一息
日露戦争が終了し、旅順に関東都督府、大連に南満州鉄道株式会社……通称満鉄を設立するなどして対外的にはその戦後処理に一区切りついた1906年のある日。
東京にある壱心の別荘では香月組に属している者、またはそれに関係する人たちや大戦の大功者の内、都合がつく者が集められ祝宴を開いていた。
「いや~ハッハッハ! まさか大戦で功を立てられた後すぐに金山を発見されるとはまさに天運! 香月様は持ってらっしゃいますなぁ! 羨ましい限りです!」
「持っているというのであればここにいる全員がそうだろう。あの大国ロシアとの激戦を勝利で終えることが出来たのはここにいる皆々のお蔭だ」
「ご謙遜ばかり!」
酒が進み上機嫌なのは現在、この国の総理大臣をしている福岡藩閥の熊谷だ。彼は飲んでいる場合ではないのだが、飲んでなければやってられないほど忙しいので身内での飲み会では特に誰かから文句を言われることもなく酒宴を楽しんでいる。
「それにしても香月様は本当に若々しい限りですなぁ……若さの秘訣は、西新研究所にあるんですか?」
「まぁ、そんなところだ」
適当なことを言ってはぐらかす壱心。この当時の年齢からすれば、孫を持っていて然るべき年齢なのだが、壱心の外見はまだ三十路に届かぬ程度だ。それなりに歳を取ってから生まれた鉄心に外見上ではそろそろ追いつかれようとしていた。
そんな壱心と鉄心を見比べて熊谷は上機嫌で笑っている。
「そういえば、香月様もそろそろ孫の顔を見たい時分では? 一仕事終えたところですし、鉄心くんももういい歳。縁談などは……」
「ウチは放任主義だ。本人に任せてある」
「そうですか、珍しい……その辺り、ちょっと鉄心くんがどう思ってるのか気になりますね」
「気になるなら聞いて来ればいい。俺の事は気にしないでいいぞ」
そう言われたからと言って簡単に離席できるような身分の相手ではない。熊谷はもうしばらく壱心の話し相手を独占した後にキリがいいところを見て移動した。
(ふん……鉄心が目当てなら最初からそちらに行けばいいものを……)
酒を呷りつつ内心で愚痴る壱心。そんな彼の下に続いてやってきたのは日露戦争において海軍総司令官を担い、日本海海戦にて東洋のネルソンと呼ばれるに至った有名人。東郷平八郎だった。
「……東郷君か。お疲れ様。先の大戦では大活躍だったな」
「閣下には及びません」
しばしの沈黙。かつて、戊辰戦争の宮古湾海戦における祝勝会の時に比べて随分と静かになっている東郷。壱心は何となく居心地が悪かった。
(何となく、じゃないよな……あの人たちのお蔭で全員の記憶が曖昧になっているとはいえ日本海海戦での彼の活躍の前に黄海海戦で色々と迷惑をかけたことは自覚してる……)
居心地の悪さの原因を自覚する壱心がそんなことを考えながら東郷を見ていると彼と視線があった。そして彼は口を開く。
「こうしていると、宮古湾海戦の後の祝勝会のことを思い出しますな。あの頃、私は若かった……」
「まぁ、そうだな……」
自分についてはあの時から見た目がそこまで変わっていないので何とも言えない壱心。中身も薬の影響かあまり成長というべきか、老化というべきかわからないが変わっていないので尚の事だ。
「あの時、土方さんがアボルタージュを仕掛けて来たのを事前に分かっていた閣下に質問し、自分で考えろと言われた時のこと……今でも覚えています。あの時、私は勝手に閣下を大きな目標だととらえていたのです」
「そうか」
この祝宴に参加し、人だかりの中にいる土方を見ながらそう告げる東郷。それに対し、壱心は。
(……そんな酷いこと言ったかな? 後、俺を目標にするとか何ともむず痒いことを……)
こんな感じだった。あの時はその場から離脱する事ばかり考えていたのだ。そんな壱心の内心を知らぬ東郷は続けて言った。
「閣下を目標にして間違いはなかった。これからもよろしくお願い致します」
「……東郷君の言葉、確かに受け取った……今後ともよろしく頼むよ」
自分を目標にするなんてもうやめた方がいいとは思ったが、それを目指して努力を重ねて来たらしい東郷の心情を慮ってそれは飲み込んでおく壱心。東郷は言いたいことは言えたのか、それとも壱心の下に次から次に来ようとしている人たちのことを慮ってかそれだけ告げるとまた別の者のところに移動した。
次に壱心のところを訪れたのは土方だった。
「さっき、こちらを見てた気がしましたが何か用でも?」
「あぁ、昔話を少し……」
どうやら東郷と一緒に土方を見ていた時の視線が気になってこちらに来たようだ。ただ、それは枕詞に過ぎず彼は壱心に酒を注いでから告げる。
「……こういう場を借りて何ですが、香月さんには感謝しておきたい」
「急にどうしたんですか」
壱心が土方の様子を見ると彼は大分、酒が進んでいるようだった。元来、酒にはそこまで強くない彼だが、ここまで痛飲しているのは珍しい。壱心が訝し気に土方に視線を向けると彼はどこか遠い目をしていた。
「俺の若い頃、香月さんとは何度も戦り合いましたなぁ……その時はこうして感謝することになるなんて思ってもいなかった」
「新撰組、蝦夷共和国に居た頃の話ですか……」
壱心はもう三十年以上昔のことを思い出しながらそう呟く。土方はそれに頷き、日本酒の入った切子のグラスを傾かせて当時を懐かしむように言った。
「あの時は負けっぱなしだったなぁ……悔しくて悔しくて、もう夢の中でもあの時はこうすればよかった、あぁすればよかった。そんなことを考えてたものです」
その話を聞いて壱心は何とも言えなくなる。自分が土方に勝てたのは歴史から彼の戦法を知っていたからこそである。つまり、ズルをしたからとも言えるだろう。
だが、そんなことを言う訳にもいかず、壱心は聞き役に徹する。
「そして迎えた箱館戦争……あの時、俺は死ぬつもりだったんですよ。例え死んだとしても死して護国の鬼となる。そんなつもりで戦い……そして、また負けた。あの時はもう死ぬ覚悟は出来てた」
「だが」と土方は続ける。
「生きる覚悟は、出来てなかった。皆が国のために散った中で自分だけが生き残るなんてことを選びたくなかった。今思えば、ただの我儘でした。あの時、古賀さんが言った言葉通りだった……」
「土方さん……」
そこで土方は手にあるグラスを少し傾け、そして口をつけた。いやに様になる動きだった。壱心が見ている前でそれを飲みほした土方は笑って告げる。
「いやいや、こんな話を聞かせようと思ってた訳じゃなかった。今回は、貴方に感謝の言葉を伝えようと思って来ただけでしたね」
「感謝の言葉ならこちらから言うべきです。此度の働き、本当に助かりました。土方さんの判断がなければ危うかった場面も幾つも」
壱心の言葉を遮って土方は言った。
「それでも、こちらから伝えさせて貰いたい。ありがとう。生きて護国を成し遂げられたこと、誇りに思います。そして、近藤さんたちが成し遂げたかった攘夷の思いを胸に戦い抜くことが出来て本当に満足しています」
土方は笑顔だった。しかし、その目の端に光るものがあったのを壱心は見逃さなかった。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「……えぇ、では」
そう言って壱心の下を去っていく土方。この老齢でよくもまぁ戦場の前線に出て戦ったものだと思う壱心。だが、彼の戦場での歴史もこれが最後なんだろうと漠然とした思いを抱く。
(次の大きな戦いは……約八年後。第一次世界大戦での青島の戦い、もしくは陸軍に関してはもう少し後のシベリア出兵辺りか……流石にその頃には引退か……いや、この時代だ。亡くなっていてもおかしくない……)
皆、歳を取ったものだと内心で独りごちる。壱心はかつての僚友たちが居なくなっていくのに対し、寂寥感を覚えながらまた酒を呷るのだった。
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