19世紀の終わり

 1900年冬。日清戦争の戦勝景気と株式高騰の反動で発生した資本主義恐慌で日本中の懐も寒くなっている中。壱心たちは19世紀の終わりを慌ただしく見届けようとしていた。


「壱心様、いかがいたしましょうか?」

「そうだな。一先ずはここに残るとして……寒くないか?」

「えぇ……既に準備運動は済ませてあります。身体は温まってますよ」

「血気盛んなことだ……」


 不敵に笑う亜美の隣で苦笑する壱心。彼らは今、東京で何者かによって追われている最中だったのだ。


「まさか、直接暗殺に乗り出してくるとは思ってなかったな」

「驚きましたね」


 心当たりは幾らでもある。例えば、治安警察法。集会や結社、多衆運動の取締りに対しての制限をかける法案を通すように命令したこと。他にも軍部大臣現役武官制を通すのを自分たちの派閥の力で捻じ伏せたこと。また、香月家の財宝を狙った単なる物取り強盗である可能性も無きにしも非ずだ。


「今回の相手は何だろうな?」

「かなり統率の取れた動きからして訓練されている者かと。軍部の過激派が動いた可能性がありますね」

「だとすれば恐らく軍部大臣現役武官制の用件か……あの料亭には申し訳ないな」


 壱心は対先程までいた温かな場所に軽く詫びを入れておく。あの場所は今、無粋な客たちが流している血の海に染まっているからだ。


「全く、いつまでも表からも裏からも政界と軍部を牛耳るのはやめろと言いたいんだろうが……」

「鉄心は未だ二十歳そこそこですからね……後継者となるには不十分ですし」

「いや、代が替わったら問題ないとかそういう訳じゃないし、そもそも俺だってやりたくてやってるわけじゃないとだな……」


 壱心はそう言いながら銃を抜いて近くに来ていた男に向けて発砲する。男は物も言わずにそのまま絶命した。その音を聞いて更に人が集まって来る。


「……そろそろ、警察が動くかな」

「もう動いてはいると思いますが……」


 その声を合図にした訳ではないだろうが、制服を着た男が二人、現場に急行して来た。彼らは壱心たちに銃を構えつつ鋭く告げる。


「動くな!」

「……ようやく来たか。亜美、どうやらこれで助かったらしいぞ」

「そうですね」


 警察が来たことを受けて壱心は銃を降ろす。それに警察は過敏に反応した。


「動くなと言っている!」

「あぁ、すまない」

「手を後ろで組み……ん? どこかで……失礼ですがお名前を」

「香月壱心」


 その名を聞いた途端、男の表情は緊張から驚きの表情へと変貌する。しかしそれもつかの間。彼は己の職務を思い出し、すぐに表情を改める。


「香月閣下、香月閣下ですか。御高名はかねがね聞いております。ですが本官も役目を全うせねばならぬのでして……ご同行をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「それは構わんが身の安全を保障してもらえるか?」

「それは勿論でございます」


 敬礼をしながらそう告げる警官。本庁に戻れば彼よりも壱心について詳しい者、もしくは壱心が内務卿の時に改革したことで彼の肖像画がある。それを見ることで確認をしようと考えているのだ。

 そんな彼は壱心を少し見た後に亜美の事も見て内心で青ざめる。彼女たちは落ち着き払っているが決して機嫌がいいという顔はしていないのだ。


(香月閣下、確かに噂ではどこかの仙人から祝福を受けた結果、不老で外見に変化が出ないと聞いていたがこれ程……どこかで見たことがあるような顔だと思っていたが……大丈夫だよな? 不敬とかで後々査定に響いてくるとかないよな……? いや、確かに最初見た時に気付かなかったけど……)


 戦々恐々としながら自らの拠点に戻ろうとする警官。ただ、その前に倒れている死体に近づくと壱心はその懐から書状を取り上げた。


「……斬奸状。亜美、連盟状を見るに動いたのは軍部の中でも予備役組のごく一部らしい。人数は八人。既に殺ったのが五人だからもうほとんど終わりだな。どこの奴に唆されたかは知らないが甘く見られたものだ。あぁ……これも重要な証拠にはなるか。君、これを」

「あっ、ありがとうございます」


 斬奸状を手渡し、壱心は亜美と二人で警視庁に護送される。そこで福岡県知事として活動し、警視総監となった人物に謝罪を受けて解放されることになった。





「……危うく19世紀の終わりを警察署で迎えることになりそうだったな」

「そうですね」

「まぁ接待をするのと大して変わらんか」

「……返答に困ります」


(……そういえば、年末で普通に帰れるって凄いな……確かに政務としては元老院と貴族院以外は引退してるが……)


 ふと我に返ってそんなことを思う壱心。特に悪いことはしていないというのに平謝りをしていた警視総監に今後の予定について邪魔をしたことの謝罪も受けていたが本人は普通に帰れた方がよかったと思っている。


「さて、今日はもう帰ることになるけど何か要るものかはあるか?」

「……帰るんですか? 義和団の乱についての打ち合わせは……」

「襲撃を受けたからなし、というわけにはいかんか……?」


 もう帰るつもりだった壱心。しかし、亜美は遅れながらも仕事をしてから帰ろうとしているようだった。壱心は少しだけ嫌な気分になる。


「山縣さんに草を飛ばして今日は危うい目に遭ったから外出は避ける。そう伝達してくれ」

「……いいんですか? 軍部大臣現役武官制の遺恨は早いうちに解決した方がいいと思いますし、今回の一件について、壱心様の影響力が及ばない軍閥に大きな影響力を持つ山縣様に一言入れておいた方がよいかと思うのですが」

「……面倒臭いな」


 本音を漏らす壱心。正直、彼からすれば今の日本の発展具合とこれからの見立てで彼の役割は大部分が終わりに近づいているため、もう意欲的に動く気にならないのだ。直に大日本帝国は彼の知識力が及ぶ範囲以上の発展を迎えようとしていた。


(教育が進んだことで国民はある程度冷静に物事を判断できるようになっている。軍閥も政治の派閥も単純な薩長の対立構図ではなく福岡との三つ巴に加えて他の藩閥が加わることである程度の安定感は見せている。俺の仕事量も減って来たことだしそろそろ政界からは引退し、山縣さんみたいに後継者を育てる方向に進んでもいいのでは……?)


 大まかな目で見ると壱心はそんな気分になっていた。その旨を亜美に溢すが彼女は首を縦には振ってくれない。

 彼女は国民が冷静に判断しているというのは壱心が指示を出してそれに従っていることから見てということであり、壱心の指示がある程度合っているという前提の下に成り立っているものだと考えているからだ。また、軍閥や政党などの派閥についても壱心という指導者がいるからこそ、良くも悪くも団結している部分が少なからずある。最後に壱心の仕事量が減ったというのも謎の機械パソコンを使うのに慣れて来たというのが理由にあるだろう。


 そんな感じの言葉を色々とオブラートに包んで告げる亜美。それを受けて壱心は少し嫌そうな顔をしたが、彼女の説得に応じる。


「分かった。だが、俺はいつまで表立って政界に残ることになるんだろうな……」

「少なくとも、後継者が出来るまでですかね……」

「鉄心か」


 自身の自慢の息子の名を上げる壱心。しかし、亜美は微妙な顔をした。


「お気遣いは嬉しゅうございますが、あの子は政治家というより軍人ですから」

「そうか」

「申し訳ございませんが、まだ別の方が出て来るまでよろしくお願いいたします」

「お前が頭を下げることじゃないと思うが……わかった。もう少しやってみよう」


 冬の寒い道。二人は事情聴取のために行けなかった場所に対して謝罪の連絡を送ると共に彼女たち自身は山縣との会談に備えて移動を開始するのだった。



 



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