極東の魔女

 次に壱心が目を覚ました時、彼の頭は非常にクリアになっていた。


「お目覚めですか……お加減の方はよろしいですか?」


 目覚めた壱心の隣にいたのは金髪碧眼の美女、リリアンだ。その隣には桜もいたが、二人は揃って心配そうに壱心の顔を覗き込んでいた。そんな彼女たちの気遣う

声に簡潔に応じた後、壱心は静かに告げる。


「……雷雲仙人の霊薬だな」

「はい……」


 意識が飛ぶ前の状況を鑑みて自身に何が盛られたのかを確認する壱心。だが、薬を飲む前の自身の様子がおかしくなっていたことに今なら気付くことが出来る。


「随分と気をもませてしまった。すまない」

「いえ、差し出がましいことをしてしまったかもしれません。勝手に霊薬を使ったことも申し訳ありません」

「いや、俺が悪い。お前たちはよくやってくれた……さて、この様子だと各所に随分と迷惑をかけた気がするな」


 起き上がる壱心。そんな彼を二人は止める。だが、壱心は少し苦笑いながらそれを制した。


「大丈夫だ。無理はしない。心配ならついて来くるか?」

「はい」

「そうさせていただきます」


 布団から出て家の中を移動する壱心。するとやはり、家人にも気を遣わせていたようだった。そのことに壱心自ら触れ、もう大丈夫であることを告げると家人たちも安堵の声を漏らした。


「も~本当に心配したんですからねー!」

「悪かった」

「もー……よかったぁ。じゃあ、後は亜美さんだけですね」


 宇美にそう言われて壱心は身を強張らせる。脳裏に過ったのは自らを庇って怪我をした彼女の姿だ。


「亜美に何かあったのか……?」

「あれ……知らないんですか? おかしいですね。ちゃんと薬の使用許可を貰う時にお知らせしたはずですけど……」

「薬の許可? 雷雲仙人から渡された薬のことか?」


 壱心の許可が必要な薬となると仙人絡みのものになる。そう判断して問いかけた壱心だが、雷雲仙人による治療は済んだはず。そう思って壱心が宇美に尋ねると彼女は壱心が思っていなかった返事を返した。


「そうですよ。壱心様と同じお薬です」

「……亜美の精神に何かあった……いや、俺のせいか」


 すぐに何があったのかを思い出す壱心。それに伴い、薬の残数が1つになっていることも理解するが、それよりも大事な問題が目の前にある。


「亜美はどこに?」

「最近は大工町と一緒に黒総大か香椎研究所に籠り切りですねー」


 宇美が呼び捨てということは大工町の息子と一緒ということだろう。その辺りの事について、視野が狭くなっていた時の壱心はあまり関与していない。いや、許可を出してはいたと思うがよく覚えていないのだ。


「すぐに向かう。手配を」

「はーい!」


 壱心がいつもの調子を取り戻したのを見て自分も元気になる宇美。そんな彼女を見て壱心は環境にも恵まれているということを自覚しながら移動の支度を整えるのだった。




 黒田総合大学。


 史実では存在しない、壱心が建学した私立大学だ。医学、工学、理学、農学、商学、法学を主として学べる福岡最古の総合大学になる。また、この時代では珍しいまでに優秀な学生に対する補助金も用意されており、九州中……いや、中国地方に至るまでのエリートたちが集められる大学に成長していた。その中でも工学部は専門教育を受ける三年次以降、分校として博多の東北に位置する香椎に移動することになっていた。


 その香椎に壱心たちは移動している。


「これはこれは香月様。本日はどういったご用件でしょうか?」

「亜美に用があって来た。こちらにいるか?」

「そう、ですね……今は恐らくこちらにいらっしゃる時間かと」


 事務室で大学に入る手続きを済ませ、亜美が研究所ではなく大学の施設にいると聞いた壱心はすぐに移動を開始する。行き先は大工町の研究室だ。


「亜美さんも何だか鬼気迫る勢いでお仕事に熱中してますから大丈夫か気になってたんですよね~」

「……その件については俺も見直すことが必要だったから何とも言えんな」

「そうですね」


 美女に囲まれて移動する壱心は学内でも目立っていた。だが気にしても仕方のないことであるため人目を気にせずに移動する。学生たちに遠巻きに見られながら壱心が大工町の研究室に着くと入室の許可を求める。


「どうぞ……」


 ややあって弱々しい声が帰って来た。知らない声だ。だが、取り敢えず壱心はこの部屋に入室してみた。


 中では三人の学生と大工町が大慌てで何かをメモしたり物体を弄ったりしつつ、奥の方で亜美が何かを執筆していた。


「……これは?」

「かっ、香月様! これは失礼いたしました……! えぇと、亜美さんにご用件、ですよね?」

「そうだが……」


 状況を今一呑み込めない壱心だが、取り敢えず学生に恐縮されておく。学生はすぐに集中してこちらに気付いていなかった亜美に取り次いでくれた。


「……あ、壱心様。ご無沙汰しています」

「亜美、体調の方は大丈夫なのか?」

「壱心様の方こそ。お加減は如何ですか?」

「俺の事なら心配はいらない。だが、お前の方は……」


 目の下に隈を作って疲労を滲ませている亜美。彼女の前には空になった小さな瓶が幾つか置いてある。壱心の視線に気付いたのか、亜美は陰のある笑みを浮かべてドリンクを軽く持ち上げると答えた。


「八女茶から抽出したカフェインとアルギニンを抽出し、糖類と混ぜたドリンクがあるのでしばらくは持つと思います。大丈夫です」


 エナジードリンクだ。壱心から彼女に作り方を教えたことはないはず。壱心はすぐにそのことを理解して尋ねる。


「……その知識は誰から」

「弥子さんです。もう少し強力な……軍で使えるようなタイプもありますが、それはまた別の機会に取っておくつもりです」


 簡単に言われた言葉に壱心は驚く。だが、今は亜美の健康が気がかりだ。


「亜美、普通に休息を取った方がいい。俺が言えたことじゃないかもしれんが……」

「いえ、大丈夫です。過去に壱心様が書かれた基礎論文の内、ハーバーボッシュ法とオストワルト法……それに加えて二重促進鉄触媒を用いた工業化の論文をまとめ終われば一区切りですから」

「……亜美、お前その工業化の内容をすべて理解してるのか?」


 亜美の台詞に壱心は彼女を気遣いながらも恐る恐る問いかける。すると亜美は顔を上げて頷いた。


「はい。実際は三重促進鉄触媒まで理解していますが、そこまで進めるには色々とステップが必要でして……」


 亜美はそこで言葉を濁した。どうやらここの学生にはある程度の機密保持契約を結んでいるらしいとはいえあまり聞かせたくない話らしい。しかし、壱心にはそこまでの言葉でよくわかった。


「亜美……お前、もしかして弥子、いや弥子様から……」

「仙術と言う名の様々な学問の類……いえ、我々にとっては錬金術とも言える技術の粋。しかと受け継がさせて貰っております」

「ど、どこまで……? まさか、原子力についても……か……?」


 逸る気持ちと興奮を抑えながら仙人たちが見せていた技術の片鱗について尋ねる壱心。それに対して亜美は頷いた。


「流石にあの方々の様に完全な被曝耐性は得ていませんし、そもそも技術力に差がありすぎて模倣が困難なこともたくさんありますが……基礎的な内容でしたら」

「本当か……!」


 目を見開いて驚く壱心。人目がなければ亜美を胴上げしていたかもしれない。それほどまでに嬉しい誤算だった。その興奮が伝わっているのか亜美は続ける。


「ですが、原子力の前に合金の類を充実させるのが先決です。軟鉄と鋼鉄の使い分けが上手く行き、高圧高温設備を作れるようになったので一先ずは早急にアンモニア合成に取り掛かりますが、それが終われば次はまた鉄の再開発ですね。現状のままではまだ全然……」


 呟きながらまた自分の世界に入ろうとし始めてしまう亜美。そんな彼女に壱心は告げる。


「待て、一気に進め過ぎようとしなくてもいい。お前の身体が心配だ。ゆっくり、順を追って進めればいい」

「……ですが、ご迷惑をおかけした身として償いは出来る限り……」

「誰も迷惑だなんて思っていませんよ~。亜美さんのお蔭で壱心様は無事だったんですから……」


 これまで黙っていた宇美が口を挟む。それに皆が同意見だった。学生たちも心配そうに亜美を見ている。それらを見て亜美は少しだけ微笑む。


「……ありがとうございます」

「じゃあ、一度帰ろうか。君たちも無理をさせて悪かったね」

「いえいえ、とんでもありません!」

「寧ろもっと知識の泉に浸って勉強していたかったです!」


 立ち上がり敬礼を取る学生二人を後に壱心は研究室から出る。こういった学生がいるのであれば日本の未来もまだ安泰。そう思いながら壱心は亜美の手を引いて黒総大を後にするのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る