再会と災害
「壱心様、お久し振りでございます……!」
「亜美! 出迎えありがとう」
列車に揺られた後、車で移動すること長らく。壱心らは夜になってようやく目的地に辿りつくことが出来た。昼夜の寒暖差が激しい満州にて一行はすぐに建物内に入り、再会を祝した。
「……亜美さん、変わらないですね」
「リリィこそ。元気そうで何よりです」
外見こそまだ二、三十代といったところの二人と外見では四十代に差し掛かろうとしている壱心。しかし、その内実は老齢と言っても差し支えない三人は建物内を移動しながらこの場にいる護衛や石橋などに聞かれてもいい範囲の世間話をする。
「全く、本当に久しぶりになってしまった。今の上層は頭の固い連中ばかりでな。もう少し自由にやらせてもらいたいものだ」
「……今のと言いますが、昔から自由にやろうとしては抑えられてましたよね」
「まぁ……そうだな」
「ふふっ……」
そんな笑い話をしながら一先ず来客対応用の広間に通される壱心。勧められるがままに席に着くとそこには瓶詰にされた黒い液体があった。それを片手に取り、しげしげと眺める壱心。
「これが、満州油田の石油か?」
「はい、そうです。非常に重く、硫黄分が多い上に常温で固まるという性質を持つ質の悪い原油で製油するのに苦労しました……ですが、今では問題なく」
「そうか……流石だな。なら、もうそろそろ戻って来れるのか?」
既に予定よりも時間がかかっている満州油田の開発。壱心としては亜美に早く戻って来てほしいのだが、そんな希望を込めて亜美に問いかけると彼女は少し難しい顔をしながら答えた。
「もう少しかかりますかね……製造知識や設備の知識だけでしたらもう問題ないのですが総監督をするのには油谷さんでももう少し時間がかかりそうです」
「……樺太油田で学んだことは活かせてないのか?」
「主に働く層が違うので……それに、石油は生き物ですからその辺りの違いを理解させるのだけでも苦労したんです」
オハ、カタングリ周辺の北樺太の石油開発には日本人技師、日本人労働者が殆どだったが、ここ、満州の土地では様々な兼ね合いからそうもいかなかった。技術者こそ日本人だが、実労働者には中国人をある程度雇うことを北京政府より注文されていたのだ。外国のために働かされるという低いモチベーションや言語、習慣の壁などが立ちふさがる中で油谷は色々と努力しなければならない点が多くあった。それは幾ら優秀な香月組の中でトップ層を張れる人材であってもそう容易くは突破できないものだった。
「ふむ……まぁ、仕方ないか……残念だが」
「そうですね。私としても早く壱心様のところに戻りたいのですが」
澄ました顔で惚気る亜美。この場に居合わせている石橋らは少し席を外した方がいいのではないかと思った。しかし、その後は普通の実務の話に戻り、一行は安心して応接室で話し合いをすることになる。
ただ、それもしばらくの間の事。既に日は完全に沈んでいる時分。長旅の後、ということもあり話の多くは明日に回すことにしてその日を終えることになる。
そして寝室にてリリアン、壱心、亜美が同室にいる中。リリアンが少しお花を摘みに出た時に亜美が口を開く。
「壱心様、今回は来ていただきありがとうございました。ただ、関東はよかったのでしょうか?」
亜美が何を言いたいのか壱心にはすぐに分かった。彼は少し考える素振りを見せると素直に口を割った。
「……まぁ、もうそろそろ俺がいなくとも何とかしないといけない頃だろ。もう、俺もそこまで永い命じゃない」
「そんな悲しいことを……」
「事実だ」
断言する壱心。雷雲仙人の薬の効き目が薄れて来始めているのが自分でもわかるのだ。亜美にもそれは分かっていた。いずれ訪れる死からは逃れようもない。
「……俺が作れるのは下地までだ。そこからどうやって動いていくかはもう、他人頼みになる。その頼みになる人たちの動きがどうなるのか……今回の一件で見せてもらおうと思ってな」
「そう、ですか……」
壱心も十分に長生きした。第二次世界大戦を迎えるまでにはもう寿命が来ていることだろう。出発前に桜とはそんな話をしていた。
「……俺が死んだ後、桜の話では恐らく、亜美……お前と桜だけがしばらく元気で生きていると言っていた」
「……はい」
雷雲仙人の妙薬を二度飲んだ亜美、そしてもとより人外だった桜。その二人だけがもう少し生きていくことになる。その未来は容易に想像できた。壱心は亜美の目を見て静かに頼む。
「……頼んだぞ」
リリアンが戻って来る足音がする。会話はそこで打ち切られた。微妙に暗い空気を察したリリアンが明るく振る舞うことでこの場は持ち直し、三人は壱心を真ん中にして川の字で眠ることになる。
そして夜が明けた。
翌朝。壱心らは施設内で主に石橋に分かるようにここで用いられている石油事業の技術や重要性についての話し合い、そして施設の案内を行う。
「……勿論、これから石油の時代になるからといって石炭が使われなくなる訳ではないです。大事なのは使い分けなので……ただ、石油には多くの可能性が秘められており、その副生物共々これからの時代の要となることは間違いないでしょう」
「なるほど……」
「さて、今ので石油事業の将来の話が終わりになります。後で理解しているか報告書をまとめてもらいますので分からないことがあれば今の内に質問してください」
「では、早速……」
勤勉な石橋を横目に見つつ壱心は日本時間を知らせる自らの腕時計を見る。時刻はそろそろ十二時に差し掛かろうとしていた。
(……今、地震が起きたな。向こうは大丈夫だろうか……)
日本海の向こうに思いを馳せる壱心。その向こう側では現在、大混乱が発生していた。
『香月閣下は御在宅か! 東京で大地震だ!』
「壱心様は現在、満州に出かけております。家にはいません」
『なんと! この一大事になんてことだ!』
(あなた方が仕組んだことでしょうに。困った時はすぐこちらを頼みにするというのは悪い癖ですね……)
海の向こう。福岡にある壱心の本宅では桜が無線に応対していた。混乱している様子が無線越しにも伝わって来るが、桜は落ち着いたものだ。
「大災害で焦るのは分かりますが政府が落ち着いていなければ人心は更に惑うことになります。二次災害の被害を最小限に食い止めるためにラジオでの放送を」
『二次災害? 我々は具体的にどうすればいい。曲がり何も神算鬼謀の代理をしているのなら何か案があるのだろう?』
「……時間が時間です。昼食のために使用していた火が今後、火災に発展する可能性が非常に高いです。それから、災害によって不安になった民衆の心の隙間に入り込み自らの欲求を満たそうとする流言飛語などへの対策が必要になって来ます」
そう言いながら全てこちらから指示をしてしまえば壱心がこの国を離れた理由の一端である自分たちがいなくなった後の問題が発生してしまうと頭を悩ませる桜。
(……頭では分かっているのですが、ここまで作り上げて来たこの国の危機に何もしないという選択はあまりに難しいものですね……これが、人の世の中で長く暮らしてきた弊害ですか……)
過去の合理的に判断出来ていた頃の自分を羨ましく思いながら求められるがままに口を滑らせてしまう桜。しかし、ある程度話をしたところで向こうが勝手に納得して通話を切った。
「……今回の災害は未曽有の災害です。今後の手本となるべき動きを理解するために多少、手を貸してしまっても仕方がないことだと思います。ですよね、宇美さん」
「えー……? ここまで教えてしまったら壱心様を遠ざけようとした人たちに甘々すぎると思いますよ~?」
「……やっぱり、そう思いますか?」
「うん」
宇美から指摘を受けて反省する桜。しかし、やってしまったものは仕方がない。桜は壱心が戻って来た時に謝ることにして今回の結果を待つことにするのだった。
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