非常勤勤務医 EP1  レジデントに逆戻り!

「ねぇ、ちょっと痛いんだけど! 早く何とかしてよ!!」

「まずはレントゲン撮ってみないと」

「そんなのいいから、早く何時もの痛み止めくれない? あれ効くのよね」


「……ま、まずはレントゲン撮ってきてください。佐々木さん、もう一か月もレントゲン撮っていないじゃないですか。今の状態診てみないと何ともなりません」


「ったく。使えないの先生って」

佐々木さんは、しぶしぶレントゲン室に向かった。


次の患者さんも。……な、患者だった


「だから……え、なんだって。先生若いねぇー。それで……、隣のハナちゃん(犬)が私にかぷってしてきたのよ。ほらここっぉ……」

その部分を見てみる。傷など何にも見当たらなかった。


「本当にかじられたんですか?」

「だから、こう……カプッと、舌でね」


「つまり、犬にかじられたんじゃなくて、舐められたんですね」

「そうそう、それでね先生。お住まいはどこら辺?」


「ここからはちょっと離れていますけど」


「あらそう、独身? まだ結婚していないならいい人いるのよ! 今度写真持ってくるから、ちょっとだけでも見てみない?」

「ハハハ……」頭を掻きながら。


「済みません。結婚には興味がないんで……」

「あらそぉ、ちょっとでもいいから、この次写真持ってくるから……」


俺は話を遮るように。

「山田さん、それじゃいつものお薬処方しておきますね」

と言って、山田さんの攻撃をかわした。


「ふぅー」


「田辺先生、これくらいで根を上げていたら、ここでは務まりませんよ」


ここに来る外来の患者は、本当にわがままだ!

自分の都合しか言わない。


大学病院としての機関病院でもある、城環越に来る外来患者は、医師の言う事をよく聞いていた。しかし、ここに来る患者は、本当にどこか悪いのか? と疑いたくなるような人たちが大半を占めている。


まさにこの病院は何だろう? 井戸端会議? いや、愚痴を聞いてもらいたが為に、わざわざ来院する人がほとんどの様だ。


そんな事している内に、先程の佐々木さんノレントゲン写真が送られてきた。

シャウカステン(医療用X線写真観察器)に、レントゲン写真を差し込み観察する。

佐々木さんは左足を、3か月前に転落事故により骨折していた。

それ以来、痛み止めの薬が無くなると、その薬をもらう為来院しているようだ。


しかしシャウカステンにこうしてレントゲンフィルムを差し込んで見るのもいつの日以来だろうか?

ああ、そうか……医大の実習講義の時に確か……使っていたかな?

大学病じゃもうすべてデジタル画像だから何かとても懐かしいと言うか。そうだ、子供ころ診察室に入ると真っ先に目に飛び込んできたのはあの白いパネルだったな。

どっちにしても懐かしいという気持ちが湧いてくる。

俺、医者なんだという実感がわいてくるのはおごりだろうか?


骨折したのは左側大腿骨だが、前回のカルテには反対側の膝関節も、痛くなったと訴えていた。

念のため今日は、先の骨折部左大腿部と、前回「痛い」と言っていた右膝関節のレントゲンも撮ってもらった。

ここの病院はまだ、電子カルテの導入はされていない。


昔ながらの手書きのカルテファイルに、事細かにその症状が記載されている。

しかも長ったらしい文面だったり、「異常なし」とコメントの様に書かれていたり。その様式は統一されておらず様々だ。



このカルテに書かれていることを、最初から目を通すのは大変な作業だろう。

よくこれでやっているものだと思った。


佐々木さんのX線画像には、これと言って異常は認められなかった。

先に骨折していたところも、すでに完治している。そして新たに痛いと言っていた膝関節にも、異常は認められなかった。


「済みません、佐々木さんを」看護師に診察室に入る様、佐々木さんを呼んでもらった。

「佐々木さん、レントゲン見たんですけど、やっぱり何処も異常はないですよ。右膝も痛いと言っておられたので、そちらもレントゲン撮ってみましたけど異常はないですね」


「でも痛いのは本当だってば! だから薬だけでいいから、早く処方して頂戴!!」

ちょっと切れ気味! 新顔のこの若い医者の言う事は、逆に気に障るのかもしれない。


「済みません、その右膝ちょっと見せてもらえますか?」

佐々木さんを診療台に寝かせ、右膝部分を触手する。


「この辺ですか痛いのは?」

問いに佐々木さんの反応は、少しぎこちない。

その反応に少し違和感を覚えた。そして脹脛ふくらはぎの上部が、わずかに変色し腫れている。


カーテン越しに隣で診察している先輩医師に。

「忙しい所済みません。三浦先生」

ちょうど患者が途切れたのを見張らかって、声をかけた。


「ん、どうした田辺先生」ちょっと怪訝そうに返す。

「あのう今診察している患者さんなんですけど、ちょっと気になるところがありまして」


三浦医師は内科医。もしかしたら佐々木さんは、何かの内臓疾患が関係しているのではと感じ、相談をしてみた。

「どれ、」と言って、僕の診察室のエリアに三浦医師は入って行った。


「ああ、佐々木さん。どんな具合です」

患者である彼女を一目見るなり、患者の苗字を言う。


地域密着型の病院だからだろうか? もう顔なじみと言った感じの会話が始まった。


「今日は運が悪かったわ。三浦先生じゃなかったんですもの。この先生ほんと私の言う事訊いてくれないんですよ」

彼女は少し怒りを、三浦医師にぶつけるように言う。


「ハハハ、それは済みませんでした。彼、田辺先生はまだここにきて日が浅くてね、いろいろご不便おかけしたみたいですね」

三浦医師はにこやかに言う。大学病院とは違い、ここでは医者は患者の上に立ってはいけない様だ。


「で、田辺先生どんな感じでしょう?」

三浦医師が尋ねる。


「この部分です」

佐々木さんの右脹脛上部にある、変色部と腫れ部分を見せる。


三浦医師は触診をし、痛みがあるかなど、佐々木さんには俺が訊いたのと同じような事を訊いた。

佐々木さんは、さっきとは違う事を言う。


「んー痛いと言うよりは何だろう、しびれるっていう感じかな。あんまり感覚はないんだけど」

んー……やっぱり俺には警戒心と言うか、何か低く見下されていたような感じがした。


「何かここぶつけたりしました?」

「んー、そうそう、この前自転車に乗ってて、ちょっと転んじゃったの」

「膝が痛いのに自転車に乗ったんですか。いけませんね、危ないですよ」

「ごめんなさぁーい。ちょっと急いでいたもんだから」


「んー、少し化膿しているみたいですね。抗生剤と、いつものお薬お出ししておきますね。それと最後に念の為採血してもらえますか。3日くらいで結果出るので、お薬も三日分にしておきますね」


「えー今度は採血ですか?」

「念の為ですよ」三浦医師はにこやかに言う。


佐々木さんは俺の時とは違い、三浦医師の言う事には、素直に従った。

佐々木さんが診察室を出てから。


「田辺先生、ここはあなたがいた大学病院とは違います。来る患者は、医師を信頼してきてくれるんです。その信頼と言うのも、患者ときずいたコミュニケーションが、土台になつています。患者は痛い、苦しい、その人が感じる状態をダイレクトに言ってきます。その症状から幾つもの推測をし、検査をそれとなく行い病理を特定していかないといけないんです。大学病院では最新の医療設備と、臨床データから疾患を導きだしますが、ここはそうじゃない。それに一つの診療科だけを見るのではいけません。幅広く、そして狭く、細く、見極めないといけないですよ」


三浦医師は何かを諭す様に言う。

でもその表情は、ここの松村院長の様に穏やかだった。


そして付け加えるように。


「でも田辺先生、良く気が付きましたね。糖尿病の合併症。検査結果出ないと何とも言えませんが、多分次回は入院が必要になると思いますよ。まぁその事、今度の受診の時、伝えていてください」


そう言いながら、俺の肩をポンと叩いて、自分の診療室に戻った。


この病院では俺は、非常勤勤務医として扱われている。夜間の当直はなかった。

時間になれば追い出されるように帰宅を促される。

その代わり、勤務時は外来の診察に、カルテ管理や雑務が津波の様に押し寄せてくる。

初期研修医のあの2年間が、まだ生易しいものだったと、今は感じるほどだ。


帰宅してから俺は、その日ベッドに横たわり、今日三浦医師に言われた言葉を、思い浮かべていた。


大学病院とは違う。

患者とのコミュニケーション。

土台。


何だろう今までと、全く違う世界の様に感じる。

今までは流れるように患者が動き、システムが動いていた。

規則正しいリズムの様に。そして時が来れば次の段階へと自動的にシフトしていく。

まるでプログラムされた、コンピューターの中にいるような感覚だ。


だがあの病院は違う。


患者の訴える様子を細かに、しかも瞬時に観察出来ている。それも患者とのコミュニケーション力と言うものが、土台となっているのか?


大学病院をデジタルと例えるなら、あの病院はあまりにもアナロジックな病院だ。

それを考えれば異世界の医療機関とも、いうべきだろうか? いや、あの病院自体が特殊なのかもしれない。



そして俺は、あの病院で忘れる事の出来ない。


患者と出会う事になる。

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