香月壱心

 壱心が気付くと彼は何もない部屋に立っていた。


「……ここは?」


 現実味のない空間。その中で壱心が声を発すと何もない空間に突如、扉が現れてそこからが出てきた。


「!?」

「ようやくお目覚めか。あんまり寝坊助だと皆が困るぞ」


 突然現れた自分自身の姿に驚きのあまり言葉を忘れる壱心だが、目の前の壱心はそうでもないらしい。微妙に呆れた表情をすると彼は話し始める。


「さて、あんまり時間をかけると皆が心配するから手早く済ませよう。――、今度はどうしてここに来た?」

「――?」


 日本語ではある発音。そして特段珍しくない人の名前。しかし、壱心にはそれが何故かどうしても理解できなかった。その様子を見て目の前の壱心は困ったように頭を掻く。


「あぁ、やっぱりダメか……あの方々もよくやるよ」

「あの方々? いや、待て。そんなことよりお前は……」


 壱心の問いかけに目の前の壱心は口の葉を吊り上げて答える。


「僕? 僕は……香月壱心。かつて黒田藩の馬廻組の香月家の長男として生まれ、そして……未来からやって来た魂にその身体を乗っ取られた男だよ」

「な、に……?」


 今度こそ絶句してしまう壱心。だが、目の前の壱心は半分笑いながら右手を横に振った。


「安心して。今更身体を取り返そうとかは考えてないから。寧ろ、このまま君に香月壱心を続けてもらおうと思ってる」


 それはどういうことか。壱心が問いかけるよりも前に何もない空間に映像が現れる。それはモノクロの映像だ。そして、そこに写る光景は壱心の知っている映像でもあった。


「これは……」

「知ってるだろう? 第二次世界大戦の空襲の様子だ。僕としてはこんな未来、受け入れたくないからね」

「……そう、か」


 目の前の壱心の言葉を受けて納得する壱心。しかし、彼はその戦争の惨禍を乗り越えた豊かな国になるのも知っている。その辺りのことについて、目の前の壱心がどう考えているのか。そう問いかける……よりも前に、今度は鮮明なカラーでの映像が何もない空間に呼び出されていた。


 そして、そのカラー映像に映っていたのは壱心の知っている範囲における最先端の技術が詰め込まれた武器や兵器でのジェノサイドの光景だった。


「な、なんだこれは……」

「……やっぱり、こっちの記憶はないのか」


 狼狽える壱心に対して少し落胆の色を見せながら即座にカラー映像を終了させる目の前の壱心。どういうことか聞かせてもらうために詰め寄ろうとする壱心だが、そこで彼は自身の身体が上手く動かせないことに気付く。そのため、壱心はその場から問いかけた。


「おい、さっきの映像は何だ? どういうことか教えろ。いや、それよりも前にお前が本当に香月壱心なら過去の、江戸時代の人間のはずだ。何でさっきの映像を……未来のことを知っている? お前は本当に香月壱心なのか?」


 矢継ぎ早に問いかける壱心。それを受けて彼は肩を竦めて答えた。


「さっきの映像は僕が君の前世の記憶を漁ってた中から見つけたものだよ。僕が君と入れ替わり、深層心理に住むようになってからはずっとこの未来の歴史を読み解くのと、そして君がやってることを見ていたんだ」

「それは、つまり……」


 壱心は本来の香月壱心にとって受け入れがたい事……香月壱心の父親、香月太一とその息子の香月藤五郎を見殺しにしたことをさっと思い浮かべてしまう。それを相手も何故かすぐに察したようだった。


「うん。君が僕の父……香月太一と弟の藤五郎をわざと死地に追いやったりしたことも知ってる」

「そうか……」

「あれは許しがたい行為だったね。助けられるのに、助けられたのにその後のことを優先して見殺しにした。何とも受け入れがたいことだったよ」


 それはそうだろう。恨み言の一つや二つ程度では済まされないことをした自覚がある。目の前の壱心は続けた。


「でも、それのお蔭で手に入った物を切り札として使うんだろう? 許せないことだけど、理解はしてるさ」


 いいのか? なんてことは口が裂けても言えなかった。そのため、壱心は黙って相手の言う言葉を待つ。すると、この件に関して深入りするつもりもないのか目の前の壱心は話題を転換させた。


「さて、そんな許せないけども過去になってしまったことはさておき、君がここに来たということはあの仙人様の薬を使ったということだろうけど、今度はどうしたのかな?」

「……一服盛られた。俺の意思じゃない」


 話をはぐらかす壱心。だが、目の前の存在は事も無さげに告げた。


「そうか。じゃあ質問の仕方を変えよう。僕は君の行動をずっと見ていたと言ったよね? 隠しても無駄だよ。本当なら君の口から聞きたいんだけど、どうしても言いたくないなら僕の方から言ってあげる……どうする?」


 目の前の香月壱心はそう言って悪い笑みを浮かべる。それでも、壱心は言いたくなかった。その様子を見て彼は頷く。


「……わかった。じゃあ僕の方から言ってあげよう。君は、日本の国益のために僕の……いや、自分の父や弟やその他大勢の人の輝かしい人生を奪ったのに自分の伴侶のために国益を蔑ろにした。この国の将来を思いながら先に逝ったみんなの思いも無下にして。その良心の呵責に耐えられずに心をすり減らし、周囲に心配をかけ、強制的に薬を用いられてここに来た」


 違うかな? そう問いかける香月壱心に壱心は何も言えない。壱心の頭の中にはこの国を頼むと言って逝った様々な人々の顔が思い浮かんでいた。その思いを自覚して強く瞑目する壱心。そんな壱心を見て彼は笑う。


「図星だね」


 その言葉に壱心は静かに目を開いて答えた。


「……あぁ、本当に済まないと思っている。俺に未来を託して死んだ加藤さんや死の間際に忠告してくれた横井さん。そして、死の間際までこの国の未来が明るいものであるように願っていた坂本さん。その他にも日本のために散った大勢の人に顔向けできない程に申し訳ないとも思ってる。

 そして、俺の行動を見ていたとする香月壱心という存在がいるなら、俺は許されないことをした自覚がある」

「で、どうするの?」


 開き直ったかのように告げた壱心に対し、簡単な口調でそう尋ねる香月壱心。その言葉を受けて壱心は少しだけ詰まるがすぐに答えを返す。


「……それでも俺は、何としてでも第二次世界大戦での日本の敗退を止める。そのためには経済が悪化しても戦争に参戦しないで済むだけの国力が必要だ。なぁ、俺を恨んでいても構わない。もう少しでいい。チャンスをくれ」


 壱心が信念を宿した強い口調でそう言うと香月壱心は苦笑していた。


「僕の話を聞いてた? 体はそのまま使ってもらって構わないと言ったはずだよ」

「だが、ここに来てるということは……」

「僕を呼んだのは君だ。あの薬の所為でね……そして、どうせ目が覚めた時に君は僕の存在のことを忘れてるさ。前もそうだったようにね」

「前……あの時か」


 過去、福岡の変の時に父親を見殺しにしたということで神経がまいっていた時に薬を使った記憶がある。その時も彼に出会っていたというのだろう。そうであるのならば、父親を殺してしまった時、彼は何と答えたのか。気になる壱心だが、目の前の存在はお喋りに見えて答えてくれそうにない。

 そんな目の前の彼だが何もないはずの周囲を気にした後に壱心の顔に向き直って告げた。


「で、どうせ君は目を覚ました時にここであったことを忘れちゃうけど、僕はここに呼ばれた役目として、君が目覚めるように君のことを救わなくちゃいけない」

「……どうやって?」

「交換条件さ。君の過去を……前世の個人史を僕が貰う代わりにこの国の未来を君に託す。ただ、それだけの話」


 どういうことかわからない壱心に対し、目の前の香月壱心は続ける。


「言ってる意味が分かんないだろうね。だけど、そのままでいい。君はそのまま前に突き進んでくれればそれでいいんだ」

「前世の個人史……俺が誰で、どういう存在なのかをお前は知ってるのか?」

「うん。君が前に来た時に追体験する権利を貰ったからね……非常に興味深い体験をさせて貰ったよ。だけど、それを話すと君に未練が出来るかもしれない。だから、これ以上は話さない」


 きっぱりと断言する香月壱心。それを受けて壱心はますます混乱した。取り敢えず壱心は気になっていることから聞いてみる。


「待て、俺の過去がどういうものかはわからないが、俺の過去の個人史を渡すだけで俺が目覚めた時、精神状態が安定するのか? あの薬はそういう類のものだったと思うが……」

「だから交換条件って言っただろう? あの薬はセロトニンなんかの化学的な成分だけじゃなくて霊魂的な成分で出来てるらしい。君が過去を失えば、そこに余地が生まれる。そこに薬の霊魂が入り込み、君の心を整理するって訳だ」


 非常に胡散臭い話だった。だが、過去にこれをやって自身の状態が安定したというのも事実。壱心は困った。


「過去の個人史の中にこの国の未来を変えるために必要な情報があるとなると困るんだが」

「大丈夫。君の個人的な歴史は失われるけど、一般的な常識と歴史……まぁ君の場合は一般的とは言い難い常識を持ってたけど、その辺りに手を出すことはない」

「その区分けってのは……」


 エピソード記憶と意味記憶の違いだろうか。だが、そんなに簡単に分離できるものではなさそうだと思った壱心が尋ねるも目の前の香月壱心は軽く答えた。


「僕がやるから気にしなくていいよ。君の状態は今の君のままだ。過去の個人史が戻ってないのが今の君の状態……記憶がなくても感情は引き継がれるしね。だから個人史がなくなっても目覚めた君は今の君のままだよ」


 そう言われてしまえば今後の活動に支障は出ない。壱心は彼の提案を受け入れることにした。


「……なら、俺の個人史を捧げる。だから、俺の精神をお前の身体に戻してくれ」

「いいんだね?」

「こっちが訊きたいくらいだ」


 断定的な口調で答える壱心。それを眩しい物でも見るように目の前の香月壱心は見た。


「……即断、か。やっぱり君は凄いね。僕にはそんな決断は出来なかった。口では国を変えると言って、そういう気持ちがあっても自分の目に見える範囲から出るのが怖くて何も出来なかった……だから、やっぱり君に託すよ」


 少し寂しげにそう告げる香月壱心。彼が虚空に手をかざすとそこには様々な記憶が映像として呼び覚まされる。


「……っ!」


 気になる記憶がいくつも出てきた。中には悪坊主にそっくりな何者かがいる映像もあった。だが、壱心にはもうそれをどうこうすることは出来ない。そんな記憶の奔流の中で香月壱心は寂し気に告げる。


「前も、自分のこと……そして僕と会って赦されたことを忘れる代わりに心に余裕を生み出した君だから迷いはしないとは思ってたけどね……で、どうだったかな? 君の記憶は」


 そう問いかける香月壱心に壱心は応えた。


「……今、目の前で自分の記憶を見ていたからこそ分かる。俺がこの国を変えたいと願っていた理由が……」

「だけど、それも目を覚ました時には忘れてる……それでも君は前を見て進んで行くんだね……」


 尊敬の眼差しを向ける香月壱心。記憶の映像はその数を少なくしていた。


「じゃあ……その両肩に僕には耐えられなかった重荷を乗せていく君に、幸あらんことを」

「……行ってくる」

「頑張ってね」


 そして壱心の意識はホワイトアウトするのだった。



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