予算会議
下関条約が済み、台湾併合が史実通りに。そして、朝鮮における
壱心たちは香月組のトップ総会の場に集まり、今後の資金のやりくりについての話し合いを行っていた。
集まっているのは言わずもがな香月組のトップである壱心とその補佐役として桜、そして香月組の中でも事業の中心として金のやり繰りをしている利三を筆頭として、現在は堅調に米の生産量を増やしながら稲のみならず麦や野菜の品種改良と効率的な生産法の確立に勤しんでいる農業事業担当の田中。外資の獲得役である製糸業と紡績業を中心とした軽工業を担当の織戸。その製糸や紡績、そして現在は製鉄業に欠かせない石炭を集めている炭鉱業を担当している須見。
そして結核に効くストレプトマイシンを作り出し、今後の増産に向けて設備投資を欲している薬谷。福岡を中心にあちらこちらに対して区画整理や土木工事を担当している山田。壱心が時代に合わせて求めている道具を作っていく、絡繰り技師の棟梁だった大工町。
最後に今発言しているのが中国から大量の鉄鉱石が入るのを見越し、政府からも工場の大規模化を求められている八幡製鉄所の責任者兼、香月組の鉄鋼業のトップである鉄山だ。
「清国から鉄鉱石が入って来るようになったのでこれからの生産量は更に増やせる見込みとなっています。また、政府の方針に基本的には一致する方向で工場の拡大と規模の経済を活かせるように進めていく方針です」
今後の見通しについて語る鉄山。一通りの話が聞けたところで利三が質問する。
「……規模の経済を活かしたとして海外の鉄に比べての値段は?」
「それは、その……」
「見れば分かるだろう。まだ届かない」
壱心は手元の資料を見ながら利三にそう告げる。これでもこの時点における史実と比較すれば差は縮まっているのだが、現状ではまだ及ばない。国産だからという理由で国内では八幡製鉄所産の鉄を使うのを補助金で推奨し、規模の経済を活かしていてもこれだ。
この現状を見て担当である鉄山は厳しい顔をしながら告げた。
「だからこその工場の大規模化です。生産にあたっての一定のロスが発生する以上、そのロスを少なく出来るように一回の生産を増やせるように色々と手を打つべきであるのが現状です。十分な出資のご検討を」
「そうだね……」
「少々お待ちいただきたい。製鉄所の問題は十分に分かってるんですがね……利三様。こちらもようやく軌道に乗り出したところなんですよ」
鉄山の言葉に否を唱えたのは薬谷だった。彼は日本中を侵している病である結核に対する特効薬を見つけたということでその増産体制に入りたいとし、薬学以外の場所からも資金を集めたいと思っているのだ。そのためには現在、最大の資金喰いである製鉄業に金を食われ過ぎるのは止めておきたいところだった。
だが、その言葉に反応したのは鉄山ではなく壱心だった。彼は少しだけ身を椅子から浮かすと薬谷に尋ねる。
「それは生体反応以外で工場生産の目途が立った、そういうことか?」
「いえ、それはまだですが……」
「……そうか」
「だったら先に私の話を優先してもらいたい。こちらは喫緊の問題なのでね」
落胆する壱心に続いて鉄山はそう告げる。黙る薬谷を見て彼は落ちた。そう判断する鉄山。これで香月組の方針として、製鉄に力を入れることになる。それを確信する。だがしかし、それは逆に言うと失敗できないということだ。株主というものは存在しないが、壱心と利三がいて香月組という外部資金に頼っている以上、失敗すれば色々と言われるのは間違いない。それ以上に、この国を左右する一大事業なのだ。だからこそ失敗を試行錯誤の最中と言い変えることが出来るだけの後ろ盾となる資金が欲しかった。
(これである程度は猶予が……三池炭鉱からの石炭でもコークスの生成は出来るようになった。そして、今後は清国から格安の鉄鉱石も入る。これで何の成果も得られませんは……許されない)
決意新たにする鉄山。彼の大きな用事はここで片付いたが話はまだ続いている。
「山田、そっちの首尾はどうだ?」
「鉄道の敷設に鉄、鉄筋に鉄、近代設備に鉄、道具にも鉄。そんな感じッスね……軟鉄も鋼鉄も足りないッス」
ちらりと鉄山の方を見てからそう答える山田。壱心の次の問いは大工町に向かった。
「大工町、設備の方はどうだ?」
「色々頼まれちゃいるが色んな鉄が大量に欲しいところですな。求められてるもんを作るには理論的に強度が足りんので。後、大将が欲しがってた
「
「あいよ。ただ、何にせよ先立つ物として鉄がいる。発電所然り電解炉然り、その周辺設備然りな」
その後、須見にも話を聞くが炭鉱を掘るに当たっての道具として、また石炭を運ぶために鉄道が必要とのことで鉄がもっとあれば……というのを鉄山の方を見ながら言ってくる。
「……作ってるところなのでもう少しお待ちください」
この流れに鉄山は苦い顔をする。だが、誰も鉄山を咎めようとして言っている訳ではない。皆の資金が製鉄業に流れるという場面にあたって皆が重要視しているということの理解を、彼らの努力の結晶である利益が己の事業の更なる進歩のために留保出来ずに取られていくことへの軽い恨みで包んで伝えているだけだ。
「くすくす……薬谷様も、ストレプトマイシンを大量生産できる段階に至った時にはどの道、生産拠点に設備、その他にも色々と鉄や周囲の方々の助けが必要になるのは目に見えているのはお分かりですよね?」
「……分かっております。今は何とか量産の目途を立たせるのでそれまでに鉄の準備を終わらせていただきたい……」
「だ、そうです」
桜が薬谷のことも少し転がして鉄山に関心を向け、話は終わる。次に始まるのはまた別の議題になるが……それも事前に配られていた資料を見れば分かる事。彼らの会議はそれほど時間がかからずに終わることになる。
そして彼らを迎えるのが会議後のパーティになる。彼らが今日集まっているのは福岡の天神。江戸時代には武家屋敷が並んでいた場所だ。史実では明治維新によって武家屋敷から人がいなくなり官公庁を移設することに反対する者は殆どいなかったため官庁街となった。だが、本世界線では福岡藩は健在している。ただし、秋月の乱や西南戦争で少々区画整理などが行われた結果、多くの土地が士族から手放され史実と同様の結果を辿りつつあるが。
因みに、完全に余談になるが区画整理などで土地を高値で手放した士族たちの中で事業に走る者が多々おり、彼らは歓楽街として壱心たちが動かしつつある中州で事業参入などを行っていた。そして成功者はまた中州で金を落とし……という経済の回り方をしているのが福岡の一時期の好景気の理由だったりする。
そんな福岡の町の夜の中に彼らは消えていく。ここからは完全に私的な時間となり機密情報を漏らさないために仕事の話はしない。代わりに近況についての話をする時間だ。
「で、最近どうだ?」
「分かってて聞いてるよな? 朝から晩まで実験室だよ」
「ご苦労さん」
「そっちは?」
軽いジョーク混じりの会合。壱心だけ外見上、浮いておりその隣に桜がいるのでその範囲だけ完全に別世界の様に浮いている。
「くすくす、皆様と飲まれないので?」
「俺がいると委縮するみたいだからな……噂話を肴にして飲んで金だけ払う」
「まぁ、お可哀想です。私が慰めて差し上げましょうか?」
「要らん」
二人で静かに飲む壱心。だが、その静けさは利三が酔って絡むまでの僅かな時間だけだ。その後は無礼講。しつこく若さの秘訣を聞かれるなどして次第に馴染んでいくのだった。
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