仙人の霊薬
雷雲仙人が残した反老化薬を壱心に投与するか否か。それを決める会議であることを綾名が告げると最初に桜が反対した。
「だ、ダメです。仙女様はこれを使用するなら女性にのみと……」
「それは正式に仙女さんと契約し、了承したんですか?」
「それは……」
一方的に言われただけで口約束すらしていない。あの場を支配していた悪坊主からは何の言及もなかった。
だが、桜は恐怖心から拒否反応が強く出た。かつて壱心たちの下に現れた仙人たちとまともに会ったことがあるのは亜美くらいなものだ。他の妻たちは見たことはあるが、殆ど話をしたことはない。そのため、あの威圧感と言いようもない恐怖を知るのはこの場では桜を除けば亜美のみとなる。
桜は助けを求めるような視線と共に亜美に声を掛けた。
「亜美さん、亜美さんは……」
「私はまだ結論を出せていません。使用に当たっての危険性を知っているのは桜さんか咲さんくらいなものですから」
亜美の突き放すような言葉に桜は唸る。こうなれば、頑張らなければならないのは自分だ。しかし桜には霊薬を使って壱心を治したいという意思もあった。
(……困りましたね。本当に)
霊薬を使えば確実に壱心が回復するというのであれば桜も使用する方向に気持ちが傾く。だが、あの薬は氣の解放というよくわからないルールがある上、許容量も不明で未知の部分が大き過ぎるのだ。
亜美は霊薬の使用に当たっての危険性については桜が知っていると言っていたが、それは恐らく桜が全員の健康診断をしていたことやファンタジーな来歴を知っているからだろう。だが、桜が管理していたのは霊薬を投与した後の生体反応などを見てのことで、仙人たちと同じ常世外の存在であっても薬自体は彼女の手に負えるものではなかった。
(どう説明したものか……)
この場に居る者たちは壱心の状態をきちんと医師から説明された面々だ。つまり、皆一様にこのまま行けば壱心は意識を取り戻さぬまま死んでしまう可能性が高いということを理解している。そのため、このまま壱心の死を座して待つのみならば微かな希望だとしても賭けてみようという思考に至っているだろう。
(私としても、出来ればこんな形で死んでほしくないですが……)
私情として天寿を全うせずに死なれるのも悲しいが、壱心がこのまま死ねば軍部と民間が決裂してしまう。そうなれば軍部は追い詰められ、更なる暴走に至る可能性が高い。特に考えられる想定として最悪なのは壱心が目指した方向と違う方向で成功を収めることによって壱心の評価を少し下げつつ軍部の民心を高めようとすることだ。それをされてしまうとこれまでの努力が水の泡になってしまう。
そう考えると、壱心には是非ともまだ生きていて欲しい。そこまで考えて、桜は気付いた。
(あれ……私が霊薬を使わないと考える理由は恐怖心のみ……?)
会議が本格的に始まる前に自分の本心に気付いて自己解決してしまった桜。彼女が無言の間に綾名によって壱心の現状についての情報共有が済んでいた。
「では、今から対策案についてですが……おじい様の状態が思わしくないのが加齢による体力減である以上、我々に出来得る対応は神棚に飾られていたこの反老化薬の外にありません。この薬については桜さんより説明してもらおうかと。桜さん」
名を呼ばれ、桜はしっかりとした面持ちで告げる。
「反老化薬ですが、現時点では我々には解析すら不能の代物です。効果は綾名さんが言った通り、老化に対する反作用。どういった原理なのかは一切不明です。そのため複製はおろか再現すら出来ません。使用すれば二度と手に入ることはない上に使用に当たっては条件があるため、今回の使用で壱心様が治るかどうかも不明です。申し訳ないですが、私が知る範囲も皆さんが知っている範囲と大して変わらないです」
「……質問よろしいですか?」
手を挙げたのはリリアンの娘である莉子だった。綾名は頷いて彼女の発言を促し、桜も莉子に問いかける。
「何ですか?」
「使用に当たっての条件です。これについてなんですが……お父様は条件に適合していますか?」
「かつては、適合していました。今は不明です」
「その条件というのは何ですか? 後、それは今からでも満たすことが出来るんですか?」
尤もな疑問だった。だが、桜はこれに答える術を持たない。そのため、正直に莉子に答える。
「正直に言います。条件は仙人様方が言っていた『氣の解放』というもので、常人には分からない範囲のものです。ただ、完全に条件から外れていれば今から条件に適合するのは不可能でしょう」
「氣の解放……? お母様たちはそれが出来ていたんですよね? どういうものですか?」
水を向けられたリリアンは少し困った顔をして言った。
「上手く説明できるものじゃないし、どうやったら出来るのかもよくわからないわ。それに、話の本筋から離れてるから知りたければ後で話をするから今は霊薬を使うかどうかについての話をしましょう」
「そう、ですね……」
微妙に納得していなさそうだが莉子は一応引き下がった。その後も使用期限や効能など多数の質問が桜に対し飛ぶがどれも詳細不明としか答えられない。そうした回答に業を煮やしたのか鉄心の息子である悠希が声を上げた。
「桜さん、ありがとうございました。ただ、もういいです。姉さん、話を聞いていてわかったよね? こんなよくわからないものをおじい様に使うわけにはいかないだろう? 父さんも止めましょうよ」
現在の香月家当主である鉄心に語り掛ける悠希。鉄心は無言のまま瞑目した。それに対し、綾名が口を開く。
「私たちだけで話し合っても決まらないから家族会議にかけたんじゃない。少なくとも私は僅かな可能性でもあるならそれに賭けるわ」
「全く……香月組の優秀な医師や薬師に任せましょうよ。素人が意見を出してもいいことはないでしょうに」
「それも一つの意見よ。でも、他の意見もある。結論は皆で出すわ」
綾名の言葉に悠希は肩を竦めて引き下がった。まるで駄々っ子を見ている傍観者のようだった。
その後も会議はしばし続くことになる。だがしかし、壱心の状態が予断を許さないことにより次回への持ち越しが出来ないという状態に対し、かけられる時間はあまりに少なかった。
それも仕方のないことで、そもそも多忙な面々である上に壱心が不在ということで香月組の仕事や政界、軍部などの仕事が舞い込んでいる状態であること。更に、帝都を脅かした事件の直後という状況だ。
各人がこの会議のために取れる時間もあまりなく、全体で集まれる時間は重要度に比べて少なかった。
「……その他、決を取る前に訊きたいことはありますか?」
議題を持ち掛けた綾名の問いに対し、全員が決を採ることに賛成する。会議は無記名による投票制だ。賛成か反対と書かれた紙に対し、丸を付けるだけでそれ以外は無効票になるというシンプルかつ特定が難しい方法で行われた。
その結果は。
「賛成5、反対2、棄権が2で賛成多数によりおじい様への霊薬の投与を実施します」
全員が投票用紙を検め、賛成多数が確認された。壱心一家が様々な表情をする中で綾名は淡々とした表情で続ける。
「では、今すぐに投与を実施してきます。この後、時間がある方は同行願います」
霊薬入りの試験管を持ち、綾名はそう言ってリリアンたち女房衆を引き連れて病院へと戻るのだった。
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