒。女子生徒も少しいる。

「二十木さん、俺この前映画のチケットをもらって……」

 意を決したように話しかけた生徒がいた。先頭の女子生徒は快活な笑顔を返す。

「へえ、よかったじゃないかい。その映画なら見たけど、面白かったよ」

(相変わらず二十木はたき先輩はもてるな)

 三年の二十木瞳美は美人でスタイルもよく、成績優秀でスポーツも万能。性格はさっぱりしていて後輩の面倒見もいい。いろいろな漫画にいる優等生のいいところを寄せ集めたような人だ。男のように短くしている髪を真似る女子生徒がたまにいるけど、二十木ほど決まらない。

 だから男にも女にも慕われる。嫉妬して悪口を言いたがる者もいるけど、悪口になるところを見つけられないので負け惜しみのような言葉を吐くしかない。

(受験生なのに余裕ありそうな顔だ。エスカレーターするつもりなんだろうか)

 俺はいいところばかり過ぎて人間味がないと感じるので、カルガモ軍団に加わる気はない。占い部へ入る理由にもならない。

「さあ、これにサインして運気アップ」

 易者に目を戻すと、机から出した紙切れを俺に差し出していた。書いてある文字は〈入部届〉。

「何だかもう無茶苦茶すぎる。怪しい霊感商法だってもっとまともにやるぞ」

 俺は易者から鼻眼鏡と付け髭を取って机に置いた。

 下にあったのは子供っぽい顔。ただ、表情に乏しい。

「一年の黄宮日生ひなせ……だっけ? 俺はもう占いなんかしていないって言っただろ」

 俺がいつもどおりに冷たく言っても、黄宮は入部届を引っ込めない。

「占い部に入って。天才占い少年だし」

「だから、昔とは違うんだ」

 黄宮は俺が天才占い少年と呼ばれていたことを知っていて、二学期に入った辺りから占い部に誘ってきている。扮装の道具もいくつかあるみたいで、妙な姿での勧誘をすることもある。

「どうしてみんなが忘れたことを覚えているんだか」

 俺は黄宮を置いて校門の外へ出た。



 俺は自転車をこいで、住んでいる場所へ向かった。高校からはそれほど離れていない。

 今日は昔の夢を見たし、黄宮から占いの話も聞かされた。正直なところ落ち着かない。だから近道で早く帰ろうと、いつもと違う角を曲がった。

 そのせいで、かえって暗い気分になってしまった。この近道を使わないことには理由があると忘れていた。

 信号待ちのために自転車を停めると、道の脇に古びた石段。横の石碑には〈福狸神社〉と刻まれている。俺の実家と同じ名前だ。

 神社には分祀という習慣があって、会社で言う支社のようなものを離れた場所に作ることができる。有名な神社だと分祀先が全国に一万以上あるけど、うちは近隣の県にいくつかあるくらい。目の前にある福狸神社もその一つ。

(久しぶりにここへ来た。相変わらず抜けた感じだな)

 石段のそばには狸の石像もあって、じっとしたまま道路を眺めている。境内には似たようなものがたくさん置かれている。タヌキの昔話に関係のある神社だからだ。

 昔々お婆さんを病で亡くしたお爺さんがいて、飼っていた牛が盗まれたり家が焼けたりもした。

 お爺さんが不幸続きでがっくり来たとき、とある神様の使いをしていたタヌキが慰めに現れた。タヌキは最初に不思議な術で家を作って、お爺さんのために働き始めた。牛に化けて力仕事をしたり、山から柿を取ってきたり、町で芸をしてお金を稼いだり。

 でも最後にタヌキは神様から罰を受ける。命じられていた本来の役目から離れたと、泥舟に乗せられて湖の底へ消えてしまう。お爺さんは山に社を作ってタヌキへの感謝を示した。それが福狸神社の始まりだと言われている。

 この話を知っている人からは、カチカチ山とぶんぶく茶釜を混ぜたような内容だと言われる。俺は自分の名前が緑なので、緑のたぬきとか言われるのが嫌だった。今は実家が神社だと公言していないので、そういうあだ名を付けてくる者はいない。

(ここに来ると昔のことを思い出すんだよな)

 俺は口の中に苦いものを感じていた。

 親元から離れることが許されたのは、ここにいる親戚が俺を管理すると言ってくれたから。それなのにほとんど会っていないのが礼に反しているとはわかっている。

(神社の関係者で俺を知っている人が出てきたら嫌だな。顔を合わせにくい)

 息苦しく思っているうちに、信号が青になった。俺は自転車を進めようとしたけど、石段から見知った顔の人が降りてきたので反射的に踏み留まった。

「亀山……?」

 向こうも俺に気づいたけど、学校にいるときと同じでにらみつけてくるだけ。石段そばの駐輪場へ早足で歩いていって、自転車でさっさとどこかへ行ってしまった。

(何かお参りする理由があったんだろうか)

 俺はそんなことを考えつつ、横断歩道へ踏み込んだ。

 ここを通ったせいでうんざりした気分は強くなっている。ただ、長くは続かなかった。

 ふわっとした風、とでも言おうか。

 冬の寒い時期に春の暖かい風を浴びたような感覚があった。むしろ懐かしい空気が漂ってきたと言うべきかもしれない。

(おっと、信号が赤に戻る)

 俺は感じたものを心の隅に追いやりながらペダルをこいで、横断歩道を進んだ。できるだけ早く福狸神社から離れたくもある。

(亀山も占い部だっけ。女は元々占いが好きだから、部員は女が大勢なんだろうな)

 部長の二十木は帰るところだったし、亀山は出歩いているし、黄宮はよくわからないことをしているので、今日は休みなんだと想像した。

(いや、俺はもう占いなんかする必要ない)

 俺は断ち切るようにしていくつかの顔を頭の中から追い払った。

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