陸上戦闘開始
海軍が諸作戦を実行に移し、奮闘している頃。陸軍も作戦行動を開始していた。彼らは
「……何だあの布陣は。舐めてるのか?」
朝鮮半島に上陸し、鴨緑江の東側から対岸に位置する敵の布陣を睨む大日本帝国陸軍第一軍司令本部で土方第一軍司令官はそう呟いた。その呟きを聞き香月次郎長第一軍参謀長官は苦笑しながら応じる。
「まぁ、過剰に警戒されて苦戦を強いられるよりかは幾分もよいかと」
それはそうなのだが。土方はどうにも自分たちを舐め腐っているロシア軍の態度が気に入らなかった。緒戦の惨敗を何だと思っているのだろうか。何も学んでいないロシア軍を睨みながら壬生の狼は低く唸るように呟いた。
「……大日本帝国の強さ、刻み付けてやる」
「ですね。では、状況の確認から」
次郎長の言葉に応じて土方は加齢による衰えを感じさせない鋭い双眸でロシア軍の陣を模した兵棋を睨む。そこには鴨緑江を守備しているロシア陸軍約2万4千名の配置が示されていた。
「……それで、いかがいたしますか? 兵数、火力、共にこちらが有利ですが」
「決まっているだろう? 各個撃破だ。お前の兄が得意なあのやり方でな」
「浸透戦術ですか……まぁ、妥当なところですね。上流に布陣しているロシア軍の動向に警戒しつつ戦力分散している部隊を潰していきますか……」
斥候部隊による情報収集は既に済んでいる。軍の配置もだ。後は司令官の指示を待つのみ。
「兵に下知を下せ。一日で鴨緑江は渡るぞ」
「はい」
斯くして戦端は開かれる。
戦力分散されて河辺に置かれているグリモフ大佐、チブリスキー大佐、シヴェリン大佐らは戦が始まっても体格で劣る日本軍を完全に侮っていた。
「
白人至上主義である彼らは自分たちが後進国、ましてやアジア人に負けるはずがないと無駄な抵抗をする日本軍を嘲笑いながら戦闘準備につく。
しかし、認識を改めるのにそう時間は必要なかった。
『クソッたれ! 何だアレは!』
『ダメだ! 近づく前に皆死んじまう!』
『至急援軍を要請する!』
悪態をつける者はまだいい。本当の犠牲者は既に物言わぬ屍となっている者たちなのだから。史実以上の火力……例えば、壱心が西南戦争の時には既に使っていた迫撃砲のような火力に晒されたロシア軍の被害は当然ながら史実以上の被害となっている。相手を舐めており、この地を決戦の地とするつもりもないロシア軍は予想外の火力に晒されて一部が混乱状態に陥った。
「そら今だ!」
「叩きのめしてやる!」
「大和魂! 見せてやる!」
その混乱に乗じて日本軍は渡河を開始。それを見計い、鴨緑江上流から日本軍の背後を狙ってミロシニチェンコ大尉が奇襲を仕掛けてきた。
「……ようやく北部部隊のお出ましか。だが、遅すぎるな」
だが、その程度の攻撃は事前情報を得ていた土方にとって想定内だった。肉食獣の如き笑みを浮かべた土方の下知によって渡河部隊の後方をつこうとするロシア軍の更にその後ろに控えていた第20師団が彼らに牙を剥く。攻めようとしていた背後から攻められたミロシニチェンコ大尉の部隊の末路は言うまでもないだろう。這う這うの体で退却していく。
『馬鹿な……アジアの島猿如きにこのロシア帝国軍が……』
『ザスーリチ将軍! ここは危険です! 撤退の命を!』
『……覚えてろ』
茫然としつつもロシア軍東部支隊長官のザスーリチ将軍はこの場での敗北を悟り部隊を再編して撤退を図る。その背後からの強行追撃は流石に行われず、ロシア軍は犠牲者3千名という史実の倍近い凶悪な数字を叩き出しながらも撤退に成功した。
初戦である鴨緑江の戦い。それは日本軍の圧勝に終わる。これによる副次作用として海外からの戦費調達が簡便に済むようになり壱心は切り札を切るタイミングを選べることになる。
さて、続く南山の戦い。
鴨緑江での戦いの後、その勢いを保ったまま土方率いる第一軍が遼陽を目指して北上し、ロシア軍が前線に注意を惹き付けられている間に旅順を孤立化させることを目的として日本陸軍第二軍によって行われた戦いだ。
これに対するロシア軍は遼東半島の隘路となっている南山に野戦砲114門と機関銃を据え付け、塹壕と鉄条網、地雷を備えた近代的陣地を構築した。史実では日本軍が近代的陣地を攻撃するのはこの戦いが初であり、第二軍は要塞の構造を把握していた上で敵の倍の兵士を擁していたにもかかわらず総兵力の一割を超える兵を失ってしまった。
本世界線では史実通りにここに福岡の小倉出身の陸軍大将
「実戦は初めてですが、坊ちゃんは幾度となくこの日を迎えるための準備を行ってきました。大丈夫です、参りましょう」
「……坊ちゃんは止めてくれ。皆の目もあるだろう?」
第四師団による金州城攻略戦、第二回目の攻撃の中で鉄心と古賀は静かにこんなやり取りをしていた。現在の状況は威力偵察に終わった第一回の攻撃で事前に手にしたこの要塞の情報と相違ないことを確認した上で第一師団から二個大隊を増援として呼び、力押しの陽動の裏で工作部隊が金州城を爆破して突破する段階だ。
迫撃砲による上空からの攻撃により、土砂が跳ねる。人が宙を舞い、簡単に人命が失われていく。敵とは言え、あまりに無情な光景だった。だが、それはこちら側に対しても同じこと。機関銃の音が奏でられる毎に人が死んでいく。その光景を目の当たりにしながら鉄心は無表情を貫いた。そんな中、古賀が呟く。
「……戦場は遠くなりましたな。我々の時代の時はもっと人が近かった。今の距離では人の死も、自分が殺したという感触も薄い。そして、それは時が進み、武器が進歩するつれて更に遠くなっていくんでしょうな……」
「……そうでもないさ」
辛うじて表情を崩さずに鉄心がそう言ったのとほぼ同時だった。金州城方面から轟音が響く。同時に、土砂が崩れる音が周囲を呑み込んだ。
「……金州城の守りの一角が崩れた様子ですな。今が好機です。当然、安川様も突撃命令を下すでしょう」
「わかってる」
「では、進みましょう。数は少ないとはいえ我らは御剣隊。混乱に乗じて一陣の風となり戦場を駆け抜けましょう」
「頼りにしてるさ」
老虎山に陣取っていた第二軍司令部より突撃の号令が下され、金州城目指して日本帝国陸軍部隊が殺到する。金州城の城壁が崩れてからは早かった。金州城は一日と持たずに陥落。
その後、南山に対して金州湾から海軍の支援攻撃、そして陸軍の苛烈な浸透戦術による激しい攻撃が加えられた。
それでもロシア軍はしぶとかった。近代戦術に忠実な守りを固め、突撃してくる日本兵を寄せ付けない働きを見せ続けた。
だが、勝ったのは日本軍だ。金州城南方のロシア陸軍防衛ラインの北部から崩れ始めたロシア軍は撤退を開始。第二軍は南山を占領して勝利を収めた。
この勝利報告は日本にすぐにもたらされる。特に、壱心の下には一両日と経たずに報告がなされた。
「勝ったか……」
「被害は約1000名。ですが、ロシア軍の損害は2000名です! 第二軍は弾薬の補給を行い、満州へ進軍致しました」
「そうか。十分に労をねぎらってくれ」
史実よりも少ない被害。香月組の隠密部隊の一人が立ち去った後に壱心は安堵の息を漏らした。4桁を切ることは出来なかったが、戦術の考案者とされている壱心の名声は再び上がることになるだろう。
(……今回の一件。俺の声が全体に更によく通るようなったのはいいが……旅順を無理に攻めるきっかけにならないように早いところ手を打った方がいいか……)
これまでが楽に勝ち過ぎている。それは念入りに準備を行ったからこそであり、準備をした側としては喜ぶべきことだが、近代陣地を侮ることに繋がりかねない。
近代的陣地に攻め入るのは浸透戦術を以てしてでも危険過ぎることは忘れてはならない。今回の一戦での圧勝はこちらが行った未知の戦法に相手が混乱したからこそ齎されたものであり、次も同じ結果となるかは不明だ。
だからこそ、この世界線では守りの堅い旅順は孤立させただけで済ませるつもりだ。そのためには旅順艦隊が邪魔になる。
(やはり、ここは介入すべきか……)
壱心は手元のカレンダーと予定帳を見つつそう思うのだった。
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