1943年 連合

 ヨーロッパ各地でドイツが暴れ回っている。流石に破竹の勢いは止まったが、史実に比べて第三帝国の勢いが弱まることのないまま1943年がやって来た。

 現時点における世界情勢は史実とは乖離しているが、史実に比べて遅れていた流れをようやく取り戻そうとしているところだった。


 まず、超大国アメリカの動向だ。


 史実では1941年の12月に枢軸国に対して宣戦布告を行ったアメリカだが、日本が真珠湾攻撃を仕掛けなかったこの世界線では1942年が終わっても枢軸国へ直接的な宣戦布告が出来ていなかった。ドイツが未だに暴れ回っている大きな要因がこれだ。

 アメリカ史上初の三選を果たしたルーズベルトがアメリカは他国と戦争をしないということをマニュフェストとして掲げて当選した以上、アメリカが他国から直接攻撃を受けるなどして世論がひっくり返らない限りはレンドリースと義勇軍を送ることが精一杯だったのだ。

 この結果、イギリスさえ警戒しておけば西側からの攻撃は殆どないとしてドイツは対ソ戦に集中することが出来ていた。対イギリスの湾岸警備隊などは置いているが、陸軍の殆どを対ソ戦に投入出来る状況が継続されていたのだ。

 そんな欧州を他所にアメリカ国内は第二次世界大戦へのレンドリースが齎した特需による景気過熱が始まっていた。これによってアメリカは世界恐慌からの回復がある程度為されていたが、これ以上を求めるかどうかで揺れることになる。

 即ち、国際秩序の安定の名の下にヨーロッパへ出兵して自国民の血を流して利益を拡大するか、それともアメリカに火の粉が降りかかるまでは様子見するかだ。大統領であるルーズベルトは開戦に持って行きたい様子だが、アメリカ国内世論は孤立主義を貫こうとしており、他でもないルーズベルトが建前上ではあるが戦争をしないことを約束しているので戦争への直接介入は難しい状態だった。


 国内で揉めるアメリカ。代わりに第一線でドイツと戦っているのがソビエト連邦国になる。


 ドイツ軍によるモスクワ攻略のタイフーン作戦こそなんとか退けることに成功したソ連赤軍だが、ブラウ作戦において史実以上の戦いぶりを見せているドイツに対して彼らは非常に苦しい戦いを強いられていた。

 1943年の春時点においてもドイツ軍によるブラウ作戦が各地で継続されているという状況におかれており、スターリングラードでも未だに激戦が続いている。

 このことはソ連赤軍の士気を大いに挫き、ドイツ軍が継戦に当たっての士気を維持出来ている大きな要因となっていた。ただでさえソ連は日中と戦争し、負けた後だ。ソ連赤軍は冬戦争で辛うじて勝利した後、明確な勝ちを拾うことが出来ないまま現状を迎えている。勝ちのビジョンが見えないままの戦いは苦しいものだった。対日中戦で敗北した軍の上層部に対する更迭や粛清も確実に響いており、ソ連赤軍は史実以上の苦しみを味わっていた。


 そんなソビエト連邦国を打ち負かした国の一つである中華民国北京政府もまたここに来て動きを見せていた。北京政府が国内統一に向けて動き出したのだ、

 清国時代の旧領回復によって自信を取り戻し、更に強い軍閥として結束することに成功した北京政府。その北京政府の最高指導者である張作霖はこのタイミングで対ソ戦で活躍した息子の張学良にその座を譲った。それにより中華民国北部における北京政府と張学良の人気は頂点に達そうとしていた。

 人気絶頂の張学良は着任とほぼ同時に日中連合を組んでいた際に日本から得た南京政府と奉天派を取り巻く周囲の軍閥にとって不都合な情報を自国民にばらまいた。

 それは北京政府がソ連から押収した証拠と共に中国全土へと広がる。内容は各軍閥がソ連と手を組んで北京政府の力を弱めようとしていたというものだ。特に北京政府の勢力圏を半包囲するかのように領地を展開していた西北軍閥と宿敵である南京政府に対して北京政府は一連の行為を中華民国の国力を著しく損ねる売国行為であるとして激しい非難をぶつけ続けた。

 これにより北京政府は周辺の敵性勢力の切り崩しに成功する。特にソ連が支援していた馮玉祥ふうぎょくしょうらを筆頭とする西北軍閥は胴元であるソ連の撤退に伴い、規模を縮小しようとしていたところにこれだ。西北軍閥の支配下だった河南省の北部は戦うことなく北京政府側に寝返った。それに加えて西北軍閥の勢力圏である河北省の一部と内モンゴル自治区についても北京政府は侵攻を開始。北京政府は中原の雄となるべく動き出す。

 対する南京政府は北京政府の行動を咎めるどころか、火消しに躍起になっていた。共産党の討伐で再び名声を取り戻しつつあった蒋介石は北京政府を打倒して中国統一を実現するどころか自派閥の再結成のために心血を注ぎこむことになる。


 再び大きく動き出す中華民国。それを隣国である大日本帝国は眺めていた。いや、正確には眺めるだけに留めさせられていた。


 対ソ戦における軍需。国内における戦勝ムードでの民需。沿海州の再開発とレンドリースでの景気過熱。中華民国内の内紛における特需。第二次世界大戦での特需。

 大日本帝国はこれでもかというほどに景気が過熱していた。

 政府はこれらの動きを何とかコントロールしようと鋭意努力はしていた。しかし、国内は儲かればいいという楽観的なムードで警告を聞き流す者ばかり。話がそれだけで済めばよかったが、戦勝によって儲けられなかった者の中の一部が甘い汁を求めて各地で工作を開始しようとしていた。これらの裏工作は幸いにも表に出る前に止めることが出来たが、事態を重く見た壱心は老体を押して動き始める。これにより日本はモノと金を動かすだけのプレイヤーに留まることに成功したのだ。


 だが、それを許さない国があった。


 それが大英帝国。第三帝国に押され、世界各地に分散した軍を欧州の地に結集することでドイツに対抗しようとしている大国だ。

 史実では1941年の年末には連合国入りし、1943年の夏には兵を送り込んでくれていたアメリカの動きがこの世界線では鈍いのもあり、イギリスは第一次世界大戦の時と同様に日本に援護を求めた。これに対し、日本はアメリカと同様にレンドリースを実施することで対応していた。ただ、独ソ戦を繰り広げながらもイタリアと共同して地中海沿岸の防衛を強固に行っているドイツに対抗するにはただの軍需物資や技術の提供だけでは足りないとしてイギリスは更なる協力を求めて来たのだ。

 その誘い水となるのがイギリス領であるブルネイだ。石油や天然ガスなどの資源を豊富に持ち、インド洋と太平洋を結ぶシーレーンに面している非常に重要な港湾都市国家の港湾都市や石油プランテーションについて二十五年間の租借権を格安で与える代わりにフランスの植民地で今はドイツの傀儡であるヴィシー政府の植民地となった枢軸諸国と対立させようというのだ。


 自分が嫌いな相手自由フランスの土地、しかも敵国ドイツの傀儡政権の手に渡っており、まだ奪還出来ていない土地を勝手に皮算用させて別の国日本を動かす。まさにイギリスの三枚舌外交だ。


 かなり魅力的な果実を目の前にぶら下げられた形になる日本。だが、どう転んでも面倒なことになるのは約束されていた。戦後にヴィシーフランス政府と揉めるか自由フランス政府と揉めるかの違いなだけで揉めることが確定している土地だ。

 非常に判断に困る議題のため、日本側の担当者は検討すると言って持ち帰ることにしたのだが、イギリスは自由フランス政府の気が変わらない内にという名目ですぐに動くように要請して来る。

 その結果、英国紳士が繰り広げる軽快ながら粘り強い三枚舌の演説に乗って1943年の冬に対ソ戦からの復興と反共を名目として第二次世界大戦から少し距離を置いて金とモノを動かすのみに留まっていた日本は再び動き出すことになるのだった。



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