Emergency Doctor 救命医
再会
死の淵から命をこの世に生還させる。
これが今の俺の仕事だ。
人は精子と卵子が受精し、細胞分裂が行われた時点から生きると言う権利を得る。
だが、それは必ずしも保証されたものではない。
人は何らかの事情でその生を閉ざさなければいけないこともある。
それはその本人が望もうと、望まなくても俺らはその命を繋ぎ留めなければならい。
例え、魂がすでに死んでいたとしても……。
ホットライン。エマージェンシーコールが処置室に鳴り響く。
「はい、城環越救命救急センター」
年齢17歳女性。
5階建てのビルの屋上から転落。
頭部外傷
左上腕骨折及び左大腿部裂傷
バイタルサイン微弱
JCS300。意識レベル無し
瞳孔反射かすかにあり。
「受け入れよろしくて?」
一本のエマージェンシーコールから告げられる消防隊員からの情報はたったこれだけだ。だがこの情報はいつもの救急隊員よりはるかに詳細だ。
ふとその喋り方に懐かしさを覚える。
即座にホワイトボードにコール内容を記載。そのボードを目にして、コクリとうなずく。
「はい受け入れ可能です」
「了解、実はもうそっちに向かっているからよろしくね」
「は、はぁ。了解しました」
在勤するスタッフがボードを見て、機材の準備に取り掛かる。
処置室の術台の周りには、何時でも対応ができるように常に機材はセットアップ済み。状況に応じて、必要な機材と器具がセットアップされる。
救急車のサイレンが緊急患者搬入口で待機する俺の耳に入る。
所定の位置に救急車が停車すると後ろのハッチが開いた。
いつも見慣れたこの光景とその動作。
だがその時、救急車の中で激しく心臓マッサージをする彼女の姿を目にしたとき、俺は一瞬硬直した。
白いシャツには血がいたるところに付着し、患者の女性の上にまたがり、あの狭い車内で女性の胸を体重をかけながら両手で圧迫を繰り返していた。
「挿管はしておいた。心停止してから2分経過しているわ。まだ復帰はしていない」
そう言い患者の上からその躰をよせると同時に車体からストレッチャーが引きだされた。
ストレッチャーを術台の横に移動させ「いち、に、さん」と声を合わせ患者を術台に移動させる。
血で染まった患者の衣服をハサミで切り、素早く端末センサー端子を装着させ、輸液のラインを取る。すぐにモニターは波形を描き、あの独特の音「ピロロロッピロロロッ」と異常を示す音が鳴り響く。
血圧低下。ブラディーです。
モニターを管理する看護師が告げる。
そんなことは救急車の中で心マをしている光景を見ればわかる事だ。だが、まだフラットと告げられなかったことが幸いだ。
「胸部エコー」すぐさま胸部にジェルをたらし、ブローブを滑らせるように胸にあてる。
映し出されるモニターを注意深く観察する。
心破裂はしていない様だ、だが何処かはハッキリと特定できないが出血している。探りを入れるがうまく特定できない。その出血が心臓を圧迫している為うまく鼓動できないでいるようだ。
「開胸する」消毒用イソジンが患者の胸に塗られ「メス」の声と共に差し出す右手に右側の看護師がメスを渡す。
皮膚、脂肪質、筋膜とメスを変えながら患者の胸部が開かれる。その瞬間切開した胸部から血があふれ出す。
あふれ出した血をもう一人の医師がガーゼでふき取る。「開胸器」手渡された開胸器を切開したところに装着し術野を広げる。中は血の塊だった。
「血圧低下、心拍上昇」
「輸液全開、輸血の追加オーダー」
「はい」と返事と共に看護師が機敏に反応する。
彼女が搬送されてからもうすでに10分が経過している。酸素濃度を高くしているがこれ以上は危険だ……脳へのダメージが懸念された。
溜まっている血を吸引器で吸だし、あふれ出す血液をガーゼでふき取る。しかし出血量は尋常ではない。
圧迫が放たれ心臓の動きが回復してきたのはいいが、失血量が多い。キケンな状態を脱していない事には変わりはない。まして頭部外傷が気になる。
ビルからの転落、頭部の外傷……、頭部の傷が致命的なものでないことを今は祈りたい。
どちらにしてももう時間が無いことは確かだ。
患部にそっと手を挿入し、かすかな脈圧を頼りに手に神経を集中させる。
その時処置室の自動ドアが開き、術衣をまとった彼女がやって来た。
「具合はどうぉ?」
術野を覗き込み、マスク越しに落ち着いたあの頃と変わらない話し方で訊く。
「ああ、心拍は何とか。ただ出血位置がまだ特定できていない」
幹部を触りながら俺は返した。
「そう」彼女のその一言が、そっちは任せたと言っているのを俺は悟った。それに手が足りないときはいつでも参戦すると言う事を……。
「んー、瞳孔の反射が鈍いわね。頭部エコーの準備を」
彼女は自分の定位置に就いたようだ。
ちらっと彼女の方に目を配りそっちは任せたと意を伝えた。
相変わらず血液は脈打つごとにあふれ出す。
幹部を触診する指先に、ある感覚をかすかに感じた。
手を止める部分にガーゼを拭わせ血をふき取る。
「あった、ここだ」ようやく出血位置を探し当てた。
まずはこの出血を止める為、部位の血管を
「ペアン」
右手にしっかりとペアン
血管を傷つけない様にしかもしっかりとペアンで血管を結紮する。
カチカチと音を鳴らすペアン。
血管を結紮するとほどなく聞こえる「血圧戻ります」の声を耳にする。
「良かった」思わず声が漏れた。
その後その周辺をさらに観察したが、今取り急ぎ処置をしなければいけないほどではなかった。
救急医療では深追いは禁物だ。
まずは今絶えようとしているこの命を、つなぎとめるのが最優先だからだ。だから深追いはしない。この少女の命を繋ぎとめるために……。
「この子ねぇ、運が良かったと言うのかな。落ちた場所がコンクリートじゃなかったのよ。まぁかなりのダメージは受けたんでしょうけど、即死ではなかったからね」
「君はその現場にいたのか」
「んー、たまたまね。ちょうど通りかかったのよ。ここに来る前に」
ここに来る前に?
疑問詞が出たが今は深追いはしないでおこう。
「こっち『頭部』は大丈夫そうね。そっちが終わったらMRIに回しておいて、あ、それと後で私にデータまわしておいてくれる」
そう言って彼女は処置室を後にした。
血管を縫合し、ペアンを取り血流を解放した。漏れはない様だ。
バイタルも安定しだしてきた。
ガーゼパッキンで一時しのぎ、少女をストレッチャーに乗せ換え、頭部と腹部のMRI、左上腕部と左大腿部のレントゲンを撮り、オペ室で待機する医師に処置を任せる。
その後は彼女の魂の力次第だろう。いや、生命力は魂とその躰が持つ力によって決まるのかもしれない。
その躰の力とはなにかは、医師である俺でも、まだ解らない……。
「ふうぅ」第2棟と3棟を繋ぐ渡り廊下にあるガラス張りのフロア。そのソファに体を沈める。
夏の暑い盛りだが、体は冷え切っている。熱いコーヒーが体に沁み込んで行く。
「こんな所にいたの」
フロアの透明なガラス扉を開け彼女もホットコーヒーを片手に俺の隣のソファに体を沈み込ませた。
「相変わらず見事な処置ぶりね。腕落ちていなかったんだ」
さっきの処置室での雰囲気とは違い、今は柔らかく何か暖かく感じる彼女のその言葉。
「いつ日本に?」
「今日よ」
「3年ぶりになるのか」
「ううん4年よ」
「そうか、もうそんなになるんだ。どうしてここに」
「教授に呼ばれたのよ。そしたらあなたがいた」
「偶然か?」
「多分ね」
そう言いながら彼女はガラス越しに見える、夜の街明かりをただ眺めていた。
俺の方を一度も向くことなく。
そして俺も彼女の顔を見る事は無かった。
「あの子落ち着いているみたいよ。左肩も大体退部も単純骨折だけだったし、MRIもさほど重度の損傷はないみたい。もっとも運が良かったとは言え5階から飛び降りたんだもの回復までには時間はかかるけどね」
「飛び降りた?」
「そう、自殺『屋上の自殺少女』」
「そうか……」
「命を粗末にする人って許せないんでしょ……未だに」
「ああ」
「そして姉さんを救えなかった自分にも……」
あとは何も答えられなかった。
「あの時は仕方がなかった」彼女はそう呟いて立ち上がる。
「今日はもう帰るわ。明日からよろしく。教授にご挨拶だけのつもりだったけど、ま、いいか」
にっこりとほほ笑む彼女の胸元のネームプレートには
「Emergency Docter(救命医)」
俺と同じ文字が書かれていた。
「
その時。また俺のピッチが鳴り震えた。
新たな救急患者が搬送された。
俺が安らぐ時間はまだ先の様だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます