魔女の功績

 1920年。日本は国際連盟に常任理事国として加盟した。だが、壱心はそんなことよりも重大なことを決定する。


「満州、掘るぞ」

「……よろしいのですか?」

「大きなリスクを背負うのは分かっている。だが、皇国の発展のためだ。石油を手に入れる」


 1920年夏。ボルシェビキがバクー油田の獲得に、そして中華民国が自国内の覇権を巡って忙しくしている中、壱心は満州にある油田の開発を亜美に命じた。

 史実に置いては1920年時点では1万台程度である国内自動車数がこの世界線では既に10万台を突破しており、これからの販売予測でも爆発的に増える見込みがあることから民需に応える必要があった上、様々な分野での石炭から石油へのエネルギー革命が必要であると判断されたからである。

 また、シベリア出兵においてアメリカが朝鮮半島の防衛に対してきちんと意識を向けていることが確認されたこと。そして、ボルシェビキが日本との緩衝国として極東共和国を設置したことなどを理由に壱心は防衛についての懸念を少しだけ払拭して今回の行動に出た。その他にも満州油田を掘ることで期待していることは多々あるが、何より大きい理由として、これまでの方針だけでは彼の仙人の予言を覆すことが難しいだろうということが念頭に置かれている。


 それらを踏まえた上で壱心は亜美に今後の予定を再確認する。


「……で、だ。今の技術を以てして、満州の油田を掘るのにどれくらい時間がかかるか、そして石油を実際に使用できるまでどれくらい必要か。現時点の試算で構わないから聞かせてくれるか?」

「設備の導入をどれだけするかによって変わりますが……恐らく全力を以て当たり、全てが上手く行ったとして五年は最低限必要ですかね……」

「五年か……その内、お前はいつまで拘束される?」

「……どれだけ急いでやったとしても最初の二年は欲しいかと」


 壱心は息を吐いて瞑目した。


(幕末からあれだけ動いて来たが、結局は満蒙の地域に介入することになったか。だが、この決断に後悔はしない)


 目を開き、亜美の顔をしかと見つめる。そして、覚悟を決めたようだ。壱心は亜美に頭を下げて頼む。


「よろしく頼む」

「……畏まりました」


 恭しく礼をして拝命する亜美。やや間があって壱心が頭を上げると彼女は微笑んでいた。


「この国のため、そして壱心様のため、大任を果たします」

「頼んだぞ」


 こうして亜美は油谷と共にしばらく壱心の下を離れることになる。欲を言うのであれば山東省のドイツ権益を手に入れたことから山東省にある油田も欲しいところだったが、史実のワシントン条約での返還などの出来事を考えた上でそこまで望むと手に余るということで今回は満州油田のみの開発とした。


(……これで、多少は経済制裁に耐えられる。そして、日本も資源国だ……)


 亜美を満州に送る時は一度自分も訪れるつもりだ。そんなことを考えながら壱心は亜美が列島各地の島々を閉鎖都市にして手掛けた他の事業について見ていく。


 まずは空についての話だ。


(結果しか分からんが……空軍については史実で言うところの1940年代の航空戦力の開発が終了。量産前でストップがかかっている状態か……)


 福岡の北にある島々では史実で言うところの一式戦闘機「隼」や零式艦上戦闘機、通称「零戦」などと似通った戦闘機として「飛電」というネームで登録されている1920年の時点ではオーバーテクノロジーとしか見れない機体やそれに追随することが可能な高速爆撃機「流星」などが秘匿されていた。


(これは……時期を見て量産するか……)


 今の時点では試作機という名目で合計でそれらオーバーテクノロジー組三十六機が制作されており、厳重警備された小呂島などに待機しているとのことだった。また、見せかけの技術力として用いるには勿体ない程の列強最先端技術水準の機体の生産も行われていた。


 次は海の話だ。史実では1920年のこの年に八八艦隊案が国会を通過し、予算編成がされる。この世界線でも例によって軍拡は進められたが、壱心率いる軍部の一部から空軍の重要性を再三詰められた結果、航空母艦も積極的な建造対象となる。

 しかし、だからと言って他の艦船を減らす話にはならなかった。他国が持っている戦力に数の上で後れを取るというのは感情が許さなかったのだ。その上、幸か不幸か史実に比べて大きくなった日本経済の余力が航空母艦の建造分を補う程度にはあったことが軍拡を後押しすることになった。

 その結果、史実に比して各段に大規模な経済となった日本でも厳しい程の国家予算をつぎ込むことになった。この件に関して壱心は特に何も言わなかった。自身が前に出て軍拡を縮小し、財政に余裕を持たせてしまうと国民が多少の無茶を飲んでこの後に来るはずの軍縮ムードが来ない可能性があったこと。そして、軍部の過激派が壱心の発言を引き合いに出して壱心の発言以上に軍縮が出来る第一次世界大戦後の世界的な軍縮ムードに逆らう可能性があったことを考慮したためだ。


(海に関しては現在の計画よりもこの後の条約でどうなるかが焦点だな。一応、色々と改革はしているが……船自体よりも中身の充実に忙しい。魚雷や大砲はともかく、レーダーや通信機なんかは他の分野でも活躍をしてもらわないとな……)


 さて、空と海の次は陸の開発を担うものだ。その中でも今回は特に重機や特装車の類の話になる。

 以前より亜美はブルドーザーやクレーン車、ショベルカーなどを始めとする重機を次々と設計し、大工町に作成を丸投げしていた。過去から現在進行形で本土で活躍しているそれらは満州の土地でも大活躍することになるだろう。


無限軌道キャタピラの導入とか、色々あったなぁ……)


 未来の知識を持ち、役に立つとは分かっている自分でもキャタピラについて上手く説明出来なかったところを亜美は設計から生産までやり遂げ、国内随所に配備されるように立ち回った。おかげでそれらは現在全国で稼働している。特に、東京-福岡間に線路を敷設する際には非常に役立った。現場を見に行った際の、もう懐かしくなりつつある記憶を辿り、壱心は息をつく。


「構想はあっても詳しいことは分からなかったからな……」


 亜美の設計と技術もそうだが、その設計図に基づいたスペックを満たす物質を作り上げた大工町はよくやってくれたものだと思いながら壱心の思考は次に流れる。


(重機の他にも車を大量生産出来て流通させ始めたのは大きい。車の操縦スキルがあれば軍の機械化もハードルが下がる。対ソ連を想定した駆逐戦車や重戦車に対中を意識した軽戦車の類……その他にも揃えられた。後は戦闘教義ドクトリンと実戦形式の演習だな……)


 国内の白兵主義者は日露戦争の影響で激減した。だが、それだけでは第一次世界大戦という塹壕戦や戦車、航空機を用いた戦いを経験した西欧諸国に比して不十分であることは理解している。


(理解していても足りないというのが現状なんだが……)


 現地観戦しても実際に戦ったわけではない。肌で体験していないことであるため、理解が及んでいないのも仕方がないと言えば仕方がないところではあるが、分かってもらわなければ有事の際に行動できない。


(有事がなければこの備えも要らないんだが……まぁ、日本が外交的努力を続けたとしてもその最終局面に必要になるのは間違いないよな……)


 戦争は避けたい。だが、周囲に大国があり日本が過去に戦争に勝利して無理矢理安全と権益を手にしている現状を維持するためには軍事力の意地が必要だ。軍事力は放っておけば逓減するばかり。開発を行い続けていく必要がある。


 だが、軍事力というハードパワーにのみ頼っていては壱心がこの時代に来た意味がない。ソフトパワー……経済力の成長も必要になるのを忘れてはいけない。その両輪があってこそ国家という車は真っすぐ前に進めるのだ。


 その経済力の話についてだが、基本的には順調に進んでいる。人口は日本本土で約7500万人を超え、史実のこの時代と比べて約2000万人多いという数字を叩き出している。これにより、あらゆる面において国内需要は高まっており経済の成長も早まっていた。


 まず、農業については明治初期の時分よりこつこつと品種改良を行ってきた成果が出ている。それに加え、耕耘機の普及とハーバーボッシュ法並びにオストワルト法により生み出された化学肥料により、既に戦後水準の農業効率を示している。

 ただ、それはある程度の富農と呼ばれる水準以上の者たちであり、国内にはまだ貧しい小作人たちが数多くいることを忘れてはならなかった。


 次に繊維工業。こちらは史実と同じく製糸業では世界一位。紡績業でも世界大戦の中で更なる成長を遂げることになる。これらの過剰在庫によって戦後恐慌が起きることになるのだが、壱心は早期にソフトランディング出来るように利三に情報を流しており、それが財閥に流れることによって史実に比すれば落ち込みを避けることが出来たと言える。


 続いて鉄鋼業についてだ。これは壱心ら香月組の肝入り事業であり、諸外国の中でも安く、そして大量に製鉄することが可能になっていた。

 その上、クロムやニッケル、モリブデンやマンガンなど様々な特殊鋼を量産することが出来る態勢が整っていた。勿論、世界大戦で注文が入っているが日本からの輸出は基本的には普通の鉄。もしくは特殊鋼の内、ニッケルクロム鋼のみの出荷となっている。また、当然のことながら高値で売りつけていた。


(まぁ、今の内に格安で輸入しておくか……まだ、研究段階に近い段階だから鳥取と北海道から採掘される量で十分だが、量産段階に入ると特殊鋼の製造は海外輸入出来る前提での話になるな……)


 それでも、努力してきた甲斐があったと壱心は満足げに頷く。この製鉄に関しては欧米の注文後も大量生産して国内需要に応えていた。


 その他にも様々な分野において多くの活動を行い、国内改革に勤しんでいた亜美率いる香月組技術部門。彼らが亜美抜きでも地道に技術発展させることを祈念しつつ壱心は亜美を満州に送るために色々と準備を整える。


 ただ、そんな中で壱心の下に訃報が届く。手紙を持って来たのは咲夜だった。


「壱心様。安川様がスペイン風邪のためご逝去なさったようです」

「安川が! ……そうか……」


 国内にも猛威を振るっているスペイン風邪の犠牲者が壱心の身内にもまた一人、出てしまった。安川新兵衛。壱心がこの世界で目覚めた時からの付き合いだ。様々な分野で活躍した彼が、逝ってしまった。スペイン風邪によって亡くなった香月組とそれに類する人材としては古賀に続いて二人目だった。


「……そう、か。安川も……か。古賀といい、スペイン風邪に罹ってからは会うことも出来なかったな……」


 旧友と信頼できる部下を亡くしてショックを受ける壱心。彼は大きな溜息をついた後に弱音を溢した。


「……俺ももう長くないかもしれんなぁ」

「そのようなことを仰られては困ります」

「いや……まぁ、そうか……ただ、少しの間一人にさせてくれ。少しでいい」


 動揺する壱心を慮って退出する咲夜。しばらくの間、壱心の執務室には誰も近付くことはなく、壱心は沈痛な気分に浸るのだった。

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