遼陽会戦

 壱心個人からしてみれば紆余曲折あった黄海海戦だが、結果として見れば日本軍の大勝利に終わった。それは誰の目から見ても確実な勝利であり、旅順艦隊はもはや大規模作戦は不可能であることも国民の誰もが知ることになる。


 これによって旅順は戦略的価値をなくし、日本陸軍は旅順の包囲こそすれども、無理な攻略をする必要はなくなった。

 また、この戦いの結果、壱心は更に名声を得ることになる。だが、彼の心は晴れなかった。


(弱くなった、か……俺はどうすればよかったんだろうな……)


 悪坊主に言われた言葉を脳裏に浮かべる壱心。同時に、彼は己がしてきたことを思い出していく。


(同郷の士を歴史の流れを変える為だけに斬り、果ては家族すら見捨てた。それに先人たちの知恵を掠め盗ってこの国の未来を変えようとしている……なのに、あの時の俺がやったことは……)


 幕末、筑前勤王党の歴史を変えるために暗躍した時のことを思い出す壱心。あの時、この国の歴史を変えるために迷いはなかった。そのために使えるものは何でも使った。まだ何もしていない相手を歴史の修正の為だけに殺したこともあった。

 西南戦争、その先駆けとなる福岡の乱では香月壱心としての父親である香月太一の反乱を新政府への反対勢力を集めて潰すために未然に止めず、弟である藤五郎と共に斬った。

 そして産業、軍事と様々なことに対して壱心は自身ではなく先人たちの知恵を盗み取って発展を促している。これによって多くの発明者たちがその知恵を発揮して富を生み出すことを妨げただろう。


 これだけのことをして成し遂げたかった歴史の修正。それを今、彼は亜美のために見直しを図ろうとしているのだった。


(……家族を捨てた俺が、今更……だが、まだ何とでもなる。あの人たちだって、この国にいる以上、この国が嫌いという訳じゃないはずだ……俺の知らない時間軸でこの国の流れを良くしようとしているかもしれない。そのために、ロシアを倒すことに力を入れろと言っている可能性だって大きいはずだ……)


「っ……頭痛が、するな……」


 最近増えて来た頭痛に顔を顰めつつも前向きに考えようと努力する壱心。しかし、過去に家族を見捨てたというのに亜美は別に扱ったという葛藤は拭いきれずにそれからの日々を過ごすのだった。




 さて、壱心が本国で悩んでいる間にも時間というものは流れていく。そして戦争時に時間が進むということは兵たちの移動も進んでいるということだ。


 時は既に夏から秋へと移行しようとしていた。日本軍は遼陽で迎撃準備を整えたロシア軍に決戦を挑む。

 ロシア軍が遼陽に陣を構えたのは遼陽が南満州の戦略的拠点で旅順からハルビンへと至る東清鉄道が走っている交通の要衝だからだ。日本軍はロシアの主力軍が増援として送られてくる前にこの地を取っておきたかった。


 日本軍の投入戦力は土方歳三率いる第一軍と黒木 為楨ためもとが率いる第四軍、奥保撃おくやすかた率いる第二軍、そして旅順にかかりきりの乃木希典が率いる第三軍から別動隊が出て計十六万の兵力が動員されていた。


 これに対し、ロシア軍は約二十二万の兵力が導入されている。しかし、日本軍は全く怯んでいなかった。


「何だあの蚊トンボは」

「敵の偵察用気球とのことです」

「……厄介だな。撃ち落とせるか?」

「難しいようです」


 ふわふわと、しかし意外と機敏に動く気球を前に第一軍の総司令官である土方は鋭い眼を向ける。だが、今は短期決戦のために集中しなければならない。


「よし、昼間の攻勢が敵にバレるというのであれば夜襲だな。観測気球が動けない夜が我々の時間だ。鉄道によるロシア軍の増援が来るまでの時間との勝負になる。今日中に弓張嶺を取るぞ」

「……畏まりました」


 土方の指示により遼陽城を南東の外敵より守る第一陣、紅沙嶺へ進攻した日本軍の第一軍はそのまま攻撃を開始。その日の夜には第二師団による夜襲により紅沙嶺の南方にある弓張嶺にあった敵陣地を占領。

 これによって戦線が崩れたロシア軍東部戦線に土方は更なる攻撃を加えて紅沙嶺も攻略するとロシア軍第三十一師団を退却させた。

 更に第一軍はそこで小休止を取ると再び進撃を開始し、第十二師団が双廟子から英守堡にいたる一帯の高地を占領。翌日には近衛師団、第二師団が大石門嶺、孟家房南方高地へ進出した。イケイケどんどんムードだ。


 それに対して南方、黒木率いる第四軍と奥が率いる第二軍の合流部隊は当初こそ上手く進軍出来ていたが遼陽城を守る最後の砦、首山堡陣地を前に難航していた。

 唯一の例外が秋山好古率いる騎兵旅団だ。その部隊は騎兵旅団と呼んでいるものの歩兵、砲兵、工兵を臨時編入しており第二左翼より遼陽城目がけて北上していた。

 その秋山支隊は首山堡西方まで長躯進入して王仁屯を占領。砲撃によってロシア軍右翼の狙撃砲兵旅団に大損害を与えることに成功。これに対してロシア軍司令長官クロパトキン大将はグルコ大佐率いる騎兵部隊に秋山支隊の攻撃を命令。両軍の騎兵は烏竜合から王仁屯の周辺で衝突。戦況は再び拮抗することになる。


「……真っ向からの勝負では埒が明かないな」


 戦端を開いてから五日目の昼。土方がそう呟くと副官がそれに応じる。戦況は目まぐるしく変わっているように見えるが短期決戦を目指している土方には現状が不満だった。


「敵も浸透戦術に慣れ始めましたからな。しかし、慣れたのと対処が出来るようになったのは別。何か切っ掛けがあれば崩れるに違いありません」

「……気球が動けない夜を狙って敵陣後方を狙うか」

「そのように」


 この戦況を打開するため、第一軍はその夜の内にひそかに太子河の渡河を開始。遼陽東方の敵側面に回り込むことに成功し、翌日には 第一軍の第二師団が饅頭山を、同軍の第十二師団が五頂山を占領した。

 これにより第一軍による遼陽城への側面攻撃が開始されることになった。


 対するロシア軍。日本軍のこの動きは想定していたが、対処出来なければ意味はない。第一軍の側面攻撃に対して各軍団からの増派部隊での応戦で対処するも彼らは防衛側だ。高地を占領され、強固な陣を敷かれた以上無理に攻めることは難しく手をこまねいてそれを見上げる他ない。

 また、戦力を東部に動かしたことによってこの機を逃すまいと日本軍第二軍並びに第四軍が重火器を用いた浸透戦術を開始。これにより膠着していた戦況は一気に日本軍有利となり、土方が饅頭山を占領して三日と経たない内に攻略が難航していた首山堡を占領。遼陽城に迫る。


 この状況でクロパトキンは遼陽城の包囲による退路の遮断を恐れ、全軍に奉天への撤退の指示を出す。


 ……と、ここまでであれば概ね史実通りの流れになるが、ここから日本軍は追撃を開始。史実にない流れでロシア軍を更に苦しめることに成功する。


 追撃の主体は土方率いる第一軍だった。歴戦の将はここでの追撃はこちらの損害以上に相手への打撃を与えることが可能だと見てすぐに行動に移したのだ。


「攻め立てろ! 二度とこの地に戻りたいと思わせるな!」

「土方閣下、味方の疲労が……」

「だらしないな! 俺が若い頃の奴らはもっと……」

「戦闘のために育ってきた武士と日頃は農民やってる今の兵を比べないでくださいよ!」


 部下の窘めを受けて土方は苦笑する。だが、指令は崩さなかった。


「そうだな。悪かった……だが、もうしばし待ってくれ。この戦いで相手に損害を与えれば後が楽になる。疲労によって士気が下がっているというならこの老骨が前に出て……」

「閣下!」


 部下の鋭い窘め。土方は不承不承ながらその進言の後に続くであろう言葉を受け取った。


 しかし、この追撃はかなり功を奏した。追撃までは史実と同じく敵地占領という命題を達成するために人的被害においては味方の被害が相手の損害を上回っていたが、この追撃によって損害数は逆転。その上、史実で発生するロシア軍の再南下、沙河会戦を小規模なものにした上、史実では旅順に回していた武器がこちらにあることから沙河会戦で大勝利をもたらすという副次効果をもたらすのだった。


 そして両軍は沙河で睨み合ったまま越冬することになる。


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