非常勤勤務医 EP2 秋島まどか

 病院にはいつも多くの患者がやってくる。

 その患者の症状も個々に違う。


 毎日毎日多くの患者と接し、その治療を行う。しかし、中には来てもらいたくない患者も確かにいる。

 それでもこちらは、患者を選ぶことは出来ない。

 だが、患者は自分を担当する医師を指名してくる。


 それはその医師との、コミュニケーションが整っているから?

 もしくは、名のある権威をもつ医師であるからか……。

 まだ駆け出しの俺には患者を撰ぶ権利はない。そして患者から指名されること自体ない。


 三日前右脹脛ふくらはぎ上部に、変色部と腫れがある佐々木さんが再来院した。

 佐々木さんは元々糖尿病でもあり、この病院にはおよそ二ヶ月ごとの割合で通院していた。

 だが、左側大腿骨骨折をして、入院後はその痛み止めをもらう為、およそ週一で通院しては痛み止めを処方している。


 カルテには何度も、同じ痛み止めの名が綴られている。

 そして、三浦医師が佐々木さんに念のためと言いながら、それとなく受けさせた血液検査の結果が届いていた。


 そのデータを目にする。

 前回血液検査をしたのはおよそ二ヶ月前。そのデータを今のデータと見合わせる。

 ヘモグロビン値が以前より高くなっている。しかもクレアチニン値も高い。腎機能にも障害がある。

 そして右脹脛の炎症にともない、白血球数も高くなっている。


 内科医でもある三浦医師にも、このデータ所見は相談済み。

 まずは一呼吸おいて……。


「済みません、佐々木さんを呼んでもらえますか」

 看護師に落ち着いた口調で告げる。

 彼女は俺の顔をちらっと、除き込むようにして佐々木さんを呼びに出た。


「おはようございます。佐々木さん」

 出来るだけ穏やかに、佐々木さんに挨拶をする。


「あらおはよう若い先生」

 この前からすれば、佐々木さんの表情は、だいぶ穏やかに感じる。


 さて、これからどう切り出したらいいものだろう……。

「この前おっしゃっていた、右膝の具合どうですか?」

 あえて脹脛ふくらはぎとは言わなかった。


「そうねぇ、前より腫れ、少し増してきたような感じがするんですけど」


 佐々木さんを診療台に寝かせ、脹脛の部分を触診する。

 確かに脹脛は、この前より幾分腫れ気味だ。


「もう起きての大丈夫ですよ」そう言い、佐々木さんを椅子に座らせた。

 そしてカルテに目を通して。


「佐々木さん、この前三浦医師からの血液検査の結果が出たんですけど、以前からあった糖尿病の数値が上がってきているんですよ」

 佐々木さんはちょっとたじろいながら

「やっぱり……」と呟いた。


「最近あんまり調子よくなかったんですよ」ちょっとしょげた様に言う。

「それと佐々木さん。右の脹脛の腫れ、この糖尿病による合併症によるものかもしれないんです」


「えっ!」


「と言っても、今はそんなに重度のものではないんですけどね。今から治療に専念して戴ければ、改善していく範囲ですよ」

「そうなんですか……。やっぱり入院とか必要なんでしょうか」


 心配しなげに言う

「出来れば……。もう少し詳しい検査も必要になりますし、まずは食事改善の指導うもこれからいていきたいともいます。併せて右脹脛ふくらはぎへの抗生剤での治療も行います」


「そうですか……」

 この前の様な威勢と言うか、わがままと言うか……。そんな雰囲気は今の佐々木さんには感じられなかった。


「ねぇ、先生ってこの間まで大学病院にいたんですって」

「ええ、そうですけど、なにか?」


「ううん、研修中でもなさそうだし、この病院で大学病院の先生から見てもらえて、良かったのかもしれないわ。この病院の先生たちも悪い先生じゃないけど、大学病院に行くとなると、もの凄く緊張って言うの? するからやだったの。先生なら何となく気軽に話せそうだからいいんだけどね」


 そう言いながら佐々木さんは「解ったわ、入院しますわ」と言ってくれた。


「そうですか、看護師に入院の説明をしていただきます。ご準備もあると思いますのでまた少しお持ちいただけますか」

 そして佐々木さんは看護師と共に待合室に向かった。


 戻ってきた看護師に。

「田辺先生、今日はなんだか、いつもの雰囲気と違いますね」

 少しからかわれたような感じがしたが、悪気はないようだった。


 ようやく外来も終わり、カルテの整理も一通り片付いた頃、佐々木さんの病室に顔をだしてみた。

 佐々木さんは、俺の顔を見ると手を振って迎えてくれた。


 すでにオーダー済みの、抗生剤等の点滴も施され、佐々木さんはベットの上で本を読んでいた。


「どうですか? ご気分とか悪い所はありませんか?」

 それとなく聞いてみると


「退屈!!」

 一言にがわらいをしながいう。


「でもね、さっき三浦先生が来て言ってたの。足の腫れ、早く原因が解ってよかってねって。このままだったら、切り落とさなきゃいけないかもしれなかったってね。それを見つけたの、田辺先生だって訊いたんだけど。あなた若いのに凄いのね。やっぱり、大学病院の先生っていうだけの事はあるわ」


「そんなことないですよ。でも良かったです、早く良くなるように頑張りましょうね」

 なんだろう、今までとは違う患者との接点。


 それに佐々木さんの脹脛の症状。これは真弓が残してくれたノートにも記載があった。


 糖尿病治療における、外科的目測


 まゆみが残してくれたノートは、どんな医学症例を記載した書物よりより、実践的でわかりやすく幅広く、応用が出来るように配慮されていた。


 俺はまゆみが残してくれた、あのノートに救われただけだ。


「そはそうと田辺先生」

「なんですか佐々木さん?」

「ほら、向かいの病室のまどかちゃんまだ入院していたのね」


 向かいの病室?


 そこは個室の特別室だった。確か高校生くらいの女の子が、入院していると聞いていた。だが俺はまだ、その子とは会ったことも、もちろん話した事さえなかった。


 確か担当医は、三浦医師だったはずだが……。


「済みません、まだここの病院に来てまもなくて、全部把握しきれていないんですよ」

「そう、ずっと入院しているから、大分悪いのかなぁってね。なんでも心臓良くないらしいって訊いていたから……」


 その時はそうなんですか……。とただ返して返事をしたが。

 実際俺自身も、あの病室については気にはなっていた。


 俺がこの病院いに来てから、まだ一度もあのドアが開いたのを見たことが無い。

 どんな子が入院しているのかも、何も詳細は分からないままだ。


 故意に、その子のカルテを探していたわけでもなかったが、あの特別室の患者のカルテだけは目にすることは未だにない。

 この病院でも特別室に入ると言う事は、それなりの事情があるのだろうと、俺は軽く考えていた。


 だがそれから数日後、その特別室にいる子に、俺は振り回されることになる。


「田辺先生!」


 珍しく三浦医師から俺は声をかけられた。普段は三浦医師とはあまり会話はないのだが、その日の夕方医局で俺は声をかけられた。


「田辺先生どうですか、だいぶこの病院にも慣れてきましたでしょう」


 少し年配かかった顔つきでいて、いつも思うが三浦医師にはどことなく感じる権威と言うか、重圧感と言うか、大学病院での教授陣とは違った感じを持つ人だ。

 対面で話すとなると少し緊張する。


「おかげさまで、何とかやっていけています」


 彼は俺の言葉に「ハハハそうか、それなら十分だ」と、なんだかいつもと違う感じを受けた。

「今日は何かこれから、ご予定でもありますか?」

「いえ、特別にありませんけど……何か」


「それならこれから飲みに行きましょう」

「えっ!」

 意外だった。三浦医師から飲みにさそわれるとは……。


 無下に断る理由もない。まして、あの三浦医師から誘いをしてくること自体、断ることはできないだろう。


「はい、喜んで」と快諾した。


 向かったのは意外にも、三浦医師が行きつけと言う焼き鳥屋だった。


 古くからこの地で店を構えている店の柱には、その店の軌跡とでも言うのだろう。炭火で焼き放たれる煙が、長い時間を経て沁みつき、黒光りをしているような光沢させ感じさせていた。


「田辺先生、今日は私のおごりですから、どうぞ遠慮なさらずに注文なさってください」


 今日はとてもいい事があったのか? それとも何かの心境の変化か。はたまた、俺にとって物凄く悪い知らせが、この場で言い渡されるのか。少しドキドキしながら先に出されたビールで乾杯をする。


「田辺先生、聞きましたよ看護師から。今日来院された佐々木さんの対応良かったそうじゃないですか」


「あ、ありがとうございます」俺としては、そんなにかしこまったことはしていなかったが、とりあえず礼を言った。


 三浦医師は鶏ももを一口かじり。


「ところで田辺先生、特別室の患者さんの事は何か聞いておられますか?」

 なんかいきなり来たなって、感じがした。


 何処で気が付いたんだろうか、俺が特別室にいる患者に少し興味を持ったことを。


 ここは無難に「いえ何も訊いておりませんが」


「そうですか、いやあねぇ、今日言われたんですよ、あの佐々木さんに。田辺先生にもっと病院の事、教えてあげないといけないですよってね」


 三浦医師は少し苦笑いをして。


「実は、私もあの佐々木さんには、ちょっと手を焼いていましてね。来るたびに何かと文句が多い方だったんで。それが今日はころりと変わっていましたから、驚きましたよ。田辺先生のご人望でしょうかね」


「そんなことはないと思いますが」

「まぁそれはさておいて、本題はここからなんですけど」


 俺はジョッキを手にもって、ぐいっとビールをのどに押し込んだ。


「あの特別室には、今16歳になる女の子が入院しています。まぁ年頃の子とでも言うんでしょうかね。私が担当しているんですけど、なかなか私の言う事を訊いてくれなくて、最近困っているんですよ。それで、病医院長に相談してみたんですよ。病院長は、田辺先生を補佐に付けたらどうかと言うんです。先生でしたら、まだお若いですから少しは彼女に、近づけられるのかもしれないと思いましてね」


「はぁ、若いと言っても私も、もう30歳をすぎていますけど……」


「それを言ったら、私よりもずっとお若いですよ」


 そして三浦医師は、深刻な口調で言う。


「彼女、「秋島あきしままどか」さんは、三尖弁閉鎖不全症さんせんべんへいさふぜんしょうから併発した、拡張型心筋症を併発しているんです」



 三尖弁閉鎖不全症さんせんべんへいさふぜんしょうと、拡張型心筋症併発!


 このままでは生存の確率は……。極めて低い。


 そして心臓移植による。

 ドナー待ちの状態でもあった。

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