20世紀
1901年。20世紀最初の年となるこの年の秋。壱心は病床に就いていた坂本龍馬の療養庵を訪れていた。
「おぉ、久し振りじゃのぉ……」
「坂本さん、体調の方は……」
「ん、まぁ、今日はええ方じゃの……」
白髪になり、痩せて見える坂本のことを気遣いながら壱心は布団から体を起こした坂本に近づく。坂本の方は壱心の周囲を見渡して笑った。
「なんじゃ、おんしら……げに変わらんな。どうなっちゅーんじゃ? あぁ、儂にもそんな若々しさがあったらのぉ」
外見が本来の年齢の半分程度……20代後半に差し掛かろうとする程度にしか歳を取っていない壱心のことを見ながら苦笑する坂本。彼が連れている女性も外見上は変わらない。そんな彼らは曖昧な表情になるだけだ。
「俺たちのことは今は大して問題じゃないです。薬の方、どうでしたか?」
「あぁ、咳なんかはもう出ん。ただ、身体がもう追いつかんのぉ……歳じゃ」
悲観することなく笑顔でそう告げる坂本。そんな彼の隣にはお龍がいるが、彼女は何も言わずに壱心たちと坂本の会話を見守るだけだ。
「さてさて、今日は何の話をしようか? 久しぶりに会ったんじゃ。言いたいことはたくさんあるきなぁ……ま、取り敢えずは堅苦しい言葉遣いは止めろっちゅーことからかな。儂とおんしの仲じゃぞ?」
「そう、だな……」
「うんうん。それで、どこから話したもんか……そうじゃな、壱心くんの話が聞きたいのぉ。仕事はどうじゃ?」
壱心は近況について語り始める。暗殺に遭いかけたこと。義和団の乱に勝利し、北京議定書を勝ち取った結果、日本の軍事力の国際的評価が更に上がり極東の憲兵と呼ばれるようになったこと。また、北京議定書を調印したことにより多額の賠償金が手に入ったこと。その賠償金によって日清戦争による景気過熱から来た反動、資本主義恐慌に終わりを告げられそうなこと。
「いいことじゃのぉ……この国も強くなった。あの頃を覚えとるか? 黒船が来たばかりの頃を」
かつてを懐かしむように坂本は壱心に問いかける。壱心も勿論忘れている訳ではない。その方向に話が進むと彼らが会ったばかりの頃の話に移る。
「儂がおんしに会った時、おんしはすぐに儂のことを信じて出資に頷いてくれた。あん時は感動したもんじゃ……のぉ、壱心くん。おんしは何故あの時儂に……」
「色々ありますが、まぁあなたが信じられる人だと思ったからですよ」
「それは、何故?」
「秘密です」
笑ってみせる壱心。坂本はその理由を尚も知りたがっていたようだが、壱心の様子を見て諦めたようだった。次第に話は進んで中岡慎太郎と壱心が共謀した頃の話となる。
「あん時は本気でむかっ腹が立ったもんじゃ……にしても、いつから儂を謀っておったんじゃ?」
「実は坂本さんと中岡さんが一緒に来る前に俺は中岡さんの窮地を救ってましてね。その時に知り合いになって、その後二人で訪問。その後、中岡さんだけが戻って来て話し合いをしたということです」
「何と、最初からか……流石、神算鬼謀」
「やめてくださいよ……」
大層な名前を付けられて本気で嫌そうな顔をする壱心。それを見て坂本は笑う。
「ハッハッハ、少しぐらい意趣返しじゃ。じゃが、襲撃に会った時に助けてくれたのは本当のこと。あの時は曖昧になってしまったが今、もう一度言わせてくれ。ありがとう」
「……何ですか水臭い」
「うん、そうじゃな……じゃが、こういうのは言える時に言っておくべきものじゃからのぉ」
どこか遠くを見ながら坂本はそう告げる。壱心の後ろからそれを見ていた亜美は彼がどこか遠くに行く覚悟を決めた者であると見て取った。
「ま、その後も何回も世話になっとるから今更か」
「何とも返事のし辛い……」
「ハッハッハ!」
壱心の困り顔を見て笑う坂本。だが壱心の方も悪い気はしていなかった。それを許すだけの何かが坂本にはあるのだ。
「そうじゃのぉ、今回はどうじゃろうか? 壱心くんの薬で何とかなる範囲なのかのぉ?」
「病気自体は治ったので。後は本人次第……」
「んーまだまだやるべきこともやりたいこともあるんじゃが……」
「諦めなければまだ道はあるかと」
どうにも加齢の影響か弱気になっている坂本。壱心は彼の魂に火を点けるべく今の日本に訪れている問題を上げていく。
「ほら、今から日英同盟を組む交渉に入ってるんですよ。坂本さんもそれを見たいでしょうに」
「そうじゃのぉ……列強の脅威からこの国が解放されん限り死んでも死ねん、そう思っとったんじゃが……」
「思ってるなら長生きしましょう」
「……ま、そうじゃの。それで、日英同盟の方はどうなんじゃ? 上手く行きそうかのぉ?」
坂本は自身の体調についてはこれ以上踏み込んでほしくなさそうにそう告げる。その意を汲み取って壱心は現状について話をすることにした。
「イギリスはまず間違いなく食いつきますね。シベリア鉄道の開通、義和団の乱に乗じての満州の不法占拠。そして日米英の抗議に反した満州駐留軍の増強。不凍港をロシアに渡したくないイギリスにとって、今の東アジア情勢は非常にマズい状況になってる。そんなイギリスが東アジアにおいて対ロシアを念頭に置いて行動する場合、日本くらいしか頼りにならない」
「清は?」
「清国は外どころじゃない。今は国内情勢をどうにかしたいはず。確かに、日清戦争の結果をどうにかするために入って来る可能性はある。が、日英同盟の内容に日本が二ヶ国以上との戦いになった場合に参戦するとの文章を明記しておけば入ってこないはず」
未来の知識をそのまま披露する壱心。しかし、坂本は不安そうだ。
「ちゅーことは、日本とロシアの一騎打ちということになる可能性もあるわけじゃの」
「ほぼ間違いなく」
「神算鬼謀殿の勝率予想は?」
「日英同盟を組んだ前提で時期と場所を選んで五分五分といったところか」
これはまた大きく出たものだ。そう笑う坂本。だが、壱心は大真面目だった。
「ロシアの内情は農民戦争、労働紛争なんかで酷い状態。その上、外貨獲得のために飢餓輸出まで行っている。その不満から目を逸らすための戦争だが彼らの大多数が住んでいる東欧から非常に遠く離れた東アジアでの戦争は関心を集め辛い。また人種差別が当然の様に行われていることからこちらへの警戒も殆どない」
「じゃが、戦力ではあちらが勝るじゃろう?」
「当然、その通り。だが、ロシアにはさっき言った通り国内の問題を抱えており戦争の継続能力がない。その上、緒戦で相手を舐めてかかっている。ただでさえ人気のない戦いで初戦を挫かれたとなると相手の内情に更なる打撃を与えられる」
「昔から自分で見て来たかのように話すのぉ。で、今回の情報はどこから仕入れたんじゃ?」
壱心はにやりと笑って答えない。だが、彼は非常に獰猛な笑みをしていた。それはもう坂本が微妙に引くほどだ。
「お、おう……何じゃ、秘密か」
「福岡藩出身の期待の若手、とだけ答えておきます」
「んーロシア関連、福岡の若手と来たら栗野君かのぉ?」
「知りたければ長生きしてください。戦後、教えます」
そう言って笑う壱心。坂本も釣られて笑う。
しかし、坂本が壱心から対ロシアの切り札について知ることはなかった。壱心との面会から数ヶ月後、1902年の初頭に調印された日英同盟締結を見届けてから彼は安堵したかのように他界する。史実と比較して実に30年以上も長生きし、19世紀の終わりを見届け20世紀に入ってからの大往生となった。壱心が彼の死を知ったのは電報でのこと。そして彼には死の間際に書かれた手紙と掛軸が送られた。
維新に関わったものが一人、また一人と消えていく。そんな中、残された者としての責務を背負って壱心はこの国のために活動を続けていくのだった。
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