香月邸会議

 ロシアの南進の圧力が徐々に朝鮮半島を覆い、日本にまで到達しつつある1899年のこと。壱心は彼の東京で身内を集めて会議をしていた。


「……では次の懸案です。ペストが日本で初流行いたしました。対応としてネズミの買い上げを1匹5銭で行っております」

「早期対応で、特に問題はないものと思われます……」


 亜美の話に桜が続ける。史実通りにペストが日本に初上陸し、史実より1年前倒しで対策をしている話だ。これは特効薬であるストレプトマイシンも多少ならば用意出来るため、壱心にとってはそこまで気にしなくともいい話となる。彼女たちはその空気を何となく読んで最後の懸案に移った。


「では、次で私達からの本日の懸案は最後ですね。清国の山東省にいた義和団の件についてです。こちらは一度鎮静化の兆しを見せていたんですが」

「あぁ、止まることはないだろうな。それもそのままでいい。勿論、こちらに被害が及べば抗議の連絡は入れるが今のところはそんなに問題となっていない」


 亜美の言葉を遮るように壱心がそう告げると今日の議題は終了となる。この会議は皆の時間が取れるようになってから開催されるようになっており、表に出ることはないが壱心が表で発言する際の思考をまとめるための重要なプロセスとなっていた。

 参加必須者には桜と亜美か咲となっており、参加可能者にリリアンと宇美、恵美がいる。

 だが、今回は珍しくその全員が揃っていた。これは別に重要な議題があってのことではなく、壱心の時間が取れるようになったのに合わせて周囲の環境整備も進んできたことが理由となる。


「では、本日予定していた議題はこれで終わりですが……どうします?」

「はいはーい! たまには普通のお話がしたいでーす!」

「……普通、ですか? これが普通では」

「違いますよぉ。世間話とか、最近どうだったとか、色々あるじゃないですか! 私達、そういうの全体で共有してるの少ないと思うんですよね~特に壱心様、結婚したのに放置が多い!」


 急な指名に壱心は反応するが、内容的に何も言えない。その通りだと実感しているからだ。だが、リリアンがそれを庇いたてる。


「忙しいですから……」

「最近は時間ありそうじゃないですか~! 何か黒服の怖い人が言ってましたよ。もっと構ってやれって」

「……雷雲仙人が? 何故……」

「……弥子様に聞いた話だと、あの方は自分の周囲には興味なしですが他人の色恋沙汰は好きらしいです」


 余計なお世話だ。そう言いたいところだったが、実際問題放置気味であることは否めない。ここにいる面々は壱心のために不老の道を選んでくれた上、人生の大半を預けてくれている。そんな彼女たちに対する扱いが雇い人以上の何もなしに近いという状況は理解していた。


「……何か欲しい物でもあるのか?」


 そんな理解から出てきたのは割と最低な言葉だった。だが、壱心にはどうしたらいいのかよくわからなかったのだ。だから物を与えることでしか感謝を示すことが出来ない。しかし、相手はそれより一枚上手だった。


「愛情、ですかね? 具体的にはそろそろ子ども欲しいな~……ダメですか?」

「え。宇美ちゃん、急に? どうしたの?」

「え~? 何だか仙人様のお薬のせいで身体も頭も昔と変わんないけど私もいい年だよ? 亜美さんやリリィちゃんの子どもが大きくなったの見てたらこのまま薬が切れたらマズいなぁって思っちゃって」

「……だ、そうですが?」


 壱心は困った。ストレート過ぎる願いに取り敢えず頷いてしまったが……と、そこでまさかの展開に全員が目を剥いているのに気が付いた。


「え、いいんですか? やったぁ!」

「え、そんな感じなんですか? じゃ、じゃあ私も久し振りに……」

「え、何ですかそれ。私が最初どれだけ苦労したと……」


 宇美、リリアン、亜美がそれぞれの感想を漏らす中で桜はくすくす笑い、咲は何とも言えない目を向けている。壱心は非常に居心地が悪い感じになっていた。


「咲さんはどうするんですか?」

「宇美さんは慎みというものを持った方がいいですよ? はしたない。そんなことより別の話をしましょう。壱心様……無礼講のようになっていますがよろしいのでしょうか?」

「あぁ、こうなったら別に……」

「では、いつも思っていたのですがいつになったら正妻の方を娶られるので?」


 きゃいきゃいはしゃいでいた面々が冷や水をかけられたかのように静まり返る。それは思っていても誰も口に出さなかった言葉だ。咲は続ける。


「香月家は黒田家に仕えて来た上士、由緒ある家柄です。そして、現代にいたるまで様々な功績を得て来ています。当然、相手もそれなりの方でなければならないので、ここにいる妻たちは不適格。ついでに恵美さんは何ですかね?」

「おい」


 恵美から声が上がるが皆無視か反応に困ったので聞こえないふりをした。壱心も何とも言えずに誤魔化す。


「……まぁ、そうだな」

「唯一家柄の身で話をするのであれば可能性があるのが横井様の養子となっていた桜さんですが……まぁ、見た目と聞いた話からして人ならざる者なのでしょう。子を為せないのでしたら妻には不適格」


 桜は妖しく笑みを浮かべるだけで何も言わない。


「では外からになるのでしょうが……縁談を断っていますよね? 忙しいからと。では、今であれば婚姻しても問題ないのでは? と、私は思っているのですがいかがでしょうか?」


 咲の言葉が終わるとともに全員の目が壱心に集められる。壱心はしばし瞑目して考えた。


「……いや、今のところ俺は新しい妻をめとる気はない」

「そうですか。色好みですか」

「……まぁ、そうだ」

「認めたよこの殿様……! あーあたしが後30若けりゃねぇ」


 恵美の発言に全員が思わず笑った。恵美はどういう意味だと怒ってみせるが宇美はこれみよがしに宇美が壱心に近づいてその手を取り楽しそうに告げる。


「こんなかわいい子いっぱい捕まえて、しかも放置してるんですからまだ外の子なんて見れませんよね~?」

「お前、慎みをだな……」

「くすくす……」


 何とも言えない生温い空気。その空気の中で壱心は悩む。


(俺がこんなところにいていいのだろうか。思わず頷いたが他人の思いを踏み躙りここに立っている俺が人並の幸せというものを手にしても……)


 周囲に美女を侍らせ、その思いを一身に受けている。その自覚はあった。だが、彼女たちが見ている壱心の姿は他者の思考や発明を掠め盗った成果を積み重ねることで作り上げられた虚像だ。それを知る者は亜美と桜しかいない。だが、彼女たちは壱心が正体を明かした時に詰るわけでも失望するわけでもなくただ壱心の努力を賞賛しただけだった。


 そして今、壱心の困ったような顔を見ても彼女たちはただ穏やかに微笑んでいるだけだ。


「くすくす、何やら難しそうなことをお考えになられている顔ですが、あまりお気になさらずともよいですよ? 私のことは気にせず肉欲に身を任せてください」

「そういうんじゃないが……」

「えー! 私、そんな魅力ないかなぁ? 結構、肢体からだには自身あったんだけどなぁ……」

「宇美、そういう問題じゃないんですよ……壱心様、大丈夫ですからね」


 ここまで言われては男が廃るというものだろう。優しい時間に壱心は緊張を少しだけ解いていく。


「……え、結局あたしだけ蚊帳の外かな?」

「30年若ければよかったんですがね」

「うっさいわねぇ。あんたたちも大して歳変わらないくせに。どうやったらその外見を保てるのよ。やっぱり頭がまだ子どもだから?」

「くすくす、負け惜しみは見てる側が何とも言えないので止めてください」


 穏やかな時間が過ぎていく。壱心は自分の負い目など忘れたかのようにこの空気に浸って少しだけ休むことにしたのだった。



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