シベリア出兵
19世紀の間ユーラシア大陸北部で覇権を握っていた大国、帝政ロシア。その大国は1917年に世界大戦での対独戦においての大敗北を皮切りに度重なる敗戦に伴う莫大な戦費に耐えかねた国民の革命によって倒れることになる。
ロシア全土に広がった革命運動だが、社会主義の勢いに列強も注目。より詳しく彼らの視線について言うのであれば帝国に貸し付けていた外債とロシア帝国に進出していた外資系企業の保護が可能かという点に着目して革命軍を脅威と認識。
また、世界大戦中に協商国の一員であるロシアに抜けられ、少し余裕の生まれたドイツの猛攻に晒された英仏両国の支援を行うという名目の下、列強各国はチェコ=スロヴァキアの第一軍団の救出を建前としてロシア革命の介入を実行。日米英加伊を中心としてロシアへ出兵を行った。
さて、当然のことながらドイツに押されている英仏軍、それから世界大戦に参加しているイタリアには大軍を送ることは不可能だ。当時のカナダもイギリスの自治領としての面が大きいため、イギリスの支援のために第一次世界大戦から手が離せない状態。こうなると公然と動くことが可能なのは日米となる。
史実では1918年の夏にアメリカ主導で日米が各々約8000の兵を率いてシベリアより出兵することになっていたが、日本は独自に主体的な動きをすべきであるとして兵力7万3000を動員することになる。この大軍が明確な目的と落着地点を持たずに戦い続け、失敗するのがシベリア出兵の主な概要である。
さて、本世界線ではどうなるか。
まず、第一次世界大戦については史実と同じ進み方をしており、日米以外のシベリア出兵については史実通りとなっていた。
だが、日米については少々勝手が違う。
アメリカは朝鮮に特殊権益を手にしていることから史実よりもボルシェビキ(ソ連共産党の前身)への警戒心を強めており、派兵を1万人に増員。それに対して日本は対米協定の慎重論に基づき、アメリカと同数の1万人を動員することに決定した。
この際、史実では富山を発端として米騒動が起きるが、この世界線においては地方では散発的に見られたが全国には広がらなかった。理由は動員兵数が史実と比肩して非常に少ないこと、そして史実で公布された暴利取締令より強い暴利禁止令として米の買い占め売り惜しみを禁止した法令の存在も挙げられるが、何よりも壱心らの国内改革により国内に余裕と余剰米があったことが挙げられるだろう。
それはさておき、朝鮮経由でウラジオストクに派兵したアメリカ軍と福岡経由でウラジオストクに派兵した日本軍だが、10月に入りオーストリア、ドイツが敗色濃厚になるとチェコ=スロヴァキア軍は割と素直に東への撤兵を開始する。そして11月に入ってドイツ革命が起き、第一次世界大戦は停戦。これによって列強諸国は出兵の大義名分を失った。その後、フランスの思惑によってチェコ=スロヴァキア軍は約1年ほどロシアに駐在し続けることになるが、日本はその前に撤兵。1919年の春には歴史の修正力とでも呼ぶべき朝鮮での独立運動が発生したことを理由に日本軍は朝鮮に向かい、一万の軍を費やす程の大きな運動ではないことを確認した後、この頃制定された関東軍に編入されたり本土に戻ることになる。
これが本世界線におけるシベリア出兵である。パルチザンとの戦闘や尼港事件といった出来事のない世界線だった。
「……思ってたよりも簡素に済んだな……」
成り行きを見守っていた壱心はそう呟いた。その呟きをパリ講和会議で締結されたヴェルサイユ条約を国内向けに分かりやすくまとめていた桜が拾う。
「やはり、結局は無駄骨となりましたね……これを失策と捉えた人たちの手で寺内内閣が倒れましたが……」
「まぁ、国際協調を表明するいい機会だったし、個人的にはマズい対応ではないと思うがな……寺内君は気の毒だったが、どうせ体調不良だったし原君の方に任せてしまおう」
酷く簡単にそう告げる壱心。誰が内閣を運営しようがやることさえやってくれれば元老である壱心は別に文句はなかった。香月組を中心とする立憲護国党の面々の中でも壱心が直接話をするレベルの者たちにもその精神は受け継がれている。
その一例として立憲護国党は与党や連立から外れても閣僚のイメージダウンのために彼らの些細な失言などをしつこく追及するようなことはせず、軽く窘めこそはするものの国益となる物に対して建設的な議論を優先するのが常だ。
尤も、相手の人気を下げる工作などの大衆向けアピールをしないのは立憲護国党が勝手にやっていることであるため、立憲護国党に対してそれらのイメージ低下工作は行われる。国会中継もないこの時代、立憲護国党は何をやっているのか分かり辛く、国民人気は立憲政友会などに比べてやや劣っていた。
だが、党全体の人気が一番人気の政党に比べてやや劣る。それだけだ。壱心の名の下に立憲護国党はかなりの国民人気を持って基本的には独立した派閥として政治活動が出来ていた。
そんな立憲護国党の弱点は政界進出には香月組内部から思想面や裏取りなどで様々な制約を課せられており、壱心ら中枢部が動員することを決めなければ多人数は確保しきれないということぐらいだろうか。
それは兎も角として話をシベリア出兵と第一次世界大戦の総まとめに戻す。
「さて、国際協調という点ではまぁいい結果に終わったとみていいだろう。領土も増えたことだ。大変結構」
「そうですね……」
「問題はこの大戦と出兵で得た教訓を後に活かせるかどうかということだな……」
空軍の有効性については空軍の設立が認められたことで問題はないだろう。海軍については通商破壊の効果について。そして陸軍については機械化、装甲化の進展を念を押して進めていくことにしてある。ひとまず現在はそれが通ったが、問題はそれが継続するかどうかということだ。
(空と海はアメリカに、陸ではソ連との戦いの時に酷い目にあわされてるからな……
「……この大戦の結果、ボルシェビキは機械化、装甲化を進めることになる。満州
周辺の国境に注意が必要になるな……史実では来年からボルシェビキ政権はシベリア出兵に対して極東に日本との緩衝国として極東共和国を作るんだが、その動きがどうなるかも見たいところになる。ボルシェビキが日本をどう見ているのか……」
「ソビエト出兵が史実に比して少ないことを踏まえ、警戒が薄れるのか。それとも日露戦争で史実以上の戦果を挙げたことで警戒が強まるのか。ということですね」
「そうだな……個人的には極東共和国が成立してしばらく続くといいんだが……」
史実で1920年から二年ほど成立した緩衝国のことについて言及する壱心。そして彼はふと1920年に発足する組織にまで思考を飛ばす。
(1920年には国際連盟が出来る。ここを上手く利用しつつ、出来ない分を日英同盟のような二国間協定で補う……問題は、その後の動きだ。大国になっている以上、一挙手一投足に気をつけねばならんのだが……)
かつての盟友たちの遺志を継ぐ現在の首脳部はそれを分かっているのだろうかという疑念に駆られる壱心。余計なお世話だとか老害だとか言われるかもしれないが心配なものは心配だった。
(……まぁ、そのかつての盟友たちも政権争いで脱落したり対立してたりするから多少はいいか……有事の時に一致団結してくれれば……)
壱心がそんなことを考えているとどこか遠いことを考えているなと見透かした桜から忠言が飛んでくる。
「壱心様、未来のことを考えられるのはいいですが地に足をつけてからお考えになられるとよろしいかと」
「あ、あぁ……何だ急に。厳しいな」
「……近頃、考えが飛び飛びになっているので注意した方がいいですよ」
「年かな……」
加齢を言い訳にすると桜は静かに告げる。
「まだわずかですが薬の効果は残っております。周囲が従順で、話が飛んでも何とか自分なりに理解しようと努めていることに胡坐をかいていては誰もついて来なくなりますよ」
「わ、わかってる……」
身内からの指摘に珍しく少し狼狽える壱心。しかし、この後会合の舞台に立つとそんな様子など一切見せずに堂々たる態度で日本をよりよくする為の統治について話をするのだった。
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