帝政ロシア崩壊

「壱心様、帝都より使いの者が来ております」

「……ま、来るだろうな。通してやれ」

「畏まりました」


 1917年3月。世界に大きな影響を与える国家が誕生しようとしていた。それを理解している上で壱心は東京ではなく福岡の自宅で執務を執り行っていた。彼が行っていたのは史実で言うところの対華二十一条要求にあたる対華十五条の要求の後、米国が日本の中華民国に対する特殊権益を認める、いわゆる石井・ランシング協定の確認だ。


 因みに、この世界線では西原借款は行われない模様だ。史実では段祺瑞に貸しても返って来なかった借款である。そんな金があれば国内に回す。それが壱心の取ったルートだった。


 それは兎も角、執務を中断した壱心の下に青年士官が走ることこそないが極めて急ぎ足でやって来た。そして彼は敬礼すると辞儀合いを省略して用件を告げる。


「か、閣下! ろ、ロシアが……ロシアが革命で崩壊いたしました……」

「そうだな。そのように聞いている」


 落ち着きのない様子の青年士官。壱心とは初対面になるだろう。そんな彼に壱心は落ち着き払って尋ねる。


「それで、俺に帝都に戻れと要請か?」

「そ、その通りでございます。よろしくお願いいたします」

「……まぁ、そうだな。行くとするか」


 まるで散歩をするかのようにそう告げる壱心。それを聞いて青年士官は安心したように息を吐いて深々と頭を下げる。


「よろしくお願いいたします」

「あぁ。用件は以上か?」

「……そう、ですね……」


 何やら含むところはあるようだが気にしないことにして現地に向かうことにした壱心。しかし、急に今日の予定を取りやめる訳にも行かないので向かうのは明日にしておく。


 青年士官を送り返した後、壱心は咲夜と二人きりになる。そこに電報が届いた。


「壱心様、電報です」

「……『ロシア オツ テイト モドラレタシ』か」


 電報を読み上げると彼はそれをすぐに破棄する。そして咲夜に桜を呼んで来るように告げて自身は椅子に深く座り込んだ。


(さて、どう出たものか。こちらから口出しすることと言えばシベリア出兵くらいのことか? 恐らく今後も協議を続けたいだろうから帝都に滞在するように勧めて来るだろうが……幾ら道路や鉄道の整備が進んだとはいえ、毎回毎回移動していたら面倒だ。しばらく帝都で活動するか……)


 史実と比肩して飛躍的に成長している国内インフラ。福岡と東京を結ぶ線では既に複線で線路が敷いてあり、電車が運行している。それでも活動拠点移動は面倒だなと思いつつ壱心は活動拠点を移すことを決めた。そして、敢えて綿密に予定を入れておかなかった今後の動きについて、活動拠点を移動したとした場合の活動内容を考えながら外を見ていると呼んでいた桜がやって来た。


「お呼びでしょうか?」

「あぁ、帝政ロシアが崩壊した。ボルシェビキの台頭が起きる。その対応についての会合があるから支度をして貰おうと思ってな」

「畏まりました」


 恭しく腰を折る桜。詳しい話は既にしてあるが鉄道での移動中に再び詳細を語ることにして壱心は桜を下がらせる。それと入れ替わりに戻って来た咲夜に壱心は尋ねてみた。


「帝政ロシアが崩壊したが、どう思う?」

「どう、とは?」

「率直な感想を聞きたい」

「……長年の工作がようやく実った、おめでとうございます。という感じですかね」


 咲夜の感想に壱心は少し笑った。別に彼女を馬鹿にしたものではなく、疲労感を滲ませるものだった。


「ふっ……その工作の結果が日本にとって本当に良いものかどうか……これからが本題になる」

「……? ロシアの脅威を日本から逸らすために行っていた工作なのでは?」


 咲夜の反応に壱心は曖昧な態度を取り、温くなったお茶で口を湿らせてから口を開いた。


「まぁ、あながち間違ってはいないが……個人的には仮想敵に明確な敵を作るのが目的だった。さて、これからボルシェビキに打倒された帝政ロシアの応援に向かうと言ったら君はどう思うかな?」

「戦力の分散としていいのではないかと思いますが」

「そうか。お前は納得してくれるんだな……全体がそうであれば楽なんだが」

「……私は咲様と違って考えるのがあまり得意ではないので旦那様が何を仰りたいのか少し分かりかねます」


 困ったようにそう告げる咲夜に壱心は手を振って否定する。


「いやいや、これに特に意味はない。誰がどう思うのか、率直に答えてくれればそれでいい」

「左様でございますか……?」

「あぁ。それに、君の優秀な頭脳には俺も助けられてる。そんなに自分を卑下する必要はない」

「ありがとうございます」


 素直に褒め言葉を受け取る辺りは咲と違うなと思いながら壱心は執務をまとめにかかる。この後、地元の名士たちと幾つか会合の予定があったが、執務を前倒しにして会合自体の時間を短縮することで対応することにする。


「……まだまだ忙しいな」

「それだけ旦那様が世に必要とされているということでございます」

「まぁ、これまでの改革が結実する時だ……これからこそが気を抜けない段階。気を入れてやらねばな……」


 対華二十一か条要求を対華十五条要求に変更したことにより日本の国際協力度は史実と比べて上昇している。また、第一次世界大戦についても結果としては史実と同じ戦果を挙げているが態度としては初動で消極的態度を示しており、領土的野心も少ないと思われている。そして現実に壱心が内政に特化することにより国内の目は国外ではなく、本土に向いている。


(……まぁ、これはこれで国際情勢に目を向けていないという欠点にも繋がるが、後進を大量に育てていくことが肝心だな……)


 壱心ありきで話を進めている立憲護国党について、少々思うところは出て来るが政界には石橋信康、広田弘毅という後進が、そして軍部には陸軍に永田鉄山、海軍に堀悌吉、空軍と呼ぶには規模が小さいが、空の部隊には香月鉄心を筆頭として後進が育ちつつあるのを見て勝手に満足する。

 この人選は壱心から見て思想に問題なく、彼らの人生が変われば日本がよりよくなるのではないかという目線が主となっている。ただ、問題もあった。


(……まだ若いんだよなぁ……全員、三十代そこそこだし。今はまだ俺が出張っているからいいとして……彼らにどれだけの数がついて来てくれることやら……)


 三十代に入ったばかりの時分に現在の総理大臣に当たる内務卿を務め上げた自分のことを棚に上げてそう宣う壱心。ただ、壱心の時とは時代も状況も違うためそう思うのも仕方のないことかもしれなかった。

 勿論、壱心の周りに人材がいない訳ではない。自分が直接息を掛けていないだけで自分と思想を同じくして身を粉にして働いてくれる者たちは多数いる。だが、一番数を増やしたい政治家だけは別だった。香月組から政治家を出すにはその環境が清過ぎて儲からないのだ。優秀な人材は香月組の、儲かる他の事業に流れていく。勿論、壱心の方から声掛けすれば該当者が拒否するということはまずないのだが、他人の本領を捻じ曲げてまで任命するよりも自分がやればいいという考えで動いてしまうため余程のことがない限りそこまではしない。

 尤も、口ではそう言いつつ時折、救貧院や薫風堂の優秀な人材を青田買いで国家公務員につぎ込んだりしているが。だが、彼ら香月派の議員や官僚、武官が増えても後継者と呼べるところまでは行けていなかった。


(……いっそのこと、あいつらに未来の知識を全て捻じ込んでしまおうか……いや、それは流石に気が狂ったかと思われるか……新たな情報が出て来るたびに少しずつ予想される未来を注ぎ足し注ぎ足しで教えながら対処するのを見せる。そうやって地道に育てるしかないよな……)


 仮に自らが居なくなったとしても香月組として現在の勢いを維持したまま第二次世界大戦に突入すれば自国を滅ぼす戦争には突入しないはずだ。そんなことを考えていると咲夜が声を掛けて来た。


「旦那様、そろそろ外出のお時間ですが……」

「あぁ、もうそんな時間か……車の手配をしてくれ」

「畏まりました」


 まだまだ不安が残る壱心だが、一先ずは会合に向けて思考を切り替えると同時に帝政ロシアの崩壊とそれに対して日本がどう動くかということについて考えを巡らせるのだった。





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