栄光と陰り

 イギリスから行動を求められた日本が東南アジアの枢軸国勢力の排除に動き出したのは1944年のことだった。

 西部戦線に電撃が走った後、ヴィシーフランス政府に忠誠を誓い、そのままに枢軸側に加盟したフランス植民地の内、1944年になっても枢軸側として戦っている主要な地域はアルジェリア、インドシナ、セネガル、マダガスカルとなっていた。

 その内、日本からは遠いアルジェリアやセネガル、そしてマダガスカルについては日本側が派兵を固辞し、日本の作戦行動範囲はインドシナとなった。

 作戦目標としてはヴィシーフランス領インドシナ全域の奪還及び保護だ。イギリスとしてはアフリカに残留する枢軸勢力への攻撃拠点としてもう少し動いてもらいたいところだったが、ビルマやマラヤ英領、そして海峡や港湾に点在する英領植民地などの東南アジアにおけるイギリスの重要拠点を守ることを確約させることで一応は合意した。そしてアメリカが懸念を示す中、インドシナ奪還作戦は実行される。


 インドシナにおけるヴィシーフランス軍の初動は約五万人が動員された。内、一万二千人がフランス人で残る三万八千人は現地の人間だった。

 その内の大半を占める陸軍の基本的な装備を除く箱ものとして、陸軍の持つ軽戦車が二十輛。海軍には軽巡が一隻に通報艦が三隻。空軍の稼働機の内訳が戦闘機が十機に戦闘爆撃機が三十機、爆撃機が二十機だった。


 対する日本軍は十万の兵を動員。軽戦車八十輛に中戦車百輛、重戦車二十輛を投入し、海軍は第一航空戦隊二隻及び第七駆逐隊四隻によって構成される第一航空艦隊と軽巡洋艦神通を旗艦とし、第十五駆逐隊、十六駆逐隊、十八駆逐隊を抜錨させた。

 止めの空軍は戦闘機、爆撃機、戦闘爆撃機の総合計が五百機に達そうとしていた。

 これらの過剰攻勢はただの見栄や利権や派閥による利害関係、杜撰な計画が生んだものではなく、インドシナの西側、タイ王国の行動を牽制する目的で行われた。


 結果は連戦連勝。


 反フランス連合の現地勢力の助力もあり、1944年の末に大日本帝国はフランス領インドシナの全域を占領することに成功した。


 そして日本は支配地域を保護国化し、1950年代には保護国が独立することを前提として占領地をカンボジア王国、ベトナム王国、ラオス王国という三国に分けて統治を開始した。

 この動きに自由フランスは猛反発、イギリスが深刻な懸念を表明するが、アメリカは歓迎。日本の後押しをする形で独立を承認した。日米が独立を認めればイギリスも追認するしかなく、米英の力を借りて行動している自由フランスも一度は引き下がらざるを得ない状況になった。


 東南アジアでの動きは日本側が懸念していたほど枢軸側の介入がなかった。問題となったのは軍事面よりも寧ろ飢饉に陥っていたベトナム王国への貸付だった。日ソ戦に勝利した日本だが、その間に兵糧を消費したことで備蓄米が減少していた。そこに今回の出兵と貸付だ。国内で米価が上昇し、ただでさえ沿海州都市部に対する投資熱や世界大戦での軍需が高まっている状況下で発生していたインフレが加速した。

 当然、日本銀行はこれらの動きに対し金利上昇によって対処する。初期の段階では膨大な戦時国債の処理を考えると日本政府としてインフレを歓迎していたが、予想を超える過熱具合に日本政府としてもこれらの動きを懸念する段階へと至る。

 しかしそれでも国内の急激なインフレは収まらない。その後も日銀は何度か小刻みに金利を上昇させたがインフレは続いた。


 日本国内における景気指数が近代政府が始まって以降、最高レベルで高まっていたそんな時だった。世界情勢に転機が訪れる。


 とうとうドイツ軍がソ連赤軍に戦線レベルで敗北を喫したのだ。場所はブラウ作戦におけるソ連南方戦線。特に熾烈な戦いとなったスターリングラードでは二年に渡る激戦の結果、都市機能を果たすことが出来る状態ではなくなっていたという。死傷者は両軍並びに民間人を合わせて約四百万人。過酷な史実を超える激戦となった。

 この戦線での勝利を皮切りに自信を取り戻したソ連はドイツ軍に対して猛烈な攻勢を仕掛け始める。ただし、それは史実に比べると見劣りせざるをえないものだった。

 それは極東における戦いでソ連が日中連合軍に敗北した結果に加え、史実に比して長きに渡ったドイツ軍の躍進の結果、史実で表立っては枢軸側に立つことのなかった親枢軸側の国が枢軸側についてしまっていたことが理由だった。

 ソ連にとって不幸中の幸いはトルコが枢軸側として立ち上がることがなかったことくらいだろう。トルコが動いていればまたブラウ作戦の趨勢も変わっていた可能性が高く、ソ連も作戦を見直す必要があったはずだ。だが、ソ連にとっての最悪の事態は避けられた。その結果が反攻作戦だ。史実にこそ見劣りすると言っても世界最大規模の陸軍を有するソ連はその力を遺憾なく発揮した。

 対するドイツ軍は自国の人的資源の消耗を自覚し、その技術の粋を以てしてソ連の人海戦術に対抗した。それは日本が対ソ連戦で使わなかった日本では噴式と呼ばれるジェットエンジンの戦闘機であったり、弾道ミサイルであったりだ。

 流石に大量生産体制には入っていなかったが、実戦配備されたそれらはモスクワの地からドイツ軍を追い出すことに成功して一息ついていたソ連高官を恐怖のどん底に叩き込んだ。同時にイギリスもその技術が自国に向けられることを恐れ、日夜対策を考えることになる。


 そんな折だった。ミサイル攻撃に晒されている危険極まりないイギリスのロンドンへ日本から数十人のスタッフと二人の貴婦人がやって来るという。彼女たちは日本で英雄視されているMarshall Katsukiの妻らしい。彼女たち自身も日本や人類の科学に対してかなりの貢献をしている様子だが、一体イギリスに何の用だろうか。

 まさか、日本が連合国に本格的に加入? ドイツが詳細情報を何とか仕入れようとしていた数日後。何とイギリスからドイツに対して意趣返しのように弾道ミサイルが撃ち込まれることになる。しかもそれはベルリンやライプツィヒ、ドレスデンなどといった大都市や軍需工場だけではなく、秘匿されているミサイル工場を運営するのに不可欠なノルトハウゼンとエルリッヒといった都市にも攻撃が行われていた。

 これにはドイツも驚き、すぐにミサイルの破片を収集して情報分析にかけた。その結果、ミサイルの破片にはある文字列が刻まれていた。それがTsukuyomi-弐式。

 この文字列は香月重工業の弾道ミサイルにつけられる型式だが、ドイツ作戦本部はそう考えなかった。これはドイツ軍の弾道ミサイル技術における第一人者で天文学や宇宙に対して並々ならぬ情熱を抱いていたある人物への日本側からの熱いメッセージと受け取ったのだ。

 当然、技術者たちはその嫌疑を否定する。しかし、ゲシュタポたちにとっては以前より不信感を抱いていた相手だ。そう簡単に許そうとはしなかった。囚われた技術者たち。この一件によってドイツ軍の弾道ミサイル開発がここから大きく発展することはなくなるのだった。




「……さて、作戦は成功ですね。あの宇宙依存症の方は今回の一件をどう受け止めるのでしょうか? そもそも、生きてドイツを出られるんでしょうかね?」


 ロンドンから日本へと渡航する軍艦の群れの中で小柄な女性がもう一人の女性に声をかける。三十代、ロンドンでは出迎えた政府高官や軍の上層部の者たちに二十代と見間違えられたもう一人の女性は険しい顔をして応じた。


「まぁ、最悪壱心様の言っていたシベリアでの拾い物の方がいらっしゃいますから。それより、壱心様のところへ早く戻らないと」

「……今からそうしていても気が持ちませんよ。後一月はかかります」

「……雷電-参式、いや。火龍-弐式ならもっと早く行けたんですが」

「理論上そうかもしれませんが……機密事項ですし、燃料がまだ本国でしか作れないじゃないですか」


 小柄な女性の指摘にもう一人の女性はそれまで沈んでいた顔に得意気な色を塗って答えた。


「火龍-弐式はかなりの重量物を乗せられます。燃料は積んで行けばいいんですよ」

「嫌ですよそんな油臭くて危険な超音速の旅」

「失敬な。ウチの軽金属容器なら揮発物が漏れるようなことはありませんし、気圧の影響もクリアです。香月組の技術舐めないでください」

「……分かりましたよ。ただ、飛行機だとミサイルの部品を持って行けないじゃないですか。それはどうするんですか?」

「……それはそうですけど。あぁ、壱心様に早く会いたい。出発前から体調が思わしくなかったのに何で私が……いや、まぁ私にしか託せなかったんでしょうけど……」


 得意気な顔から辛気臭い顔に戻る亜美。桜は情緒不安定で面倒だなと思ったため、亜美から少し離れて彼女の事を眺めることにするのだった。



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