緒戦の結果

 緒戦を勝利で飾った大日本帝国軍。その報告はすぐに国内へともたらされた。


「よし。航空優勢が取れたのは大きい。この調子で進めてもらおう」


 大本営に特別顧問として招かれている壱心は報告を聞いて頷いた。それにより安堵する一同。しかし、話はそこで終わらなかった。


「ただ、私はソ連軍が大規模展開した時点で大本営を設置して本土から防衛軍を派兵することを要求していたが……遅れた理由は?」


 単なる質問と確認。だが、壱心の鋭い眼光を前にこの場に居る全員が押し黙った。唯一、答えられたのは日ソ戦における総司令官に任ぜられた安川友幸だ。彼は壱心の旧友である安川新兵衛の孫である。


「大変申し訳ございません。意見具申はしたのですが、閣議が降りなかったのです。先の一件から軍の権威は落ちており、閣下のお言葉がなければ派兵どころか軍を保つ予算すら減らされそうな有様でして……」


 先の一件とは過激派が起こした体制への反乱、三三一事件のことだ。壱心も標的とされたその事件の後、軍部は議会に対して劣勢に追い込まれており、それが理由で後手に回ってしまったと安川は告げる。その件について被害者に文句をつけるか、そう思わないでもない壱心だったが、この件を深く追究することが今の目的ではないので思考を切り替える。


「そうか。遅れたものは仕方ないとして速やかに後続を送り込むように。私の方から議会にも通達しておく」

「畏まりました。ご助力感謝いたします」


 頭を下げて謝辞を述べる友幸。彼は増派の約束を取り付けると話を戻す。


「それでは、話を続けさせていただきます。牡丹江方面におけるソ連軍第一極東戦線は制空権を失ったため、進軍速度に陰りがみられる模様。ただ、戦車師団による攻撃は凄まじく、日夜1000輛を超える戦車が所狭しと並んで砲撃しているようでして」

「いい的だな。爆撃だろうがカノン砲だろうが噴進砲だろうが何だろうが手段は問わん。徹底的に破壊してやれ」

「そうですね。ついでに土方中将よりハバロフスク方面への攻撃実施許可が求められておりますが、これは許可しても?」

「兵が揃ったら構わん。ただ、あくまでも防衛が主たる目的だ。無理することのないように」


 激戦が想定される地帯へ自ら乗り込もうとする土方中将の顔を思い出して祖父譲りの勇猛さだなと思いつつ壱心は苦笑して許可を出す。ハバロフスクは現状、東清鉄道が使えないソ連軍にとって第一極東戦線への輸送の要であるシベリア鉄道が通る場所だ。相当な警戒がされている場所になる。そこを突破し、占領すれば既に護国の鬼となってしまっている祖父の土方歳三も鼻が高いことだろう。


「ハバロフスク方面への攻撃ですか……ブラゴベシチェンスク方面の香月長文大将の第二方面軍は……」


 牡丹江方面から北の方面に話が移ったことで壱心の顔を窺いながら参謀長の一人がそう発言した。長文は壱心の弟である次郎長の孫だ。こちらも激戦が想定されているため、迂闊なことを言って壱心の心証が悪くならないか気になったのだろう。


 だが、その方面で動きは特にないというのが現状の報告だった。


「ゲオルギー・ジューコフ率いるソ連第二極東戦線はほぼ動きがありません。この地を襲撃されると前面攻勢に出ている第一極東戦線への影響が避けられないことから慎重になっているのかと」


(流石に慎重派だな……こういうのが一番厄介なんだが、まぁ今回の戦いにおいて時間は我々の味方だから問題ないが……)


 史実を鑑みてジューコフの行動に納得する壱心。だが、あと半年もすればドイツ軍によるソ連侵攻、バルバロッサ作戦が始まり、ソ連軍は極東方面で戦争をしている暇はなくなる。日本としてはそれまで防御に徹していれば特に問題はないのだが、国内がどうにもならないという訳でもないのに戦争を仕掛けてくるという最大級の侮辱に舐められっ放しでは国家としていかがなものかという観点からソ連軍には手痛い目に遭ってもらうことにした。それに、ただでさえ戦費が嵩むのだ。戦後、賠償金などの問題もあるため、適度に勝っておく必要がある。


(まぁ、勝ち過ぎてもソ連がドイツと戦えなくなって後で迷惑を被ることになるから難しい塩梅ではあるが……日露戦争以上の被害は覚悟してもらおう)


 壱心の構想では動員兵力の1割程度のソ連軍に犠牲になってもらいたいという願望がある。それを前提に戦略を組み立てていくのだった。




 一方、ソ連と戦う前線基地、ザバイカル方面に位置する日本軍第三方面軍で指揮を執っている小栗忠国大将は海拉爾ハイラル要塞で会議を行っていた。


「さて、まずは戦況の確認です。ザバイカル方面、その中でも特にノモンハン方面に大規模展開しているソ連軍ザバイカル戦線の侵攻状況について」


 落ち着いた声音で話すのは小栗忠国陸軍大将だ。彼は幕末の名臣、小栗忠順の直系の孫。親の代までは徳川家に忠を尽くしたが、忠国は祖父の命を救ってくれた壱心の恩に報いたいとして軍部へ進んでいた。小栗家の英才教育は伊達ではなく、香月の名とその名を背負う者に課せられる周囲の期待に相応した力量を見せてとんとん拍子で出世した第二方面軍司令官の香月長文よりも更に速く陸軍大将に出世した偉才だ。


 そんな彼の一言で会議が始まる。


「はっ! 今のところ、ソ連軍に大きな動きは見られません! 空軍からの偵察情報ではザバイカル方面軍の麾下にある航空部隊による迎撃も散発的で、即応部隊の殆どは撃墜しているとのことです」

「ふむ。相手はソ連軍でも有名なクリメント・ヴォロシーロフ元帥と聞きますが……何か問題が発生しているのですかね?」

「目下、第一極東戦線におけるソ連航空部隊の敗北と各戦線における停滞が足を遅くしているのだと考えられます。また、我々の守りが堅いのも抑止力になっているかと思います」

「……わかりました。状況は今の通りです。皆さん、意見交換をお願いします」


 小栗は部下に発言を促して自らは考えることに注力する。その中で彼は戦地に赴く前に彼らの恩人から言われた言葉を吟味していた。


(ザバイカル方面は起伏に富み、森林に覆われている上、峠道も湿地帯でソ連が誇る機械化師団の通行には適していないが……東アジアのアルデンヌ地方となり得る場所で警戒が必要とのことでしたか……)


 会議の流れはいかに興安嶺山脈が擁する天然の要害を利用してソ連軍を消耗させるかが議論の中心となっている。攻勢に出るのはソ連軍を消耗させた後、大本営が許可を出してからということになっているため、早く相手を消耗させ、打って出たいと気が逸るのだろう。


(森林を抜けられると孤立する恐れがある以上、ただ守っていればいいというわけにもいきませんね。一軍を任されている以上、己が責務を全うし胸を張って本国に戻りたいところですが……)


 小栗の中には様々な構想が浮かんでいる。空軍や諜報部隊の情報からソ連軍の状態は何となくつかめている。後方支援部隊抜きで直接激突する見込み兵力としてはソ連軍が20万人に対し、小栗が指揮する兵力は現在が12万、援軍到着で18万人を見込んでいる。


(守勢に回ればどうにでもなる戦い。ですが、日露戦争であれだけ勝利を積み重ねても完全な勝利を手に出来なかった無念。ここで晴らさせてもらいますか)


 単なる勝利であれば小栗の手腕を以てすれば容易く手に入るもの。だが、帝都不祥事件によって軍の威信が落ちていることや、今後の日本の立ち位置、そして国内情勢を踏まえるとより大きい勝利が望ましい。


 小栗はここに決断した。


「皆さん、ご意見ありがとうございます」


 小栗のそう大きくもない声で参謀長たちは静かになる。そして小栗が続ける言葉を待った。


「笠倉参謀長、山下中将に連絡してください。本土からの援軍が到着次第、我が軍は空軍との合同作戦【切号】に入ります。栗林中将、あなたに本作戦の指揮を任せますので本会議後、残るように」

「畏まりました」

「では、作戦実行までの間は現地点を堅守するように。解散」


 笠倉参謀長と栗林中将を除いた将校たちが去って行く。司令部に残った数名の姿を見ながら小栗は少しだけ内心で考える。


(香月閣下には半年防衛に成功すれば転機が訪れると言われていますが……その半年の間、ソ連軍には二度と日本と事を構えたくないと思わせるようにしたいですね)



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