帝都不祥事件

 壱心を乗せた救急車のサイレンの音が停止した。病院に到着した救急車から意識を失った壱心が緊急搬送されていく。


「どうか、ご無事で……!」


 同乗していた美咲は祈るように壱心を見送った後、押っ取り刀で駆け付けた香月組の面々に後を引き継ぎ、軽く情報共有をした後に急いでタクシーで現場に残った亜美の下へ向かう。


(……咲夜さん)


 その道中の東京はいつもの町並みとは異なっていた。激しい喧騒や武装集団による一部施設の占拠に伴う交通網の乱れ。また、各地でサイレンが鳴り響き、帝都が緊急事態にあることを民衆に知らしめていた。


(よりにもよって今日、この日に……!)


 この日、香月組暗部や警察が危惧していた事態が発生していた。


 軍部急進派によるクーデター。後に三・三一事件や帝都不祥事件と呼ばれることになるテロリズムが幕を開けていたのだった。




「最悪! 最悪! 最悪! まさか身内から裏切り者が出るなんて!」


 帝都の裏社会で暗躍している香月組暗部の情報管理者である恵美が地団太を踏んで悔しがる。その足元には数名の裏切り者の亡骸があった。


「何が昭和維新だ! 木乃伊ミイラ取りが木乃伊ミイラになりやがって!」


 烈火の如き怒りで恵美はかつて部下だった男の亡骸を蹴り飛ばす。この男は賊軍に寝返ったどころか恵美を賊軍に迎え入れて共に壱心を説得し、維新を実現させようと勧誘してきた愚か者だ。寡黙ながら働き者の優秀な部下と思っていたが、死ぬ少し前はよく喋ってくれた。おかげで賊軍の計画と情報が知れたが、何も嬉しくない。


「恵美様! 警視庁より連絡です!」


 怒り冷めやらぬ恵美の下に別の部下が駆け込んできた。反射的に睨みつけてしまう恵美だったが、すぐに表情を取り繕って余計な感情を削ぎ落すと彼に応じる。


「……今行く」


 周辺の安全確認は済ませてある。念のため部下に先導された恵美はかつての部下に襲撃を受けた休憩室を出てすぐに警視庁と連絡を取った。


「もしもし? 恵美です」

『中田です! 女史! ご無事ですか!』


 電話の相手は警視総監だ。かつての部下の言葉では警視庁も反乱部隊による襲撃を受けているはずだった。


「えぇ。こちらは鎮圧済みです。後は残党狩りになります。そちらは?」

『こちらは予断を許さぬ状況です。女史のお蔭で特別警備隊に機関銃を配備出来た事で賊軍も簡単には手出し出来ない状況ですが、賊軍も重装備のようでして……』


 中田警視総監は苦虫を噛み潰したようにそう告げる。恵美は余計なところで有能さを発揮してくれたものだとかつての部下への苛立ちを滲ませながらも中田警視総監に警視庁を取り巻く現状を伝える。


「賊軍から得た情報では賊軍の内、最大兵力である約300名が警視庁に向かっているとのこと。その間に彼奴らは国家の重臣を殺害せしめんと企てているようです」

『……こうしている間にもどこかで襲撃が起きているという訳か……ただ、この場を守り通さねば都民に与える不安は計り知れません』

「分かっています。中田さんは現場を死守してください」

『申し訳ない……』


 中田は謝罪の言葉を口にするが恵美はそれをやんわりと窘めて己が責務を全うするように頼んで受話器を降ろした。その次の瞬間、再び電話が鳴る。


「はい、香月警備です」


 恵美の視線を受ける前に部下が前に出てダミー会社の名を告げる。この電話番号を知る者はごく限られており、繋げることが出来る通話先も数少ないが念の為だ。部下が社名を告げたのに対し、男の声で応答がある。


『月夜に踊る鷹よ。天日を浴びよ』


 符牒だ。部下は恵美に目配せした後に名乗った。


「畏まりました。香月組暗部、中根が受けております。どなたでしょうか?」

『宮内からだ。これから帝国で一番偉い方が訊ねる。女史はいるか?』

「はい。代わります」


 中根は宮内省からの電話であることを恵美に告げて受話器を渡した。恵美は電話を受け取ると丁寧に対応を始める。


「はい。現在、意識不明の重体となっておりまして指示を仰ぐのは絶望的かと。賊軍による犯行です」


 通話先の言葉は聞こえないが、恵美の応答から中根は会話を推察し、驚愕する。


(賊軍は九百名にも上るのか……! それほどまでの規模で動かれるとは……そして何より、香月様が重体……我々の失態だ!)


 己に対する失望感が中根を蝕む。反徒の動きは掴めていた。だが、実行に移す可能性は低いと高を括っていた。まして、国家の功労者たる自分の主人を本気で襲撃し、成功させる人間など存在しないと思っていた。


「はい。大御心に感謝致します。また、宸旨しんしの程畏まりました。全力を挙げて賊軍の鎮圧のため、後方支援に努めます」


 中根が無力感に浸っている間に恵美と宮内の通信は終了したようだ。彼女は中根の様子などお構いなしに大きく息を吐くと額に手を当てて考える。


(どこから手を付けるか……個人的には皆殺しにしてやりたいところだけど、賊軍の中にも温度差がある。沢村の奴も御屋形様を襲撃するという愚かにも程がある蛮行は知らなかったらしいしな……まして、一般下士官の中には上官の命令に従っただけで計画自体は何も知らぬ者が多いらしい)


 恵美の情報源であるかつての部下の口振りと動揺、そして帝都各地から雑多な情報を集めてきた部下の話を思い出して反乱軍の中でも意思の疎通が上手く取れていないことを推察する恵美。

 実際、東京駅で壱心を襲撃しておきながら帝都の香月邸には武装集団50名が壱心と直接話がしたいと押し寄せて来ていたという時点で賊軍の統制が取れていないことが明らかだ。

 しかも、その武装集団50名は賊軍間で使用している無線機によって壱心への襲撃のことを知ると話が違うと激昂して応対していた香月邸の家人に対し謝罪の言葉を口にして転進して行ったという。


(……皆殺しにしたいけど、同士討ちに持って行かせるべきか。まずは、曲がりなりにも尊皇を謳っている奴らだ。陛下の宸意しんいに背いている事実を拡散すべきかな)


 思考をまとめた恵美は部下に指示を下す。まずは軍部と警察、そして記者倶楽部に情報を流し、民衆に正しい情報を提供すると共に模倣犯や便乗犯などを防ぎ、反乱軍に動揺を与えることにした。


「はらわたが煮えくり返る思いだけど……すぐに投降し、帰順するように仕向けなさい。何も知らない者たちに改心の機会を。以降は知らないわ」


 恵美の下知により香月組暗部が動く。その情報は半日も経たずして帝都の新聞社に広まり、即時号外として刷られるのだった。

 同時に情報を受け取った軍部の動きも迅速だった。話が上がって来た当初は反乱軍に同情を見せていた上層部は何とか穏便な形でことを済ませようと頭を悩ませていたが、事件が半日経過しても収まらないことに対する陛下の怒りと壱心が襲撃され、重体に陥ったことを受けて即座に行動に移った。

 即時、伝単(宣伝用のビラ)を作成すると飛行機から散布。また、特別作戦を実施して反乱部隊を即時包囲した。


 そこから賊軍の転落は早かった。


 降伏する者、自決する者、様々な形ではあるが事件は一両日中には片が付き、昭和維新は実現されずに終わることになる。



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