民主化対応
「亜美、久し振りだな」
「壱心様! えぇ、本当に久しぶりですね……」
樺太から東京に戻って来ていた亜美と再会した壱心は抱擁で彼女を出迎える。彼としては珍しいスキンシップだ。
「相変わらず元気そうで何よりだ……」
「再会を一日千秋の思いで待っていました……そちらもお変わりなく」
(……何だか妙に上機嫌ですね。久し振りの再会だからでしょうか?)
隣でそれを見ていた桜は静かに首を傾げていた。ただ、そんな妙なテンションもすぐに収まったようだ。壱心は咲夜に扉前の警護をするように伝えて二人と会談を始める。
「……さて、どちらから話すかな。亜美の方は順調か?」
「はい。オハ、カタングリを中心に現在の産油量が七万トンに達そうとしています。もう私が居なくとも20万トンまでは成長させることが出来るでしょう」
「そうか。ご苦労だった」
(いい歳してベタベタし過ぎではないですかね……?)
何だか通常の相手と話す時より随分近い距離で真面目な報告を行っている二人の姿を見て桜は内心で毒づく。外に聞こえないように声を落としているのは分かるがそこまで近づく必要があるのかは疑問だった。
自分も頑張っているというのにそんなにスキンシップがないことを妬んでいる訳では決してないとは本人の思うところだ。
だが、二人がいちゃいちゃしながら話をしているとしても話の中身自体は深刻なもの、重要なことばかりだ。決してふざけている暇はない。特に、この三人は壱心の正体を知る者だ。話はそう言った類の重要な話題になる。
「……それで、壱心様の方はいかがでしょうか」
「あぁ、状況は悪くない。しかし……豊かになったことで逆に本来の歴史との乖離が進んでいるな……」
日露戦争後に訪れるはずだった深刻な不況。それを菱刈金山の開発という明るい話で景気に対して好感触を与え、石油の開発事業や国内整備などの大規模な投資を行うことで現実に好景気を呼んでいる。
その上で現在の日本のボリューム層である農民たちに対しても北海道で開発したハーバーボッシュ法とオストワルト法に基づく合成肥料や新規開発した耕耘機などを使用させることによって日露戦争で失われた牛馬の分の作業効率を十二分に補填させ、景気の悪化を防いでいた。
それらの施策に加えて、史実では韓国に対して行われるはずの投資と軍拡費用の大部分を国内に向けていることで国民の生活は史実のこの時期の困窮した生活からは想像できない水準となっている。
これらが壱心の知る史実との乖離の原因となっていた。また、軍部大臣現役武官制がないことと元老の権勢が未だに強いことによって軍部の政界への影響力が薄くなっていることも現状に影響を色濃く残しているだろう。桜が呟く。
「乖離、ですか……」
「あぁ、こればかりはよくしていく以上避けられない話だが……本来、経済の低迷から来る政情不安から大正デモクラシーと呼ばれる民権運動が起きるはずだった。だが、経済が見かけ上は上手く行っていることで閥族打破と憲政擁護で起きるはずの護憲運動が史実よりはるかに小さくなっているんだ」
本来、日本中を巻き込んで起こるはずの大きな政変が樺太にいた亜美の耳に香月組のルートでこそ聞こえていたが、実生活では触れることがないというレベルの話にまで落ちていた。
「……それはいいこと……なんですかね?」
「微妙だな。今後が予想し辛くなる……が、元老としては動きやすい環境だな。俺としては色々と指示がしやすい。ただ、国民の質がどうなのかという点においては微妙なところだ……」
「扱いやすい方がいいんじゃないですか?」
「自立して考えられる人材が減れば国家として衰退を招くだけだ。一応、普通選挙を要求する声はあがってるからまだ捨てたもんじゃないとは思うが」
現在の日本ではある程度時間や生活に余裕が出てきたことで政治参加を期待する人々が増え、普通選挙を求める声は上がっている。これ自体は壱心としては歴史の流れ上、当然のことだと認識しており、いいことであると考えているのだが、これを認める壱心と他の元老たちとの間に若干の溝が生まれているのが若干のネックになっていた。時折、元老たちの間でも数々の施策と発明により国民人気が高い壱心は自分だけ盤石の態勢を築いている余裕があるため、普通選挙を認めているのだと僻みのような言葉が投げかけられているが、元老たち自身もその人気と施策に便乗しているという点もあり亀裂が入るところまでは行っていない。
「……普通選挙、ですか。導入されて大丈夫なんですか?」
「まぁ……大丈夫だろう。現職の衆議院議員たちが苦労するだけだ。貴族院や元老に影響はない」
「その衆議院議員の中でも壱心様の麾下に入っている者が多いからこそ今は自由に動けているのでは?」
「……寧ろ逆なんですよ。恐らく、普通選挙が導入されて増えると予想される投票層は大工場の工員や所謂富農と呼ばれる層になります。その両業界に壱心様は強い影響力を持っていらっしゃるので……」
桜の試算では寧ろ安泰ということになるらしい。壱心は遠い目をして呟いた。
「……本来はこういう普通選挙の時を見越して政界から離れて活動する予定だったんだが……大久保さんたちに怒られてなぁ……ずっと内部で改革する羽目に」
「まぁ、それでいい結果が出せているのですからいいじゃないですか」
「おかげで自由が縛られ続けていたがな……まぁ済んだことを言っても仕方ない。普通選挙については今は気運がそれほど高まっていないことに加えて現状では問題ないということで次に行こう。こっちは喫緊の問題だ。中華民国に対しての国交についてと第一次世界大戦についてだが……」
壱心は確認のため桜に目配せする。すると彼女は頷いた。
「中華民国の方は現状、袁世凱の手により国民党党首の宋教仁が暗殺されたところまで確認しております。この一連の事件により、袁世凱と孫文の衝突は避けられない見込みです。現に第二革命の実施を目論み、秘密裏に支援の要請が来ております」
「史実通り、というわけですね。ここからも史実通りに進める予定でよろしかったでしょうか?」
「そうだな。しばらくは様子見でいいだろう」
壱心は頷く。
革命による中華民国成立に伴う混乱。これが今、中国を襲っていた。権力の独占を図る袁世凱に対し、それを抑えるべく民主化を進めようとした宋教仁。軍配は袁世凱に上がり、民主化を進めようとした国民党は弾圧される。その国民党の中には当然、孫文らも含まれており彼らは袁世凱に抵抗するために第二革命を起こそうとしていた。
そしてそれを史実通りに進めるというのであれば第二革命は失敗に終わり、政争に敗れた孫文らは日本に亡命してくることになる。
中華民国にとっての不幸中の幸いか、その混乱の最中に第一次世界大戦が起こるという状況だ。列強がその混乱に乗じて大規模な動きを見せることはなかった。しかし、日本はそうはいかない。隣国である以上、中華民国の動きは中止する必要がある。ただ、日英同盟がある以上第一次世界大戦を無視するわけにもいかない。
そんな中で壱心は告げる。
「袁世凱が皇帝を名乗り国民から批判を浴びている内に色々と進めさせてもらおうこと。これが今からやるべきことだ。本来なら日本でも大正デモクラシーが起きて混乱するはずだったが、国内は安定してる。不況の波がそれ程でもない現状、不況の打破のためにすぐに動きたがる軍部もいない。第一次世界大戦の参加の方も俺の方でコントロール出来る」
「……問題ないように思われますが」
「そうだな……だが、言うは易く行うは難しだ。亜美、連日の開発で疲れているところ申し訳ないが……」
「いえ、問題ありません」
亜美は居住まいを正して壱心の目を見て言った。
「壱心様を支えること。これが私のやりたいこと、やるべきことですから」
「すまない……いや、ありがとうと言うべきか」
「……まぁ、それもそうですが。離れていた分……その……」
急に言葉を引っ掛からせる亜美。流石の壱心も言葉と彼女の態度で察した。
「あぁ、しばらくは行動を共にしよう」
(……いい年して、何ですかねこのお二人は。別に、いいんですが……)
真面目な話をしていたのに今度は普通にいちゃつき始めた二人を見て桜は白けた表情をするのだった。
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