不況と復興

 関東大震災は史実に比べればまだマシな程度の被害に収まった。しかし、被害がなかったわけではない。特に、火災に関しては当日の天候が強風だったこともあり政府の必死の努力も虚しく十万棟以上が罹災したという結果に終わる。

 ただ、それでも史実に比べれば半数以下という素晴らしい結果だ。これは迅速に軍が派遣されたことによって便乗犯による不審火が抑制されたことやラジオによる注意が功を奏したと言えるだろう。


 だが、被害が抑えられたと分かるのは史実を知る者たちのみだ。この社会不安の波により人心は惑い、史実で言うところの甘粕事件や亀戸事件に似た事件が起き、極めつけに虎の門事件が起きてそれらの責任を政府に求める形で原内閣は倒閣することになる。


 この関東大震災と社会不安による内閣総辞職は史実でも起きたことだ。そして、その史実では震災後に超然主義内閣である貴族院、官僚勢力の清浦内閣が持ち上げられるが、この世界線では立憲護国党が持ち上げられて震災復興の政府主導と庶民の救済が訴えられることになる。


(……まぁ、史実通りに進めるか……不幸中の幸いで史実に比べれば少しばかり、国産品で賄うことが出来るから外債は減らせるかな……)


 未曽有の危機ということで福岡から引っ張り出された壱心はそんなことを考えながら復興を急がせる。それと同時に区画整理などの事業も手掛けていた。そして、その区画整理の中では新築の建物に関する情報も組み込まれている。それらを見ながら壱心は考えた。


(……これで、この国の建物にも耐震強度や火災に対する意識が芽生えるか。同時に耐震設計や火災報知器なんかのこの時代としては付加価値が高めの技術が売れるようになる。大工町たちの事業分野から刈り取り作業が捗るな……)


 口には出さずに香月組の収益について考える壱心。転んでもただでは起きない。震災を糧に新たな対策と今後の発展を生み出していく。

 しかし、それらは一段落ついてからのこと。差し当たっては現状把握と現状からもたらされる問題の解決に向けて対応していかなければならない。


「一番の問題は金融不安だな……」

「ここに来て金融制度の脆弱性が明るみに出て来ましたね……」


 桜の言葉に頷く壱心。


「……その辺りはあんまり手を出してこなかったからな……育てるべき業界だとは分かっていたが専門外で育てられなかった……」


 主に製造業を中心として発展してきた香月組の思わぬ弱点だった。勿論、香月組にもメインバンクはある。だがそれは壱心が利三と共に作った銀行であり、一般的に機関銀行と呼ばれる特定企業との結びつきが非常に強い、限られた銀行だ。

 つまり、香月組以外との取引を基本的には行っていない閉じた銀行である。それでも膨大な利益が生み出されていたので特に問題があるとは思っていなかった。


 しかし、その閉じた界隈においては問題なくとも日本全体における成功モデルとしてはよくなかった。


 銀行が偏った貸出を行えば当然、その重点的な貸出先の経営が悪化した際に銀行に直接的な被害が生じることになる。そんな構造で金融システムが健全に成立することは難しく、金融不安と隣り合わせになってしまう。香月組のように巨大で常に成長先を見つけている異質な産業組合であればまだしも、普通の企業相手に同様のことを行えば金融不安は避けられない。


 その問題が噴出したのが今回の関東大震災だ。壱心の指示により史実通りの対応を行った立憲護国党率いる政府は銀行を守るために直ちに手形の決済、預金の払い戻しなどを一時的に猶予する金融モラトリアム令を出した。それに続いて、日銀が震災手形を出すことにより、決済困難な手形に流動性を付与することで経済活動の停滞を防ぐ。


 ここまでは比較的正しい対処だった。しかし、史実ではこのモラトリアムの中に震災とはあまり関係のない不良債権が混ぜ込まれていた。特に、第一次世界大戦後の不況で生じた投機の失敗などが多い。史実に比べて小さい不況となった大戦不況でも大きな財閥が取りこぼした利益を狙って失敗した者達は多いのだ。彼らが織り込んだ不良債権は回収の目途はたたず、財界の癌として残り続けることになる。

 それらを突っぱねたいところなのだが、それをやってしまえば機関銀行に対する負担が大きくなってしまう。そこから取り付け騒ぎなどが起きてしまえば金融恐慌が起こる可能性にまで至ってしまうのだ。


(……不良債権の見分け方なんかをもう少し教えておくべきだったか……? いや未来を知っているとはいえ門外漢の俺が如何こう出来る問題ではなかったはず。今回の一件は正に天災だ。仕方のないことだと割り切るしかないか……)


 色々と考える壱心だが、結論は仕方のないというものになってしまう。製造業についてはある程度というには少々詳しく知識のある壱心だが、金融システムについてはそこまでの知識がない。知識があるのであれば釜惣の銀行設立の際に介入している。問題の先送りという対処法はまだしばらく続きそうだった。


「さて、思考に耽られるのはいいのですが……目下、この状況をどうなさるおつもりでしょうか?」

「どの状況だ? 心当たりが多すぎて見当がつかない」


 桜の問いかけにどうにかすべき現状が多すぎると苦笑いしつつ返す壱心。そんな彼に桜はどこからか用意した小さな黒板に幾つかの図を書き込んでその内の一つを示しながら告げた。


「まずはこの震災による不況です。消費者心理は低迷しておりますが……」

「こればっかりは消費者に委ねられてるからな……俺が出来るのはさっきもあったモラトリアムの発令を始めとした金融緩和政策、そして個人としては震災復興応援と題目を並べて商品を安く供給すること位か」


 黒板に書き入れていく桜。続いて、二つ目の図を示しながら問いかける。


「次に復興についてですが……」

「これも同じようなものだ。政府主導で再区画を進めつつ民間として香月組の協力を惜しまない形で進める。まぁ、便乗して土地の買収を行ったり、再開発なんかも視野に入れておく感じでな」


 桜は壱心の発言の内、土地の買収などの部分を削除したり説明部分を付け足したりしながらメモをまとめる。

 この辺りで壱心はこれを対外的な何かの資料に使うつもりだなと判断して言葉を選ぶようにした。


「復興に際して、公共交通機関が寸断されたことを受けて自動車の需要が高まっているようですが……」

「分かってる。増産を続ける予定だ。雇用対策にもつながるしな」


 数々の政策を打ち出していく壱心。図らずしもそれは史実で後藤新平が構想こそ考えつつも政党間の政争や資金難、そして土地の所有者による抵抗で適わなかった都市構想だった。

 だが、壱心率いる立憲護国党には政争を治める力があり、史実に比べて強い経済に裏打ちされた税収は史実に比べて格段に上。更に壱心は東京が江戸から変わったばかりの頃……武家屋敷跡が茶畑や桑畑として利用されようとしていた頃に開発協力という名目で多くの土地を文字通り青田買いした大地主だ。そして史実に比べて自動車が普及していることから道路の開発にも理解が得られる。

 つまり、壱心には自分が持つ構想に近い形で都市開発を進めていくことが出来るだけの力と算段があった。


「まぁ、この辺りは基本的に理想になるがな……首都圏は、まず間違いなく広がるぞ。協力は頼んだ」

「お任せください」


 頼もしい腹心の言葉を受けてまたしばらくは東京暮らしになるだろうと思いながら壱心は立憲護国党を始めとした香月組に指示を下すのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る